Santa Claus




 サンタクロースがいないことを受け入れたのは、幾つの頃だっただろう。





 灯りを落とした飛空艇の廊下にて、マッシュは半開きになった扉の隙間から中の様子を伺っていた。
 室内では部屋の主であるリルムが寝息を立てている。ベッドの傍で蠢く不審な影は、彼女の祖父であるストラゴスだった。
 眠っている相手には見えやしないだろうに、この日のために夜なべしたというサンタクロースの赤い衣装を纏って、音を立てないよう枕元にクリスマスプレゼントを置くミッションの真っ最中である。
 万が一リルムが目覚めた時にうまく誤魔化すのを手伝ってくれと頼まれ、マッシュは戸口でまるで見張り役のような気分でストラゴスの挙動を見守っていた。
 そっとプレゼントを床に置き、眠る孫の寝顔を見つめるストラゴスの背中に目を細めて、そうしてマッシュは戻ってきたストラゴスを廊下に迎えるため扉の隙間を大きく開ける。
 ストラゴスがするりと廊下へ抜け出たのを確認し、息を殺してドアを閉めた。無意識に力が入っていた肩から力を抜くと、ストラゴスも同じようにふうっと息をつきながら肩を下げていた。
「お疲れ様、任務完了だな」
「ふーっ、いつ目を覚ますかとヒヤヒヤしたゾイ」
 小声で囁き笑い合って、二人は部屋から遠ざかる。談話室に着く頃には、潜めていた声から遠慮は消えていた。
「やれやれ、あと何年サンタになれるかのう」
 赤い帽子を脱ぎながら嬉しさと淋しさが入り混じった呟きを零すストラゴスへ、マッシュは無言の苦笑を向ける。
 何と答えたものか言葉を探すマッシュの表情を見ていなかったストラゴスは返事を待つことはなく、脱いだサンタクロースの衣装を一式袋に詰め込んで、腰を拳でトントンと叩いた。
「ああいかん、老体に夜更かしは堪えるゾイ。明日のパーティーのためにも休まんとな」
 話が逸れたことにホッとしたマッシュは、今度は心からの笑顔で頷いた。
「ああ、ティナとセリスが大きなクリスマスケーキ作るって張り切ってたぜ。明日の昼間には兄貴たちも戻って来るだろうし」
「そうじゃったな、早く戻って来るといいのう。パーティーの準備を手伝ってもらわんとならんゾイ」
 おやすみと声を掛け合い、談話室からそれぞれに割り当てられた部屋へと向かう。途中振り返ったマッシュは、丸まったストラゴスの背中を眺めて小さく溜息をついた。
『あのさ、ジジイに何か言われたらさ、悪いけど付き合ってやってよ』
 リルムに声を掛けられたのは数日前。
『リルムもう十歳だよ? サンタの正体知らないはずないでしょ』
 聡明な彼女は全てを知っていて黙っている。先程もリルムの寝息が本物だったのかどうか、マッシュには確認しようもなかったが、分かるのは彼女はあのプレゼントが祖父からの贈り物だと知っているということだ。
 恐らくは明日の朝、枕元のプレゼントを持ってストラゴスの前で喜んでみせるのだろう。夢を見続ける幸せは、子供だけのものではないことをリルムはよく理解している。
 丸く大きなリルムの目に、ぞんざいな口調とは裏腹に大人びた優しさが滲んでいたことを思い出して、マッシュはまた複雑な気持ちで溜息をついた。


 あくびをひとつ零し、灯りを消した室内でベッドに潜り込む。今夜は冷えるな、とカーテンがかかった窓の向こうの景色へ自然と意識を向けた。
 二日前に探索に出たエドガーを含めた仲間四人は、明日の帰艇を予定していた。宿屋などあるはずのない山地での野宿だと事前に分かってはいたが、この冷え込みの中でテント泊は堪えるだろう。風邪など引いていないと良いが、と漏らした吐息がやけに耳に障って薄闇に溶けていく。
 マッシュはぼんやりと天井を眺めていた。
 今夜はクリスマス・イブ。期待に胸を膨らませた子供たちが緊張の一夜を過ごしているだろう。ガウはクリスマスを知らないと言っていたから明日の朝は驚くかもしれない。ひょっとしたらリルムは夜中にこっそり中身を確認しているだろうか。
(俺、何歳までサンタ信じてたんだったかな)
 リルムとストラゴスのことを考えながら、思いは自身の過去を巡り始める。
 小さな頃は、父か乳母かが毎年枕元にプレゼントを置いてくれていた。置くところを確かめられたことはないが、マッシュとエドガーの幼い双子の寝室に自由に出入り出来るのはその二人だけだったので、きっとそうだったのだろう。
 そういえば、サンタクロースがいるかいないかで城下町の子供と揉めたことがあった。
 あれは六つか七つの頃だっただろうか。身分を隠して遊んでいた街の子供たちは、当然ながら王子に対する気遣いなどない。街の餓鬼大将にサンタなんかいないと馬鹿にされて、言い返す語彙力を持たなかった多感な幼年期のマッシュは深く傷ついた。
 サンタクロースの存在を疑う段階にすらなかったマッシュがさめざめと泣くのを、兄のエドガーは根気強く慰めてくれた。
『気にするなよ、マッシュ。サンタがいないなんて嘘だよ。あいつは良い子にしてないからサンタが来ないだけさ』
『でも、本当は大人がプレゼント置いてるって。お手紙もサンタさんには届いてないんだって』
 欲しいものを願うと眠っているうちに枕元に用意されている、古の魔法のような夢の夜にときめいていた胸が萎んでしまった。
 拙い字で懸命に書いた手紙はサンタクロースの元には届かない。いつか見てみたいと憧れていた空を飛ぶトナカイもソリも、全て空想のものだと突きつけられたマッシュの幼心は悲しみに暮れた。
 思えば、あの時のエドガーは特別動揺した素振りを見せなかった。泣き続ける弟を落ち着いて慰めていた彼は、きっとすでに真実を知っていたのだろう。
 小さな手でマッシュの頭を撫でながら、エドガーは名案を思いついたとばかりに声を弾ませて言った。
『だったらさ、今年のプレゼントはお手紙に書かないで心の中でお願いするだけにしようぜ。父上にもばあやにも内緒だ。もしそれでも欲しいものがプレゼントされたら』
『されたら?』
『サンタが来てくれたってことだよ』
 マッシュは濡れた目を何度も瞬かせ、呆けた顔で頷いた。やはり兄は頭が良い、兄の言うことに間違いはない。話に乗ったマッシュにウィンクして、エドガーは悪戯っぽくこう続けたのだ。
 ──でも、俺だけには教えろよ。俺もお前には教えるから。いいか、俺たち二人だけの秘密だぞ──
 お互い欲しいものを耳元で囁き合って、秘密を守るために指切りをして。訪れたクリスマス・イブの夜、マッシュは不安と緊張でなかなか寝付けずにいた。
 もしも翌朝開いたプレゼントの箱に欲しいものが入っていなかったら。それどころか、このまま眠れずにいて誰かが部屋に入って来るのを見てしまったら、それがサンタクロースではなかったら。
 隣に寝転ぶエドガーは、まるで赤子をあやすようにマッシュの背を優しく叩きながら、大丈夫、大丈夫と繰り返してくれた。
『お前は世界で一番良い子だから、絶対サンタが来てくれるよ。寝ないとサンタが来ないぞ。大丈夫だ、目を閉じて、ゆっくり数を数えよう』
 温かいぬくもりと優しい声。
 いーち、にーい、兄の声を追っているうちにいつしか意識は夢の中へ、気づいた時には朝を迎えていた。
 枕元に置かれた二つのプレゼントの箱は色違いのリボンが結ばれていて、飛びつくようにして解いた。中にはそれぞれ、あの日エドガーと耳打ちし合った秘密の欲しいものが入っていた。
 サンタさんが来た! 喜びに目を輝かせて真っ先に見たのはエドガーの顔だった。二人で喜びを分かち合った、あの朝の胸の震えは歳を取った今でも容易に蘇る。
 そして今なら分かるのだ。エドガーしか知らなかったはずの秘密のプレゼントが何故しっかり用意されていたのか。
 兄と弟とはいえ、産まれた日は同じで歳は変わらない。だと言うのに、己の弱さ故にエドガーに兄という立場を強いた場面も少なくはなかっただろう。
 マッシュよりも精神的に大人にならざるを得なかったエドガーは、いつも兄としてマッシュを導いてくれた。恨み言ひとつ言わず、態度にも出さないエドガーはあの時どんな気持ちでマッシュに夢を見せてくれていたのだろう。
 あれから年を重ねて自然とサンタクロースがいないことを受け入れていったが、エドガーの言葉が嘘だったと思ったことはない。
(やっぱり兄貴の言うことに間違いはなかった)
 あんなにも欲しかったはずのプレゼントが何だったか、今はもう思い出せない。それなのに、希望通りのプレゼントを見つけて喜ぶマッシュを見つめて、口角を上げ紅潮した頬を丸く膨らませたエドガーの満足気な笑みは昨日のことのように鮮明に思い出せる。
 思い出に残る大好きな人の笑顔。サンタクロースを信じることであの笑顔を見ることが出来たのなら、心の中に存在することを否定しなくとも良いのではないか。大人になった今だからそんな風に割り切れるのだろうか。
 否、あの時マッシュはたとえサンタクロースが存在しなくてももう良いと思ったのだ。
 エドガーが。
 エドガーがいてくれたら。
(兄貴さえいてくれたら)
 サンタクロースがいなくても、欲しいプレゼントがもらえなくても、エドガーさえいてくれたらそれだけで良いのだと、思い知らされたクリスマスの朝だった。
 あの笑顔があれば、他に何も無くても構わない。サンタの正体を知らされたって、たとえプレゼントが無かったとしても、エドガーが優しく戯けて慰めてくれれば、それでマッシュの機嫌は直ったに違いないのだ。
 エドガーはいつも夢を見せてくれた。それは大人になった今も変わらない。
 瞼を閉じて記憶を辿る。大切な思い出にはいつもエドガーの存在が在った。離れていた十年の間ですら、常に心は兄と共に在った。
 エドガーがしてくれたように、今度は自分が兄に夢を見せてあげられたら良い──そんなことを考えているうちにとろとろと思考が溶けてきた。
(兄貴がいてくれたら、それだけで何もいらない)
 明日はクリスマス。飛空艇を飾り付けて、パーティーの準備を整えた頃にはエドガーも帰って来るだろう。
 今頃は寒い思いをしながら眠っているのかもしれない。戻って来たらこの両腕で温めてあげよう。あのクリスマスの朝のように、満足気な微笑みを見せて欲しい。プレゼントにはストールと革の手袋を用意してある。喜んでくれるだろうか。
 明日には逢える。

 早く逢いたい。




 ……

 ………

 ……………


 ヒヤリと冷たいものが肌に触れた瞬間、完全に夢の中に潜っていた意識がふわりと浮上し始めた。
 ベッドが軋んでいる。誰かが潜り込んで来たのだと理解できる程度には目覚めていたが、すぐに警戒体勢を取れずにいたのはひどく落ち着く香りが柔らかく舞ったからだろう。
 腕を伸ばしたのはほとんど無意識だった。指に絡まる湿った髪の冷たさに、これが肌に触れたものの正体かと納得する。──そうか、イブの夜だから、欲しいものが届けられたのか。まだ少し寝惚けたまま、大きな手で包んだ頭を胸に引き寄せると、苦笑混じりの呟きが聞こえてきた。
「起こしちまったか。そっと潜り込んだんだがなあ」
 確信していたとはいえ、実際にエドガーの声を聞くとホッと安堵の息が漏れた。
 ここでようやく薄目を開いたマッシュは、まだ室内が暗いままだと気付く。恐らくは眠りに落ちてからせいぜい二、三時間も経っているかいないか、夜明けまでにはまだまだ時間がありそうだった。
「今夜は、逢えないと思ってた」
 寝起きの声は少しだけ掠れていた。
 マッシュが声を出したことで遠慮がなくなったのか、エドガーはマッシュの腕の中でもぞもぞと体勢を整えて寝心地の良い位置を模索し始めた。
「ああ、探索が予定より早く終わったんだ。そのままテントで一泊しても良かったんだが、急げば夜明け前には飛空艇に着く距離だったもんでな、寒いテントで震えて眠るより、多少遅くなっても部屋のベッドが良いと全員意見が一致したよ。日付は変わっちまったがね」
「無茶したんだろ」
 ふふっと悪戯っぽく聞こえてきた笑い声はマッシュの言葉を否定しない。さぞや疲れただろうと頭を撫でると、腕の中の身体が気持ち良さそうに脱力したのが分かった。
「寝顔を見るだけのつもりだったんだが、お前のベッドは温かそうでなあ……安心しろ、ちゃんと湯浴みして砂埃は落としてある。汗臭くないだろ?」
 エドガーがマッシュの胸に額を擦り付けると、まだ乾き切っていない髪の毛先が腕をひんやりと擽った。
 またちゃんと乾かさないで、風邪引くぞと呟きながら、冷えている頭を温めるように抱き込む。エドガーの満足気な吐息がマッシュの胸に熱を灯した。
 焦がれていた存在が腕の中にある。抱き寄せる腕にも自然と力がこもる。
「無事で、良かった。明日にならないと逢えないと思ってたから」
「ふふ、イブの夜に嬉しいプレゼントだろう?」
 恐らくエドガーは冗談のつもりでその言葉を発したのだろう。しかしマッシュは素直に頷き、湿った髪に鼻先を擦り付けた。
「イブ……、うん、本当だ」
 一番欲しいものが腕の中に潜り込んで来た。微笑んだマッシュは独り言を呟く。
「やっぱり、サンタはいるのかもしれないな」
「なんだ、急に」
 不思議そうに尋ねるエドガーの顎を掬って、掠めるように唇を攫う。灯りを落とした室内で表情ははっきりと見えないが、空気の振れでエドガーの顔が驚きから笑顔に変わったことを感じ取り、マッシュの顔も綻ぶ。
「おかえり、兄貴」
 まだ冷えた身体に熱を分け与えんと強く抱き締めた。背に伸びてきたエドガーの指が温かくなっていることに安堵して、マッシュはもう一度眠りに誘われる。今度は二人で夢を見るために。

 明日の朝には明るい陽の下で大好きな笑顔に逢えるだろう。
 サンタクロースはいつだって欲しいものをくれるのだ。