建前




「全くあの頭でっかちの古狸どもは! 人の苦労も知らないで知恵を出さずに口ばかり出す!」
 いつものティータイムより三十分ほど早めの時間に、エドガーが直々に訓練場で汗を流すマッシュの元へやって来た時点で、何やら様子がおかしいと察してはいた。
 私室へ向かう道すがら、肩を怒らせて前を進むエドガーの背中を見つめながら、マッシュはやれやれと溜息をつく。
 今日の会議は荒れたようだ。三十分後の茶会を待ち切れずにマッシュを迎えに来てしまったくらいなのだから、ここ最近ではトップクラスの機嫌の悪さだろう。
 普段の兄らしからぬ乱暴な所作で私室のドアを開いたエドガーは、眉間にくっきりと皺を寄せてソファの端に腰を下ろした。
 苛立ちそのまま、どっかりと体重を預ける様にマッシュは苦笑する。
「すげえストレスだったんだな。待ってろ、今お茶の用意するから」
 ソファに身体を沈めたエドガーのすぐ横を通り過ぎようとして、背中に繋がった糸がピンと張られるかのように動きが止められた。
 振り返ると、顔は前を向いたままのエドガーがマッシュのタンクトップの端を掴んでいる。
「今日はお茶はいい」
「え……」
「苛々してるんだ。もっと手っ取り早くスッキリしたい」
 そう告げるなり、エドガーはマッシュの背中の肌が露わになるのも構わず更に布地を引っ張った。何も身構えていなかったマッシュの身体はそのまま後ろに引かれ、転ばないようにバランスを取っているうちにストンとエドガーの隣に座らされてしまった。
 驚きに目を丸くしたマッシュがエドガーに顔を向けると、待ってましたとばかりに両の手で頬から顎をがっしり固定され、目の前には獲物を捕食するかの如く口を開いて迫る兄の顔。
 目を剥いたまま、訳も分からず唇を吸われた。
 初めこそチュウと小さな音を立てて空気を抜かれるだけだったのが、マッシュの唇が呆然と半開きになっているのをいいことに、エドガーの舌先がぬるりと中に入り込んで来た。舌先でちょんちょんと誘うように口内を突き、マッシュの舌を自分の口に招き入れて甘噛みしてくる。
 息も絶え絶えになるような口付けを交わし、ようやく唇が離れた頃にはエドガーの腕がマッシュの首にしっかりと絡み付いていた。
「……スッキリ、させてくれ。嫌な気分を忘れられるくらいに……」
 鼻先が擦れ合う距離で見つめるエドガーの睫毛の長さと瞬きの回数の多さ、そして掠れた声にマッシュは思わず喉を鳴らした。
 こんな鼻にかかったような甘ったるい声で誘う兄を見るのは初めてではない──しかし今は真昼間、エドガーはこの短い休憩の後に執務に戻らなければならない。
 一瞬困ったように眉を下げたのが気に入らなかったのだろう、エドガーは先ほど引っ張って下衣から出してしまったマッシュのタンクトップの裾から手を入れて、脇腹を撫で上げた。
「昼間でも構わん。このままじゃ仕事に戻れん」
 考えていることはお見通しの台詞にマッシュは肩を竦め、エドガーの吐き捨てるような物言いに兄が本気であることを理解して、ならばとその背に腕を回した。
 胸に抱き寄せると僅かにエドガーの肩が揺れたが、すぐに体重の全てを預けてくる。首に触れる唇の感触が擽ったくて、マッシュはエドガーの顎を掬い上げて摘むように唇を奪った。
 二、三度啄んでから角度を変えてもう一度、口付けながら背中を意味深に撫でる手を徐々に下へ下ろしていく。腰から双丘の始点までを執拗に撫で回し、口内にエドガーの熱い息が吹き込まれるのを感じたマッシュはそのまま腕の中の身体を倒して、ソファに横たえるように腰を手前にするりと引き摺った。
 改めて上から覆い被さり、期待の眼差しでマッシュを見上げるエドガーに深く口付ける。何度もキスを繰り返して、その間にももどかしく揺れている腰を覆う衣類を少しずつ下げながら、マッシュは緩く立ち上がりかかっているエドガーのものをやんわり掴んだ。
 軽く扱くが、エドガーの眉に小さく皺が寄ったことにマッシュは目敏く気づいた。エドガーは膝近くまで下ろされた衣類から片脚を抜き、もう片脚をしならせて服を振り落とす。そうして膝を立てた様を見て、マッシュは兄の要求を理解した。
 人差し指と中指の二本を自らの口に入れ、滴るほどに唾液を絡ませてからエドガーの足の付け根に近づけていく。花弁のような柔らかな肉に触れると、その場所が蕾の如くキュッと窄んだ。
 指に絡んだ唾液をそこへ塗り込めて、初めは中指の頭を、それから蕾を開かせるように人差し指も。少しずつ穴を解しながら、唾液で滑りを良くした指を奥へ奥へと確実に進めて行く。
 熱い肉壁が指を呑み込むように小さな収縮を繰り返している。その動きに合わせて指先で反応を探りながら中指を付け根まで差し込むと、マッシュの下でエドガーが薄く開いていた唇を緩く噛んだ。
 マッシュはエドガーの後孔を弄るのとは逆の手をエドガーの顔に添え、親指をその下唇に当てる。釣られるように再び開いた唇の隙間へ、やや強引に親指を捩じ込んだ。
 同じタイミングで、マッシュは突き挿していた中指の第一関節をくいっと折り曲げた。内壁を擦るように曲げた動きでエドガーの膝がビクリと跳ね、恐らくは無意識にマッシュの親指を噛む。マッシュは痛みを感じる素振りを見せず、中指に触れている僅かに膨らんだ箇所を執拗に撫で擦り始めた。
「ンッ……、んん、う、んっ」
 ピクピクとエドガーの腰が浮く。入れられた親指を噛まないようにと時折口を開けるのだが、後孔に埋められたマッシュの指が意思を持って蠢く度にその歯はがりりと指に食い込む。
 マッシュは噛まれている指を気にも留めずに、確信したその場所を執拗に責め続けた。マッシュの首に回されたエドガーの両腕、片方の手が背中の服を握り締め、もう片方の手はマッシュのうなじに爪を立てた。
「……シュ、もう、いい、」
 荒い息の合間にエドガーが必死で言葉を紡ぐ。そして立てた膝をマッシュの股間にぐっと押し付けて来た。
 一瞬マッシュの指が止まる。ぐりぐりと腹の下で勃ち上がっているものを押されて、苦痛とは違う意味で眉間に軽く皺を寄せたが、それでもマッシュは更に指の動きを速めて再開した。
「……マッシュ……!」
 焦れたようなエドガーの訴えを無視して、マッシュは中指の腹を強めに当てながら小刻みに指を出し挿れした。マッシュを責めるように見ていたエドガーの目が一回り大きくなり、アッと声を漏らして眉尻を下げる。
 エドガーが脚を閉じようとする。すかさずエドガーの口から指を抜いたマッシュがその太腿の裏を押さえ付け、外側に開かせた。
「アッ……、アッ、マッシュ、指、抜けッ……」
 言葉とは裏腹に、エドガーはマッシュの指に呼応するように腰をくねらせ、自ら絶頂に近付こうとしていた。
「マッシュ、指じゃ、なくてっ……、もう、イ、ク、からっ……」
 エドガーの顎が上がった瞬間、歯を食い縛って頬に力が入ったのと、エドガーの腹に白濁液がぶちまけられたのがほぼ同時だったのを、マッシュはしっかりと見届けた。
 そしてゆっくりとエドガーを貫いていた指を抜き、ふうっと小さな息をついて、その手の甲で額に玉を作っていた汗を拭う。
 エドガーはしばらく四肢から力を抜いてソファに身を任せていたが、やがて伏せ気味だった瞼をゆるゆると開いてマッシュを見上げ、忌々しげに目を吊り上げた。
「抜けって……言っただろう」
 マッシュは苦笑いを見せ、エドガーのこめかみに小さなキスを落とす。
「良さそうだったから」
「こっちが良かったんだ」
 再び立てた膝で股間を押され、マッシュは困ったように笑って首を軽く横に振った。
「ダメだよ、兄貴この後仕事だろう」
「問題ない」
「あるよ、ダメだって。身体辛いの兄貴だぞ」
 納得していないエドガーの頭を抱き起こし、胸に収めてきつめに抱き締める。マッシュがその艶やかな金の髪に頬を寄せると、身体を硬く強張らせたエドガーがぽつりと呟いた。
「……抱いて、欲しかった、のに……」
 マッシュの胸が音を立てる。
 エドガーがここまで言うのは珍しい。余程腹に据えかねたことがあったのだろうか?
 エドガーの身体を思ってとは言え、苛立ちを理由に自分から強引に誘って来たり、短い逢瀬で無茶を強いたりするほど荒れた兄に、ただ快楽を与えただけの行為を施したことをマッシュは少し後悔した。
 口を噤んだエドガーを抱き締めたまま、マッシュは後方の壁に掛かった細工の美しい時計を見上げた。
 予定を三十分も早めた上、普段のティータイムの時間すら過ぎてしまっている。
 そろそろ執務室にエドガーを戻さねばとは思うが、エドガーは離れる気配がない──その上あまりお目にかかれない、しおらしい兄の丸まった背中を離したくないと感じている自分の本音を、マッシュは持て余し始めていた。
「……兄貴」
 背中を抱く手をそっと外し、優しく両肩を包む。釣られるように顔を上げたエドガーの、僅かに尖らせた唇に吸い寄せられるようにマッシュが顔を近づけた時、ドアを高らかにノックする音で二人の身体がビクッと揺れる。
「恐れ入ります。エドガー様、そろそろ執務室にお戻りを」
 大臣の声に顔を見合わせ、エドガーの表情には落胆の影が落ちた。それから小さく吐き捨てるような溜息をひとつ零し、返答をしようとエドガーが開いた口を、マッシュは思わず手で塞いでいた。
 エドガーの驚いた目がマッシュを凝視する。マッシュはバツの悪そうな顔をしながらも、ドアに顔を向けた。
「兄貴、さっき部屋を出たよ。もう向かった」
 しれっとドアの外の大臣に対して声をかけたマッシュを、エドガーは口を塞がれたまま何度も瞬きをして見つめていた。
「そうでしたか、行き違いになったようですな。失礼致しました」
 恐らくはドアの向こうできっちりと頭を下げたであろう大臣の靴音が遠くなる。
 すっかり音が消えてから、マッシュは思い出したようにエドガーの口に当てていた手を離した。
 エドガーは未だ瞬きを続け、何故、と目で問いかけて来た。マッシュは照れ臭そうに一度エドガーから目を逸らして、抱き起こしていた身体を優しくソファに倒す。
「……やっぱり、このまま行かせたくなくなっちまった……」
 ぽつりとそう呟いて、チュッと大きめの音を立ててエドガーに口付けたマッシュは、身体を起こして豪快にシャツを脱ぎ捨てた。
 そしてエドガーを包むように覆い被さり、揺れる眼差しを真正面から見つめて囁きかける。
「時間ないから少し急ぐけど……、無茶させたらごめんな」
 硬かったエドガーの表情がふわっと解れ、伸ばした腕をマッシュの背中に回して強く力を込めて来た。緊張が弛んで控えめな笑みを乗せた唇を耳に寄せ、マッシュ、と嬉しそうに呼び掛けるエドガーの吐息が、マッシュの腰にゾクッと甘い痺れをもたらす。
「……スッキリ、しような……」
 深く唇を合わせて、一度は手放した甘い空気をマッシュは注意深く手繰り寄せる。──救いを求めて手を伸ばして来たこの人を、建前で誤魔化さずにしっかりと愛したい。
 兄の願いに応えるだけではない、こんないじらしい姿を見て平気で送り出せるほど冷静で大人な男ではない──マッシュはすでに抑えきれない熱を孕んだものを、準備を終え待ち侘びるその場所にゆっくりと押し当てた。