憧憬 †浪漫飛行 -1†




 何処までも続くような石造りの螺旋階段を駆け上がり、陰の中からぽっかり浮かぶように現れた青い空を見つけて目を輝かせ、背後から聞こえる弱々しい靴音に向かってエドガーが声を投げた。
「マッシュ、急ぐな! 大丈夫だ、ゆっくりおいで!」
 少しして、うん、と響いた声がやや遠くから届いた。無理をさせてまた体調を崩しては大変と、最後の数段を残したところでエドガーはマッシュを待つ。
 靴音が近づいてくる。加えて荒い息遣いも。コツコツとした音のリズムは少しずつスローになり、ようやくマッシュの姿が見えて来た頃、エドガーは頭を垂らして肩で息をする弟が必死で階段を上って来たのを認めて安堵した。
「マッシュ、大丈夫か」
「う、ん……」
 あまり大丈夫なようには見えず、エドガーは数段降りて手を伸ばしかけて、しかしすぐにその手を引っ込めた。
 体の弱さを克服するために格闘家に師事し始めて間もないマッシュが、真剣に稽古に打ち込んでいることはエドガーも当然知っていた。素直で生真面目な性格の弟が、実は負けず嫌いであることも知っていた。エドガーは黙ってマッシュが自分のところまで上がってくるのを待つ。マッシュは一歩ずつ確実に近づいてくる。
 そうしてエドガーの元まで辿り着いたマッシュを緩く抱き締め、おつかれ、と声をかけた。返事の代わりに少し笑った呼吸が肩口から聞こえて来た。
「よくがんばったな。ほら、思った通り今日は最高の眺めだ」
 マッシュに体重を預けさせて開けた景色を顎でしゃくると、顔を上げたマッシュが青い瞳をきらきらと輝かせた。
 二人が暮らすフィガロの城で一番高い塔には王族しか立ち入ることができない。すなわち王である父と、エドガーとマッシュの双子の王子しかこの景色を見ることはできない特別な場所だった。
 砂漠を一望できる塔の上空は綿のような雲が所々筋を作り、その雲の支配の及ばない広い場所から燦々と照らす太陽の熱は、石造りの塔の温度をじわりと上げるほどに存在感があった。
 太陽を囲む空の青さは彼らの青い瞳よりも一段淡く、金色の砂漠とのコントラストに二人は全く同じ顔で目を細めた。ぬるい風が頬を撫で、前髪を潜り抜けて走り去る。風が去った方向を思わず振り返ったエドガーは息を飲んだ。
「……見ろ、マッシュ」
 エドガーの声にマッシュも顔を向ける。そして階段を上りきったことで紅潮していた頬を更に赤らめ、嬉しそうに目を見開いた。
「山が雲を刺してる」
 南東にそびえる聖なる山、コルツ山が天を貫くように伸びているのがくっきりと見えていた。頂上は靄に囲まれ拝むことはできない。砂漠を抜けて山脈沿いに進むと登山口があると聞くが、余程の命知らずでなければ登ろうなどとは考えもしないと地理の講義で教わったことがある。
 遠く霞む距離にあって尚二人を圧倒する存在感を持つ山を、マッシュがことさら気に入っているのはエドガーもよく知っていた。
 大分呼吸も整ったマッシュがエドガーの補助から抜け出し、ふらりと山の方角へ数歩踏み出した。エドガーも後に続き、憧れの眼差しを山に向ける弟の横顔を斜め後ろから覗いて微笑む。
「いつ見ても、高いなあ」
 エドガーの言葉に目線を動かさずに頷いたマッシュは、太陽の光のせいだけではないのだろう、眩しそうに瞼を狭めてほうっと息をついた。
「今日はとくべつにキレイだね」
「天気がいいからな」
「山の神様のごきげんがいいのかも」
「だったらいいな」
 あの雲に覆われて見えない頂上付近には、本当に神の類が存在していてもおかしくはない雰囲気が漂っている。
「おれ、いつか登ってみたいな」
 マッシュがぽつりと呟いた。エドガーは軽く眉を下げて笑う。
「名のある格闘家が何人も行方知れずになっている山にか」
「……うん。むり、かな」
「むりだと思ってちゃむりだな」
「……じゃあ、むりだって思わないよ」
「なら登れるさ」
 ようやく山から目を離してこちらを見た弟にエドガーがウィンクすると、マッシュは嬉しそうにはにかんだ笑みを見せた。
 山登りどころか、チョコボに乗って遠出もままならないマッシュにとっては大きな大きな夢だ。ならばとエドガーは天を指差し、山の頂上よりも更に高みへ角度を上げた。
「じゃあおれは、いつかあの山を見下ろしたい」
 エドガーの言葉にマッシュが目を丸くし、しかし口元は笑ったまま楽しげに尋ねてくる。
「コルツ山の更に上?」
「ああ」
「ひくうていって、そんなに高く飛べるの?」
「飛ばすさ。おれならできる」
 自信たっぷりに宣言するエドガーを誇らしげに見つめたマッシュは、もう一度崇高な山々に目線を移してうっとりと目を蕩かせた。
「おれも、見たいな。空からのコルツ山」
「マッシュも乗せてやるよ」
「本当? ……約束だよ、あにき」
「ああ、一緒に行こう」
 エドガーが右手の小指を差し出し、マッシュも自分の左手の小指を兄のそれに絡める。そのままその手と手を繋いだ二人は、生ぬるい風に吹かれてしばらくの間聖なる山に見惚れていた。

 一緒に行こう──動乱の日々にやがて記憶は薄れ過去の約束は忘れ去られようとも、繋いだ手の温もりのように仄かに残る温かさが胸の奥で目覚める時を今か今かと待っていた。



 一緒だよ。ずっと、ずっと。