昔日




 歪な球体が宙を舞う。
 それなりの広さの室内の端にはマッシュ、反対端にはガウが身構え、二人の間をマントを丸めて作ったボールが行き交っている。丁度二人の真ん中に位置する椅子に腰掛けたエドガーは、青い目だけを右へ左へボールに合わせて動かしていた。
 ガウは猫がじゃれるごとくボールに飛びついては投げ返し、マッシュはそれを手で受けたり時には膝でトラップして蹴り返すこともあった。無邪気に遊ぶ二人を前にエドガーはぼんやりと思考を巡らせる。
 幻獣に反応して飛んで行ったティナを、ロック、セリス、カイエンの三人が追ってナルシェを出てから数日。残されたマッシュ、ガウ、そしてエドガーは、日に日に長くなる手持ち無沙汰な時間をどうにかやり過ごしていた。
 バナンに護衛が必要だとの判断は間違いではなかったと思うが、追撃の気配もない現在、四六時中気を張る訳にもいかない。度々リターナーのメンバーと会議という名の不毛な話し合いはあるものの、それらに参加しないマッシュと特にガウは完全に暇を持て余していた。
 フィガロ城の潜行を利用して目的地に向かう以上、本来は自分が行くのが筋だったとは思うのだが──エドガーは二人に気づかれないよう小さく息をつく。
 ティナを追いたいと強く主張したセリスに対し、まだ完全に彼女を信頼しきれていないカイエンが同行すると言い張った。おかしな動きをしないよう見張るつもりなのだろう、一歩も引かないカイエンの態度に押し切られ、二人の間でうまく立ち回れそうなロックに捜索メンバー入りを頼むことになった。
 ナルシェを手薄にする訳にもいかず、城に潜行の指示は出してあるからと結局エドガーは残留することになったが、ついて行くと言えば誰も咎めなかっただろう。
 しかしようやく再会できたマッシュを置いて一人で城に戻るのは気が引けた。一国の王としては失格かもしれないが、レテ川で別れたマッシュと再び無事に会えた時、次に城に帰る時は二人一緒でと勝手に心に決めていたのだ。
 十年離れている間にここまで逞しく成長したマッシュの姿を城の人間に見せたい。そして同じく十年、王としてエドガーが守り続けた城をマッシュにも見てもらいたかった。エドガー自身の目の前で。
 ティナの捜索に私情を挟みたくはなかったが、エドガーのそうした思いもあってロックたちに全てを任せることにした。セリスとカイエンの様子が気になるが、ロックがうまくやるよと耳打ちして出立していったので問題はないだろう。あの男はムードメーカーとしては一流だ。
 かくしてナルシェで待機中の三人は、一日の大半を占める暇な時間をどう過ごすかが課題となった。エドガーはその気になればやることは幾らでもあるが、背丈から推測する年齢よりもずっと子供の心を持つガウはすっかり退屈してしまい、マッシュは専らガウの遊び相手を請け負うことで役目を果たしていた。
 先程から飽きずに二人がボール遊びを楽しむ姿を見て、特別な道具などなくとも遊ぼうと思えば遊べるものだとエドガーは素直に感心していた。
 そしてマッシュの身のこなしにも驚いた。大昔、エドガーとマッシュがまだ二桁に満たない年の頃、城の中庭で一緒にボールを蹴って遊んでいたことを思い出す。エドガーが勢い良く蹴ったボールを顔面で受け、わんわん泣いていたマッシュとは別人のようだった。
 マッシュが城を出た時、まだ身長はエドガーの方が高かった。体格だけでなく知識も勝り、マッシュはいつも誇らしげにエドガーを見ては兄は凄いと称えてくれたものだ。
 しかし十年を経て再会したマッシュはエドガーが見上げる大男になっていて、薄着で強調される筋骨隆々とした体躯は、ひ弱だった弟がどれだけ苦労と努力を重ねてきたのかがよく分かる何よりの証だった。流れの速いレテ川で別れた時、流されたのがもし自分であったのならああまで早くナルシェに辿り着けたかどうか、いやそもそも無傷で道中をやり過ごせたかどうかも怪しい──エドガーはガウが勢いよく放り投げたボールを余裕の片手でキャッチするマッシュを見つめ、不思議な気分で瞬きをする。
 顔立ちは随分大人びて男臭くなったとは言え、あの優しい青い目は変わらない。確かに愛する弟のマッシュなのだが、エドガーの知っている彼とは何かが違う。その「何か」は離れていた十年に隠されていて、ほんの数日共に過ごしたからと言ってすっかり理解できるものではないのだろう。ひょっとしたらマッシュにとってのエドガーも似たような存在なのかもしれない。
「ガウ、そろそろ休憩するか。もう一時間近くやってるもんな」
「うう、おれ、のど、かわいた……」
「部屋、意外に暑いもんな。なんかもらってくるか」
 ようやく遊びに一区切りつけた二人の様子にエドガーも立ち上がり、やれやれと肩を竦めてガウに同じくマッシュの傍へ近づいていく。
「壁の作りがフィガロと全然違うな。熱を逃がさないように出来ているのだろう」
 エドガーの言葉にふうん、と呟いたマッシュは、丸めたマントを解きながら目線だけで軽く室内を見渡して頷いた。
「建物の中、隅まであったかいよな。外はあんなに雪があるってのにヘンな感じだ」
「外の冷気が入り込まないように窓にも工夫がされているようだな。部屋全体を暖めることで逆に燃料の使い方を効率化しているのかもしれん、興味深い造りだ」
 エドガーが何の気なしに告げた言葉に、マッシュは軽く頬を緩めて穏やかな笑みを見せた。その意図を図りかねたエドガーが眉を上げると、マッシュは小さく首を横に振って何でもないという素振りを見せる。
「兄貴らしいなと思って」
 嬉しそうに答えたマッシュを見てエドガーは首を傾げた。どの辺りが自分らしいのか、問い質すか否かを迷いかけた時、まるで動物のように口を開けて熱を逃がしているガウが唸り声を上げた。
「のど、かわいたぞ! あつい!」
 エドガーもマッシュも驚いてガウを見下ろし、次に二人で顔を見合わせて苦笑する。
「何か飲み物をいただきに行こうか」
「こう暑くちゃ、冷たいもん欲しくなるよな……、あ、」
 笑顔で同意したマッシュが何かに気づいて窓へと顔を向け、それから閃いたとばかりに目を輝かせた。
「そうだ、いいこと思いついた。ガウ、水分補給したら着替えて外に行こう。面白くて、美味しいもの作ってやる」
「おいしいもの?」
「おう」
 歯を見せて悪戯っぽく笑うマッシュを見て、今度はエドガーとガウが顔を見合わせた。


 宿のキッチンを借りて、マッシュが用意し始めたのはミルクに砂糖にチョコボの卵。やけにキッチンに立つ姿がしっくり来るマッシュの後ろから、エドガーは腕組みをして、ガウは余ったミルクを飲みながら何をし始めるのかと覗き込んだ。
「これを全部混ぜるだろ……」
 泡立て器を片手に、マッシュはボウルに入れた材料を慣れた手つきで掻き混ぜて行く。産まれてから一度もキッチンで作業をしたことがなかったエドガーは純粋に驚いた。城を出るまではマッシュも同じ立場、だったはずなのだ。
 満足いくまで混ぜ終えたマッシュは、ボウルの中身を蓋のできる容器に流して麻紐でぐるぐると巻き始めた。
「零れないようにしっかり縛っとくんだ。開ける時は切っちまうからガチガチに巻いても大丈夫」
 確かに手で解くのはとても無理だと思う程に紐を巻きつけられた容器を手に、マッシュはここからが本番とばかりに企むような笑みを見せる。
 少し待っていてくれと告げて一度キッチンから出たマッシュが戻ってきた時、その腕の中に丈夫そうな麻袋が抱えられていた。まるで赤ん坊を抱くように斜めに構えた袋は膨らんでいて、何が入っているのかと開いた口を覗いたエドガーの肌にひんやりと冷気が当たる。
 麻袋に詰められた白いものを見て、エドガーは首を傾げた。
「……雪か?」
「当たり。外で雪詰めてきたんだ。この雪に塩を入れて、と」
 ばさばさと遠慮なく借り物の塩を投入するマッシュを見てエドガーは冷や冷やしたが、棚に積まれた大量の塩の在庫を見てホッと息をつく。そんなエドガーを知ってか知らずか、マッシュは雪と塩を素手でざくざくと混ぜ、赤くなった右手で混ぜ合わせた材料が入った容器を掴んだ。
「で、中にこれを突っ込む」
 麻袋の中に麻紐で巻かれた容器を押し込み、塩混じりの雪で丁寧に包み込んだマッシュは、麻袋の口もしっかりと紐で縛り上げた。
「よーし、これで準備完了だ。ガウ、外出るからコート着ろ」
「そと? なんでそと、いく?」
「いいから!」
 マッシュに誘われるがままに防寒の支度をした三人は、粉雪がチラつく寒空の下、室内とはかけ離れた氷点下の気温に身震いしながら雪の大地を踏みしめた。
 麻袋を小脇に抱えていたマッシュは、おもむろにそれを地面に転がし始める。驚いて目を丸くするエドガーとガウの目の前で、マッシュは麻袋を蹴り上げた。
「よし、ガウ、行くぞ!」
 先程部屋で投げ合いをしていた即席ボールに比べて、重量のある鈍い音がする。慌てて真似をしたガウが慣れない靴を履いて控え目に蹴った程度では距離が伸びない。笑うマッシュに対して悔しそうに歯を噛み締めたガウは、後方に大きく足を振り上げて麻袋を蹴り飛ばした。
 ぼすんという籠もった音と共に小さな弧を描いて浮き上がった麻袋を足の内側の側面で受けたマッシュは、上出来だとガウに親指を立ててみせる。そして再び蹴り返し、ガウも走りにくそうにしながらも麻袋を足で受け止めた。
 ぼす、どす、と言った重みのある音の中、麻袋が放られたり転がされたり、一体あの中身はどうなっているのだろうと寒さを堪えて見物していたエドガーに、ふとマッシュが視線を寄越してニヤリと笑った。
「兄貴!」
 呼びかけられてハッとすると、マッシュがガウに対するよりやや強めに蹴ったと思われる麻袋がエドガーに一直線に向かってくる。慌てて腕組みを解いたエドガーは、二歩ほど下がって膝で麻袋を受けた。
 顔面直撃は免れたが、にやにやと笑ってエドガーを見ているマッシュに不敵に笑い返したエドガーは、下がった分の助走をつけて渾身の力で麻袋を蹴り返した。雪飛沫と共に大きく空に上がった麻袋が、口笛を吹いたマッシュの膝でトラップされる。
 マッシュは足元に落ちた麻袋を軽く爪先で転がし、エドガーに手招きした。
「見てるだけじゃ寒いだろ。兄貴もやろうぜ」
 エドガーは一瞬返答に困った。一国の王である自分が、自国の領地外で遊びに興じるだなんて──しかしマッシュは返事待たずに再び麻袋を蹴って寄越してくる。仕方なくエドガーが蹴り返した麻袋を、今度はガウが蹴り上げた。マッシュが受けてまたエドガーの元に飛んでくる。エドガーは苦笑し、マッシュは大きく笑った。その間をガウがすばしこく跳ね、三人は白い息を吐きながら頬を熱で赤く染めて動き回る。
 屈託のないマッシュの表情が子供の頃と重なって、エドガーは目を細めた。ボールを顔で受けて大泣きした数分後、けろっとして遊びに戻ったマッシュの笑顔を思い出す。身体が大きくなろうとも、エドガーの知らない世界を見てこようとも、マッシュはマッシュなのだ。
 かつて日差しが照りつけるフィガロ城の中庭でじりじりとした暑さの中ボールを蹴りあった頃と、皮膚を刺すような凍てつく空気の中で靄のような息を吐きながら麻袋を蹴る今の、どちらも同じ顔をして心地よく汗を掻いている。マッシュも、そしてエドガーも。


 まだ呼吸が整わないままキッチンに戻った三人は、マッシュを中央に麻袋を開封し、中から取り出した容器の蓋をいざ開いて思わず感嘆の声を上げた。外に出る前は液体だったものが真ん中にぽっかり空洞を作ってシャーベット状に固まっている。
「アイスクリームか」
 エドガーの呟きにマッシュが笑って頷いた。
「滅多になかったけど、たまにおかみさんが氷を買って余った分で作らせてくれたんだ。塩と氷混ぜた中に材料入れて、蹴っ飛ばしてたらデザートができるってさ。ここは外の気温も低いからしっかり固まってるな」
 涎を垂らさんばかりのガウを宥めつつ説明したマッシュは、器に出来立ての即席アイスクリームを取り分ける。きちんと三つの器を用意するマッシュにエドガーは目尻を下げ、何でもできるようになった弟が、昔のままの優しい目で自分に笑いかけることに確かな暖かさを感じていた。
「城にいた頃だってアイスは貴重品だったもんな、兄貴」
 手を突っ込もうとするガウにスプーンの使い方を教えつつ、マッシュに問われてエドガーは頷く。
「そうだな、保冷の問題があるからな。しかし面白いものだな、塩で雪が溶ける速度を速めて冷やす効果を高めた訳か。蹴って転がすのも遊んでいる訳ではなく、効率よく全体を冷やすための重要な作業だったんだな」
 感心しながら答えると、マッシュがきょとんと瞬きをしてからゆっくりと相好を崩し、「やっぱり兄貴だな」と呟いた。
 エドガーが小さな戸惑いを見せると、マッシュは誇らしげに目を細めて、
「子供の頃と変わらない。昔も今も、カッコいい俺の兄貴だ」
 はっきりと嬉しそうに告げるものだから、エドガーはつい照れ臭さに視線を天井に逸らして緩む口元を誤魔化した。
 次に城に戻る時はマッシュと一緒に、思い出話に興じることができるだろう。ひと匙掬ったアイスクリームを口に含むと、火照った身体にひんやり気持ち良く、子供の頃の懐かしい味がした。