シグナル




 フィガロ城にて物資の補給を済ませてから小一時間。城で片付けることがあるからと執務室に入っていったエドガー以外のメンバーは、彼の帰りを待ちながらファルコンの談話室で思い思いに時を過ごしていた。
「遅くなってすまないな。ガウ、リルム、お土産だよ」
 長い金髪を優雅に靡かせ、穏やかな笑みで戻ってきたエドガーの言葉に反応し、ガウとリルムが駆け寄る。砂漠の砂で作ったという砂時計を渡されて、二人の頬がほんのり紅潮した。
「まだ整理し終わってない書類が多くてね、悪いがしばらく部屋に籠るよ。セッツァー、準備が出来たら離陸させて構わない」
「ああ、そんじゃ飛ばしとくぜ」
「よろしく」
 軽く片手を上げたエドガーは、抱えた封書と共に早足で談話室をすり抜けて割り当てられた部屋へと向かった。ぱたん、と静かにドアが閉じる音がして、仲間たちがやれやれ出発だ、と寛いだ体を伸ばしたりする中、ソファに腰を下ろして今のやり取りをじっと見ていたマッシュだけが怪訝に眉を潜めていた。
「……なんかあったのかな、兄貴」
「え?」
 一人分空けて同じソファに座っていたロックが聞き返す。周りの仲間もまたマッシュに視線を向けた。
「変だったろ、様子。何かあったのかも」
「そうかあ……? いつも通りに見えたけど」
 ロックがぐるりと見渡した仲間は、皆同意でうんうんと頷いている。しかしマッシュは険しい表情を崩さずに、とうとう立ち上がった。
「いや、絶対何かあった。あのままだとよくない。俺ちょっと行ってくる」
「マジかよ」
「セッツァー、飛ばしてていいからな」
 人差し指をセッツァーに向けてそれだけ言うと、マッシュは先ほどエドガーが消えたドアまで小走りに向かって行った。申し訳程度のノックをし、返事を待つことなく中に滑り込んだマッシュを見て仲間たちは顔を見合わせる。
「……なんか変に見えた? エドガー」
「別に……、口調も表情もいつもと同じに見えたけど……」
 ロックが背凭れにのけ反るようにして尋ねると、ソファの後方の壁に寄りかかりティナと話をしていたセリスも首を横に振って答える。
「アレか、双子のカンってやつか」
「まーあいつら異常に仲良いしな〜」
 ははは、と談話室が和やかな笑いに包まれた瞬間、突然ガシャンと何かが落ちて割れたような音が響いた。
 全員がぎょっとして音の方向を振り返る。──エドガーの部屋だ。
『──ッ!!』
 何を言っているかまでは分からないが、荒々しい怒鳴り声は間違いなくエドガーのものだった。談話室のメンバーは驚愕に顔を引きつらせて目でお互いの様子を探る。
 ──あれ、エドガー?
 ──エドガー……だよな。
 戦闘時以外で大声を出すエドガーなど仲間たちの記憶にはない。いつも冷静でどこか飄々として、マイナスの局面を笑い飛ばして前向きに変えるあの男が、こんな余裕のない調子で声を荒げるとは想像し難かった。たとえ声が現実に聞こえてこようとも、あのドアの向こうでどんな光景が繰り広げられているのか頭に浮かべるには努力が必要だった。
 再び大きな物音が聞こえ、ガウがビクリと肩を震わせてカイエンに身を寄せた。リルムももらった砂時計を握り締めて困惑の瞬きを繰り返す。
 ティナがセッツァーを見るが、セッツァーもまた複雑な表情で腕を組む。飛ばして良いとは言われたが、この状況でそれが真であるか判断しかねた。
『──、──!』
『──』
 まだ落ち着いていない様子で何かをマッシュと言い争っているようだが、相変わらず内容はドアに隔てられてぼやけたままよく聞こえない。ただ、強い口調のエドガーに比べてマッシュの低い声が穏やかであることだけは伝わってきた。
 談話室は静まり返り、全員動けずにその向こうで何かが起きているドアを凝視している。
 それから十数分経った頃だろうか、ふと静寂が続いた後にドアが開き、中からマッシュだけが出てきた。
 マッシュは怒るでも悄気るでもない普段と何ら変わらない様子で談話室に戻りかけ、仲間たちが揃って自分を見つめていることに気づいて首を傾げる。
「ん? なんでみんなこっち見てるんだ?」
「い、いや、だってお前……」
「エドガーは大丈夫なの?」
 仲間たちの質問に笑顔で「ああ、もう大丈夫」と返したマッシュは、まだ飛んでないの、と何でもない調子でソファに腰を下ろす。
 仲間たちは再び顔を見合わせた。
 それから一時間後、部屋から出てきたエドガーは入る前と同じような穏やかな表情で、先程の一件などまるで夢であったかのように「彼らしい」振る舞いを見せていた。少なくともマッシュ以外の全員にその違いは分からなかった。