石段を登る靴音が夜風に吸い込まれていく。 開けた視界に広がる黒い空は星々の瞬きが埋め尽くし、天への来訪者を見下ろしていた。 軽装に煉瓦色のショールを纏っただけのエドガーの呼気が薄っすら白く曇る。風は頬を刺して白い肌を赤らめ、エドガーはストールの合わせ目を内側から握り込んで寒さを堪えた。 ──かつて塔を登った時は寒いなどと思うことすらなかったと言うのに。今は風が髪をすり抜けるだけで体の熱を根こそぎ奪われるような冷たさを感じている。 塔の上から眺める砂漠は月明かりで鈍く光る金色の海のようだった。夜風に紛れて蠢く影のひとつもなく、シンと静まり返った空気の中で身動ぎせずに佇んでいると、ふいに懐かしい囁き声が聴こえてくるような気がした。 “こんな夜中に勝手に塔に登ったら怒られちゃうよ” 幼い声に微笑する。 悪戯を誘いかけるのはいつも自分だった。 ──今はもう、俺を真剣に叱ってくれる人はほとんどいなくなってしまったよ。 立場的には頂点であるはずなのに、自分を心から必要としてくれるのはほんの一握りの人々で、その人達に脇を抱えられるようにしてかろうじて立っているこの姿は、さぞや傀儡的に映っていることだろう。 今日もひとつ新しいことを覚え、代わりにひとつ心が死んだ。 いつかは得たものが血肉になればと耐え忍ぶ日々を過ごしているが、果たしてこの身は我が故国に何かをもたらすことができるのか。 命懸けで父が残した環境を受け継いで、この先国を生かすことができるのか。 問いかける相手はおらず、自問に答えはない。一日の終わりにこうして一人夜風に吹かれ、何もない砂漠に見えるはずのない幻を探す。 “大丈夫” 人懐こい声が蘇る。 “大丈夫だよ、兄貴” いつも隣にあった温もりがなくなって随分経つのに、まだ城の中で気配を探してしまう。 空っぽの部屋、廊下の曲がり角、図書館や大広間の片隅でふと振り返る時はいつも。 優しい眼差しと陽の光のような笑みで気づかないうちにいつも心を救ってくれていた、あの愛しい存在はもう何処にもいない。 “大丈夫。 俺がいなくても大丈夫だよ……” エドガーは聴こえるはずのない声を追うように天を仰いだ。 ──俺は、大丈夫じゃないよ。お前がいなくてこんなに苦しい…… この星々をありったけこの腕に掻き集めても、お前がいた世界よりまだ暗い。 こうして砂漠に目を凝らせば、あの日出て行った時と同じシルエットが地平線の向こうから城に向かってくるようで。 しかしそれは風が砂を巻き上げた途端に儚く消えてしまう、弱い心が見せた蜃気楼に等しい。 冷え切った指先でそっと唇に触れる。あの夜の熱が蘇ることはもうない。 いつかお前のいない世界に慣れる日が来るのだろうか。 囁きは再び“大丈夫だよ”と風に紛れ、乾いた砂に吸い込まれた。 |