遠くから声が聴こえてくる。 近づいてくる高らかな通りの良い澄んだ声は、まるで歌でも歌うように心地よさげに何度も何度もその名を呼びかけた。 「……ニ……、ロニ……、ロニー!」 声がはっきり届く頃にはその存在はすでに傍まで走り寄っていて、振り向くと同時に胸に飛び込んで来た温もりを受け止めたエドガーは、人差し指を立ててしーっと囁いた。 「……こら。その名前は大切だから、大きな声で言っちゃだめだろう」 エドガーの胸にしがみついたまま顔を上げたマッシュは、上目遣いで悪びれずにふにゃりと笑った。 「だって、ロニの方が好きなんだもん」 「もう……何か用があった?」 「ないよ。ロニがいたから走って来た」 あまりに屈託のない笑顔で用事はないと言い切った弟にエドガーも釣られて笑ってしまう。 「ロニだいすき!」 エドガーの胸に擦り付けられたふわふわとした金の羽毛のような頭を、エドガーは優しく撫でながら小さな声で囁いた。 「……おれも大好きだよ、レネ」 その声に弾かれるように顔を上げたマッシュは、無垢を絵に描いたような澄んだ眼差しを嬉しそうに細めて可愛らしく破顔した。 弟はまるで天使のようだとエドガーもまた微笑んだ。 *** 「兄貴」 「ん」 「なあ、兄貴」 「んー」 「兄貴って」 隣に居座る弟のしつこさに負けて顔を向けると、にこにこと悪びれずに微笑むだけのマッシュの顔が予想通りそこにある。 読書中だったエドガーは呆れながらも念のために尋ねた。 「……何か用か」 「ない。呼びたかった」 「お前なあ」 「大好きだよ、兄貴」 日に数回は聞かされる告白にため息をついたエドガーは、おもむろにマッシュの頬を軽く摘んだ。 「お前は子供の頃からちっとも変わらないな」 そう言いながらも摘んだ頬は肉の感触というより皮の存在しかなく、剃られた髭のざらついた手触りは子供の頃のきめ細やかさとは程遠い。 頬を摘まれたまま、マッシュは少しだけ唇を尖らせた。 「そんなことないよ。俺だって大人になってる」 「そうか? どの辺が?」 するとマッシュは頬を摘んでいたエドガーの手を丸ごと掴み、ぎゅっと握り締めて顔を近づけてきた。思わず身を引きかけたエドガーの耳元で、 「愛してるよ、ロニ」 体の中から全身を撫で回すような低い声で囁いた。 ぞくっと背中を竦めたエドガーに、してやったりと口角を上げたマッシュを見咎めたエドガーはむっと目を据わらせる。 「……そういう、兄をからかうような口は……」 こうだ、とマッシュの顔を両手で挟んで強引に口付けると、ふいに呼吸を奪われたマッシュがんー、んー、と呻き声を漏らす。 それでも軽く角度を変えて唇を食むとすぐに大人しくなったマッシュがされるがままに力を抜いた。 薄眼を開けて弟の様子を伺うと、金の睫毛を伏せたマッシュがうっとりと瞼を震わせていた。優しく離れた唇を名残惜しそうに、しかし残る余韻を堪能するかのように蕩けるような微笑みを見せたその表情は子供の頃にも負けない程に純粋で、巨漢の天使もいたものだとエドガーは苦笑した。 |