とあるギャンブラーの受難




 初めて見た時の印象はこりゃいけ好かない野郎だ、だった。男の癖にリボンなんかつけて、発言も立ち振る舞いもやたら気障ったらしくて気に食わない。 ただギャンブルには強そうに見えた。自分に自信のある人間は大勝負に躊躇わないものだ。
 フィガロの王様だなんて宣っていたが、どこまで本当か分かったものではない。とはいえ噂で聞いていた砂漠のフィガロ国王はやたら女好きで老若問わず手を出すスケコマシの遊び人だそうだから、成る程この軽薄そうな男が本人である可能性はなくもない──



 故意に薄められているのか味気のない酒場の酒を舐めながら、セッツァーはぼんやりと物思いに耽っていた。

 自由気ままに空を駆る暮らしから一転、何の因果か天下の帝国相手に喧嘩を吹っかける頭のおかしな連中の仲間になって一年以上が過ぎた。
 危なくなったらさっさとずらかれば、なんて呑気なことを考えていた当時の自分は浅はかだった。喧嘩の相手が帝国からクレイジーな魔導師に変わり、思い出すだけで魘されそうな強烈な魔導の力を見せつけられ、空に浮かぶ大陸から命からがら脱出したものの愛する飛空艇は大破、かろうじて生きてはいたが仲間の生死は知れず一人きり。
 めちゃくちゃになった世界で自棄になって酒を煽る毎日を過ごしていた時、懐かしい顔が三つ訪ねてきた。元帝国将軍のセリス、フィガロ国王エドガー、そして彼の弟のマッシュ。まだ未来を諦めていない仲間の説得で新たな旅を始めてみる気になり、もう一つの翼を蘇らせた。 我が友の飛空艇ファルコン号にこんな形で再会するだなんて、少し前の自分なら考えもしなかったことだ。
 気づけばどっぷり浸かっていたのだ。性別も年齢もバラバラの奇妙な仲間たちに心を囚われてしまっていた。飲んだくれの日々を裂いて現れた三人がどれだけ輝かしかったことか──誰一人希望を失っていない目をしていた。
 セリスは一年も眠り続けていたらしいが、フィガロの双子の兄弟は世界が崩壊した直後からやるべきことをやってきたらしい。体力自慢で筋肉馬鹿のマッシュはともかく、エドガーはやはり一国を背負う王なのだろう。故障したフィガロ城を浮上させるために盗賊のフリまでしていたというのだから恐れ入る。
 オペラ座でブラックジャックに乗り込まれた時は虫の好かない男だと思っていたのだが。いきなり人の飛空艇に乗り込んだ挙句、褒美をチラつかせて言うことを聞かせようとする不遜な態度にカチンときた。確かにただの気障な男にしては妙な風格があって肝も据わっているようだったが、あの時は本当にフィガロ国王なのか確かめようもなかったので疑ったのは仕方がない。
 その冷静な判断と自慢の機械の性能で自然とリーダー的ポジションにあり、今となっては仲間一頼れる男かもしれない。女と見ればいちいち声をかけねば気が済まない性格なのが厄介だが、それが許される容姿なのは認めざるを得ない。双子のはずの弟と違ってやけにキラキラして見えるのは王の威厳とやらが影響しているのだろうか。
 弟のマッシュは確かにエドガーと顔立ちはよく似ているのだが、醸し出す雰囲気が別物というのだろうか、エドガーから滲み出る恐らくは無意識の威圧感がマッシュにはない。明るくて磊落、男女問わず好かれる好青年。双子のはずの兄に比べて背丈のみならず首や腕の太さも一回り違う少々暑苦しい男ではあるが、それでも二人が並ぶとやはり血の繋がりを強く感じさせるポイントがいくつもあった。
 何しろこの双子、見ている方が引くほどシンクロする。話を聞く時の首の傾げ方、考え込む時の指を顎に当てる仕草、くしゃみのタイミングや回数まで一緒だ。
 おまけにいつも行動を共にするものだから、戦闘のメンバー決めでは何となくセットにしなければならないような気がして、パワーの偏りにバンダナを巻いた仲間が頭を抱えていた。
 とはいえ一緒にしておかないと戦闘の内容次第では双方からクレームが来る。いつだったかエドガーが不意打ちを食らって瀕死状態になった時、ブチ切れたマッシュが自分の五倍はあるモンスターを持ち上げてメテオストライクで瞬殺した。そこまでは良いのだが、その後残りのモンスターそっちのけでエドガーにチャクラを施すマッシュの背中を守っていたのはこの自分だったと言うのに、礼の一つも言われなかった。
 エドガーもまた、マッシュがまともに攻撃を食らって吹っ飛ばされた時、どこから取り出したのか奇妙な面をつけて回転のこぎりをモンスターに突っ込み即死させていた。そして持ち場を離れてマッシュの介抱に向かうほどの互いが互いを守る気持ちの強さは結構だが、その横で死にかけている自分のことも少し労ってほしいと何度も思ったものだ。
 それにこの兄弟は異常なまでに仲が良く、三十路手前の男同士にしては日頃の密着度が高すぎる。街に辿り着けずにテントで夜を明かした時、寄り添うを通り越して抱き合って眠っていたのを見てしまって変な声が出た。その行動のおかしさを説いても二人は意に介さず「兄弟だから」で済ませてしまう。兄弟でも限度はある。
 つまりあの双子は極度のブラコンなのだ。まともに相手をすると面倒臭い部類の生き物なのだ。だから本当は関わりたくないというのに、二人揃ってのデカイ図体は存在感があり過ぎて勝手に視界に入って来る──おかしい、再会の喜びに浸っていたはずなのに何故か気持ちが沈んでいく。

 気づけば酒場の客はセッツァーだけとなり、マスターが時折咳払いで店仕舞いをアピールしている。あからさまな態度に舌打ちしつつも従わざるを得なかったセッツァーは、酒場を出て宿の部屋に向かった。
 ファルコンは寝所の備えが充分ではなく、セリスが女性ということもあって今夜は宿で眠ることにしていた。薄暗い廊下を足音を殺しながら進み、ポケットから取り出した懐中時計を確認する。日付はとっくに変わっている。この時間なら三人ともぐっすり眠っているだろう。 眠っていて欲しい。
 割り当てられた部屋はフィガロの双子とセリスの部屋の間。宿代を節約するため一部屋のみで良いと兄弟が言い出し、体格の良い二人が決して広くない部屋に押し込まれている。セリスが双子の部屋から一つ空いた角の部屋を選んだため、必然的にセッツァーが真ん中を強いられた。
 そうっとドアを開き、滑り込むように中に入って一息つく。あまり酔えなかったがもう寝てしまおう──セッツァーは胸元をくつろげて早々にベッドに潜り込んだ。
 目を閉じて体の力を抜く。明日も戦いに身を投じるのだ、早く休まねば。
「……」
 ギシギシと木の軋む音が聞こえる。
「……」
 どこか遠く、いやそれほど遠くでもない場所、というかかなり近く、多分間違いなく薄い壁一枚挟んだ向こう側──あの双子の部屋からギシギシ規則的な音がする。

『……ツァーに……聞こえ……』
『大丈……えてない……』

 いや聞こえてますけど?
 ギシギシ耳障りな音の合間の荒い息遣いとかボソボソ呟く声丸聞こえですけど?
 この安宿の壁は恐ろしく薄くプライバシーの欠片も守られない代物のようで、おまけに恐らく壁を挟んで隣り合うようにこちらと向こうのベッドが並べられているものだから、それはもうすぐそばで臨場感溢れる音がこれでもかというほど伝わってくる。
 クソッ、何が宿代の節約だ──自分はそれならセリスと相部屋しようかと持ちかけて九割本気で殴られたというのに。
 セリスが何故あんなに熱心に自分を旅に誘ったのか、今ならよく分かる。この双子と三人で旅を続けるのは限界に来ていたのだろう。自分を見つけた時のセリスの目の輝きにちょっと喜んで損した。
 女好きを強調している癖に、礼儀と称して実際に手を出す素振りがないと思ったらこれだ。日頃人を食ったような態度で偉そうにしている男が啜り泣きとも取れる嬌声を上げて弟の名前を連呼している。
 弟は弟で普段あれほど兄貴べったりの犬のような無邪気さを振り撒いているのに、夜になったら別人のように低い声できれいだとかあいしてるだとか似合わない言葉を吐いている。低く響きのある声は甲高い声なんかよりもずっとはっきり壁を突き抜けて来る。まるで耳元で囁かれているかのような臨場感──ギシギシ軋む音の速度が上がって来ているのも分かり過ぎてあいつらの存在を丸ごと消したい。
 ていうかお前ら何戦目? それぞれ部屋に入った頃から三時間は潰して来たのに、なんでまだ真っ最中なの? ひょっとして休憩挟んだ? 時間潰しの作戦大失敗?
 こうなったら眠ったもん勝ちだ。全力でミシディアうさぎを数えるしかない。ミシディアうさぎが一匹、ミシディアうさぎが二匹……

『あ、あ、あ……』
『待っ……一緒に……』

 ベヒーモスが三匹! ベヒーモスが四匹!

『あ、ああ──』

 ──いやマジで無理。

 がばっと起き上がったセッツァーは、乱暴に毛布を蹴り飛ばしてベッドから抜け出し、煙草のみを握り締めて部屋を後にした。
 明日のファルコンの整備も操縦も全部あいつらに押し付けよう。どうせツヤッツヤで起きてくるに決まっている……セッツァーは血走った目を据わらせながら、一人宿の外で紫煙を燻らせた。




 ***




 風を切る飛空艇から眼下に見下ろす景色が緑に染まっていく──
 その美しさに仲間たちは歓声を上げ、平和を取り戻したことを空からはっきりと確認して喜びを分かち合った。
「兄貴、ほら!」
 隣の弟の声に導かれてエドガーが地上を覗き込むと、砂漠の中に佇むフィガロ城の雄大な姿が見て取れた。
 兵士たちがチョコボに乗って飛空艇を讃えるように城の周りを駆けている。彼らにも伝わったのだろう、悪は滅び戦いが終わったことが。
 エドガーは愛する国を守り抜いたことに微笑み、横で懸命に手を振るマッシュを愛おしげに見つめた。
 マッシュもまたエドガーの視線に気づき、優しい笑みを返す。
「……終わったな」
「ああ、終わった」
 エドガーの胸がちくりと痛んだ。全て終わった──それはこの旅の終わりもまた示していた。
 仲間たちと、……マッシュと、こうして過ごすことはもうなくなる。それは旅の目的を果たしたという意味では喜ばしいことなのに、心の何処かが寂しさで萎んだ。
 しかし我儘は言えない。マッシュの道はマッシュが決め、その決断を咎める権利は自分にはない。エドガーはかねてから用意していた言葉を告げるべく口を開く。
「マッシュ、お前は……」
 もしも窮屈な城にマッシュが留まることを良しとしなければ、その旅立ちを笑顔で見送れるように──エドガーは覚悟を決めた。
「……好きにしていいぞ。城を出たければ自由に」
「行かないよ」
 被せるようにきっぱり告げたマッシュの言葉の意味をすぐに理解できず、エドガーはらしくなく呆けた顔で瞬きをした。
「行かないよ、どこにも。兄貴の傍にいる。兄貴の支えになるって言っただろ?」
 その迷いのない微笑みがエドガーの胸を締め付ける。
「しかし、お前……」
「もう十年たっぷり自由にさせてもらったよ。これからは一番近くで兄貴を守りたい。傍に、いさせてくれよ」
「マッシュ……」
 思わず震えた指先を見下ろすように俯くと、マッシュの指がエドガーの頬に触れた。あ、と思う間も無く顎を掬い取られる。仲間たちもいる甲板の上で近づいてくるマッシュの顔にエドガーは戸惑った。
「馬鹿、こんなところで」
「誰も気づいてない」
「……ん……」


 いや気づいてるよ?
 甲板の先端で風浴びて浸ってるティナ、下の景色見て騒いでるチビたちや爺ども、後ろで転がってる獣たちやイチャついてるロックとセリスは知らんが、お前らの至近距離で操舵握ってる俺からは一挙一動丸見えなんですけど? お前ら二人揃いも揃って人並み以上のクソデカい体でめっちゃ存在感あるの忘れんなよ?
 大体誰が見てなくてもこんだけ人のいる甲板でやらかすにはちょっと節操がなさすぎるんじゃないか双子よ? お前ら俺がちょっと操縦揺すったら簡単に地上に振り落とせるからな? 寧ろ今すぐ後ろから蹴りぶち込んで最短距離で里帰りさせてやろうか?
 あーもう腰に手回して二人の世界作っちゃってるけど隠すのも諦めたな? て言うか長くない? いつまでしたら気ぃ済むの? マッシュお前意外にテクニシャンな感じのキスするんだなって知りたくもない知識増やされた俺の気持ちが分かるか? 世界の平和を素直に喜べないこの俺の慟哭が分かるのか???


 セッツァーは涙を堪え、舵を握る手に渾身の力を込めて新たな愛機ファルコンと共に風になった。
 その日世界記録を更新した最速のギャンブラーは、日暮れまで空を駆け抜けた。