生還




 聳える瓦礫の山と化したかつては家屋だったものの前で、夜雨に濡れながら虚ろな目で立ち尽くすエドガーの背後から足音が近づいてきた。
「……やっぱりここか。部屋にいねえと思ったら……」
 セッツァーの声だとすぐに分かったエドガーは振り向かず、ただ黙って雨の中木片が積み重なる倒壊した家屋の前に佇む。
 世界が崩壊した後、合流したセリスが泣きながらエドガーに伝えたツェンでの出来事はエドガーから正気を失わせるに充分な内容だった。
 中にいる子供のために倒壊しかかった家屋を支え、居合わせたセリスが子供を連れて戻るまでに持ち堪えきれなかったマッシュ。間一髪窓を破って子供を抱えたセリスが外に飛び出した瞬間、無情にも家は崩れあっという間に瓦礫となったのだと泣き伏すセリスを責められるはずもなく、現場を知らないエドガーはただただもどかしい気持ちのまま時を過ごした。
 セッツァーと合流して飛空艇ですぐにツェンに向かい、崩れた家屋と対峙した今、エドガーは抱いていた一縷の望みも打ち砕かれたように動くことができずにいた。あれから二週間は経っている。普通に考えれば絶望しかない。だけど認められない。
「……仕方ねえ。あいつは子供を守ったんだ」
 セッツァーの声は耳に入るのみで意味を受け取ることができない。仕方ない、とは。マッシュが下敷きになるのは仕方のないことだったのだろうか。この無機質な瓦礫の下に埋まることが、あの優しい弟に与えられた運命だったとでも言うのだろうか。
 セッツァーがエドガーの肩に手をかける。エドガーはその手を振り払い、一歩瓦礫に近づいた。
「……マッシュ」
 呼びかけは想像以上に掠れていた。しかし一度声を出したことで体が緩んだエドガーは、再び声を絞り出す。
「……マッシュ……!」
 名前を呼ぶとそれまで張り詰めていた何かが弾けたように、エドガーはその場に膝をついて顔を覆った。信じたくない、信じられない。十年離れてようやく逢えた弟と、こんな形で永劫の別れを迎えるだなんて。
 かけるべき言葉が見つからずに立ち尽くしていたセッツァーがもう一度エドガーの肩に触れようとした時、雨音に混じってふとカランと木片が転がり落ちる音がしたような気がした。
 エドガーとセッツァーが同時に顔を上げる。崩れた家屋の手前側、目を瞠ると──ひとつ木片が落ちた。またひとつ。カラカラと、内側から何か力を受けて瓦礫が開けていく。
 そして木屑の山から突き出た拳を見た瞬間、エドガーもセッツァーも半ば足を縺れさせて飛び出し、指や爪が傷つくのも構わず瓦礫を素手で掻き分けた。
 ぽかりと空いた空間から頬の肉が削げたマッシュが目を開いた状態で顔を出した瞬間、エドガーは悲鳴のような声を漏らして端正な顔をぐしゃぐしゃに崩し、力が抜けているマッシュの腕をセッツァーと共に引っ張り上げる。
 瓦礫の中から生還したマッシュは、ふらつきながらも自分の足で立った。体は薄汚れて衣服はボロボロだが、驚くほど外傷が少ない。マッシュは弱々しく笑った。
「……魔法、覚えてて良かった……ケアルなかったら、死んでた」
「……マッシュ!!」
 エドガーがマッシュの胸に飛びつき、その勢いでマッシュは倒れかかるが、セッツァーが背中を支えてなんとか踏みとどまる。
 セッツァーはそのままマッシュの背中を軽く叩き、泣き笑いのような表情で馬鹿野郎、と吐き捨てる。
「ダメかと思ったじゃねえか……! 生きてるなら、もっと早く出てこいよ……!」
「足、挟まれてて、さ。崩れる瞬間、なんとか隙間に入り込めたんだけど、抜けなくて。ケアルかけながらチャンス待ってたら、この雨で少し崩れやすくなったみたいで。……それから」
 胸にしがみつくエドガーを見下ろし、痩せこけた顔でマッシュは微笑んだ。
「兄貴の声が、聞こえたから……」
 エドガーがゆっくり顔を上げ、泥に汚れて黒ずんだマッシュの頬を両手で包む。エドガーの青い瞳からは枯れることなく涙が溢れ、何か言おうと口を僅かに動かすのだが声にはならなった。
 マッシュはちらりとセッツァーを見て、ごめん、と目配せした。セッツァーは肩を竦めて二人に背を向ける。
 涙の止まらないエドガーを抱き返したマッシュは、愛しそうに細めた目でエドガーを見つめ、にっこりと笑った。
「ただいま、兄貴」
 またぐしゃりと表情を崩したエドガーが震える声でおかえり、と紡いだ唇を、カサカサに乾いたマッシュの唇が優しく塞いだ。