取扱注意




 一国を預かる王ともなれば、謁見を求める人々が後を絶たない。代わる代わる現れる様々な業種の人間が、頭を垂れて自身を売り込む。
 昨日は薬師、その前は武器商人。自称芸術家に大道芸人、ありとあらゆる職業の者から話を聞くのは、時間が有限でさえなければなかなかに興味深いものだった。
 さて、本日フィガロ国王エドガーの前に進み出たのは城下で話題という新進気鋭のデザイナー。
 小柄な身体を倍ほどにも見せるふんわり広がったスカートのドレスには、至る所にレースやフリルがあしらわれていた。
 彼女が持参したデザインカタログを手に、甲高い声でコンセプトを語るデザイナーの話に相槌を打ちながら、エドガーはパラパラとページをめくる。
 彼女が自ら手掛けたというデザイン画の数々は、成程洒落っ気があって品も感じられる。悪くないねと微笑むと、彼女は両手を握り合わせて喜びに目を輝かせた。
 ふとエドガーの指が止まる。
 『男性用下着』と表題に記されたページで思わず眉を持ち上げたエドガーは、妙齢の女性が大胆な、と苦笑いしながら興味深くその紙をめくった。
 そこに描かれていた、腰の左右両側に当たる部分が紐で蝶々に結ばれ、布地の前面は総レースで中央には小さなリボン、裾は可愛らしいフリルで飾られた尻を覆う下着のデザイン画に絶句したエドガーは、思わず取り落としそうになったカタログを慌てて押さえた。
「陛下、どうかなさいまして」
 不思議そうに玉座を見上げるデザイナーに作り笑いを浮かべ、エドガーはもう一度前のページに戻って表題を確認した。確かに『男性用』とある。
「何かお目に留まるものでも?」
「い、や……、なかなかに個性的だなと思って、ね」
 そう取り繕いつつエドガーが軽く倒したカタログの開いていたページがチラリと見えたのか、デザイナーは切れ長の目を大きく見開いて一足飛びに玉座へ詰め寄ってきた。傍に控えていた兵士が手にした槍を構えるのも間に合わない速さだった。
 咄嗟に警戒体勢を取りかけたエドガーへ、デザイナーはキラキラとした目を感激に潤ませて、興奮を抑えきれずにまくし立て始めた。
「ああ、陛下ならお分かりになってくださると信じておりましたわ! そのお美しい御髪に愛くるしいリボンをあしらわれるセンスをお持ちの陛下ならば!」
「いや、これは我が国伝統の王の装いで」
「ご謙遜なさらないでくださいまし! この下着の素晴らしさが伝わって嬉しゅうございますわ! 男性が見えないところをお洒落に飾る……嗚呼なんて素晴らしいのでしょう! そうだわ、サンプルがございますの! 是非お召しになってくださいまし! きっとお似合いですわ!!」
 息をつく暇もないほどの言葉の弾幕を吐き出して、傍らに備えていたトランクを豪快に開け放ったデザイナーは、中から無造作に掴んだ布切れを小柄な体格からは想像できないほど荒々しくエドガーに押し付けた。
 あまりの強引さにうっかりそれを受け取ってしまったエドガーは、自らの手の中でくしゃりと潰れたレースと細い紐のリボンがついたパステルブルーの下着を見下ろし、言葉を失ってただ顔を引きつらせた。



 ほとんど無理矢理に受け取らされた下着の両端、左右のリボン結びを指で摘んで広げ、私室にてまじまじと眺めること数分。
 裾にフリルがあしらわれた下着など当然ながら持っているはずがない。中央の可愛らしいリボンも、前面総レースも、布面積のあまりの狭さも、ましてや両端を紐で結ぶなど、攻め過ぎではないか……エドガーは爽やかなパステルカラーの水色に目をチカチカさせ、小さく畳んでひとまず机の引き出しに押し込み、ふうっと深い息をついた。少々頭痛がする。指先でこめかみを押さえて瞼を下ろす。
 これを履けと言うのか──口の中で呟いて、この破廉恥な下着を身に付けた自身の姿をうっかり想像した。似合うかどうかなど分かるはずもないが、重ねて思い浮かべたのは双子の弟であるマッシュの顔だ。
 実弟でありながらエドガーの恋人でもあるマッシュとは、当然身体の関係もある。愛を確かめ合って数年経つものだから最初の頃ほどの新鮮さはなく、行為にも慣れて多少のマンネリ化は否めない。
 もしもこの下着でベッドに横たわったら、マッシュはどんな反応を示すだろうか? エドガーは目を閉じたまま薄っすら頬を赤らめた。
 日頃、エドガーに関してのみ目敏いマッシュはちょっとした変化にも即座に反応してくれていた。
 新しくした髪留め、ストール、リボンの布の質まで、新調したものにすぐ気付いて決まって手放しで褒めてくれる。下着だってマッシュなら気付くのではないか?
 兄貴は何だって似合う──いつもの言葉が本心であったとして、このような可愛らしい下着姿を見せても同じ言葉を捧げてくれるだろうか。
 そもそもマッシュはこういった下着は好むのか? 首を捻りつつ、エドガーはそろそろと目を開いてもう一度引き出しに手をかけ、しまい込んだ下着を引っ張り出した。
 畳んでいた布地を広げて服の上から腹の下に当てて、その小ささに声を詰まらせつつもエドガーの青い瞳は迷いに揺れた。




「もう酒、いいのか?」
 ほとんど習慣になってしまった就寝前のワインに、珍しくグラスに二口ほど唇を当てた程度で手をつけなくなったエドガーに対し、マッシュが不思議そうに声をかけた。
「ああ」
 短く答えたエドガーは、その癖寝支度を始める訳でもなくソファにゆったり構えて背凭れに腕をかける。チラリと横目でマッシュに視線を投げれば、ようやくエドガーの意図を理解したのか対面のマッシュがおもむろに立ち上がった。
 エドガーの太腿の横に膝を乗せ、背中を屈めたマッシュの顔が降りてくる。マッシュの行動が正解だとでも言うかのように、伸ばした腕を逞しい首に絡めたエドガーはしっとりと目を伏せた。
 ──よし。順調だ。
 心の中で深く頷いたエドガーは、ここ一週間ほど早寝を徹底して夜の生活をご無沙汰にした作戦が功を奏したと、マッシュのうなじに掠らないように拳を握り締めた。
 なんたってこのデザインだ。不発に終わったら恥ずかしいし情けないし虚しいじゃないか──着替えのタイミングが合わないことを考慮し、思い切って朝から身につけている布地の小さな下着では下半身がそわそわと落ち着かない。
 気合いを入れて仕込んだ下着が、お披露目する機会もなく終わるという事態だけは避けられた。後はマッシュが下着に気づいてくれさえすればと、祈りを込めて眉間に皺を寄せた時、ひょいっと身体が宙に浮いた。
 エドガーが目を開くと、軽々とエドガーを抱き抱えたマッシュがはにかむように微笑んで、軽い口づけをエドガーの唇に落とす。
 目線を合わせて笑みを浮かべ、エドガーがマッシュに身を任せると、マッシュの腕が揺りかごのように優しくエドガーを揺らしながらベッドへと連れて行ってくれた。
 ふんわりと兄の身体を降ろし、エドガーの上にのし掛かったマッシュが至近距離で瞳を覗き込んで来た。その静かに情欲の炎を燃やす青い目を前に息を呑んだエドガーは、普段よりも自分の胸の鼓動が速いことに気付いてた。
 マッシュはコレを見てどんな反応を示すだろうか。まさかマッシュに限ってドン引きで萎えるなんてことはないとは思うが、万が一悪い反応であった場合はどうやって場を取り繕うべきか。
 いいやきっと大丈夫だ、マッシュだって案外こういうのが好きなはずだ。興味がなければ目覚めさせてやれば良いのだ。
 そっと目を閉じると、待っていたとばかりに深い口づけが降ってくる。呼吸ごと吸い取られるような激しいキスに眩暈を感じながら、早く脱がせて欲しいともどかしく腰を揺らした時。
 閉じた瞼ごしでも分かる、フッと世界が暗くなる感覚。枕元にあるランプの灯りが消されたと理解したのも束の間、マッシュの荒々しい手がエドガーの下衣を掴んで下着ごとつるんと下半身から引き抜いた。
 思わず目を見開いたエドガーの視界は真っ暗だったが、放り投げられた布地がパサッと遠くの床に落ちた音はしっかり耳でキャッチした。
 下半身に触れる外気の感触に呆然としているエドガーなど知る由もなく、首筋やら鎖骨やらにせっせと唇を当てているマッシュの下でわなわなと震えたエドガーは、固く握った拳を振り上げて勢いよく下ろした。
「違う!!」
「痛!!」
 突然拳骨で頭を殴られたマッシュの輪郭ががばっと身を起こし、両手で負傷箇所を押さえたのが分かる。闇の中で未だ拳を握ったままのエドガーは、見えないと分かっていながらマッシュを睨みつけた。
「な、何すんだよ、違うって、何が」
 泣き出しそうな声で訴えるマッシュに対し、エドガーもまた身を乗り出して食ってかかる。
「何でさっさと灯りを消すんだ!」
「だ、だって、いつも兄貴が早く消せって言うじゃん」
「今日は違うんだよ……! おまけにこんな情緒もクソもない脱がし方で……!」
「だって、久しぶりで気が急いて……」
「だってだってうるさい、やり直し!」
「ええ!?」
 そんなあ、と弱々しく漏れるマッシュの抗議を無視し、エドガーは手探りで周囲に手のひらを滑らせた。衣類が当たる気配はなく、やはり先ほどの音はマッシュが脱がした服を遠くに放り投げたものだと確信して小さく舌打ちをする。
 仕方なくベッドを軽やかに降りると、マッシュが焦ったように「兄貴」と声をかけて来た。
「すぐ戻るから、お前は灯りをつけ直しておけ」
 鋭く命じたエドガーは、下半身のみ何も身につけていない状態で闇に注意を払い、記憶を頼りに先ほど聞こえた音の方向を捉えて下着が着地したと思われる位置に膝をついた。
 腕を伸ばして広げた手のひらで床を探る。恐らくこの辺りに落ちているはずだ、と両手を走らせるがなかなか手応えがない。
 膝立ちで探していたのが面倒になって、ほぼ四つん這いのような格好で床をくまなく撫でていた時、闇だった視界が不意にぼんやりと明るくなり、身体一つ分ほど手前に下衣と下着が蹲っているのが目に映った。
 見つけた、と這うように前進しかけたエドガーは、視界が明るくなった理由と自分の姿、マッシュのいる位置が背後であることなど様々な情報をじわじわと理解して行く。
「兄貴、つけ直した、よ……!!?」
「ばっ、馬鹿、ちょっと早い!!」
 慌ててその場に正座したエドガーが、顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
 先に全部見せてしまっては意味がない、今回の趣向はそうではない。
「もう一回消せ!」
「えー!? またー!? つけるの面倒臭いのに……」
「お前が変なタイミングで消すから悪いんだろう!」
 納得していない様子のマッシュだったが、渋々といった調子で再びランプに手を伸ばす。その数秒後に部屋が暗くなったことを確かにその目で確認したエドガーは、先程覚えた場所に素早く手を伸ばして放り投げられていた下着を取り戻した。
 暗闇で触りながら確かめると、脱がされた時に摩擦か何かで引っ張られたのだろう、紐が解けてしまっている。
 こんな姿見せられるはずがない、灯りを消させて正解だったと赤い顔のまま股の下に布を通して両腰で紐を結ぶエドガーは、さっきは少し紐が緩かったのかもしれないとややきつめに、そして大急ぎで蝶々をふたつ拵えた。
 もうかなり興を削がれてしまっているため、下衣は履き直さなくても良いだろう──準備を整えたエドガーは、深呼吸していざ出陣と早足でベッドへ舞い戻った。
 ぽつんとベッドの端に座り込んでいるマッシュの影へ、「灯り、いいぞ」とぶっきら棒に指示をした。マッシュは深い溜息を返答代わりにして、もぞもぞとランプの方へ動いて行く。
 理不尽に怒り過ぎただろうかとマッシュのテンションの低さを不安げに眺めながら、エドガーは恐る恐る身体を横たえた。
 もしもこれでマッシュがこの下着に興味を示さなければ、甘い夜どころか葬式状態を覚悟せねばならないかもしれない。頼むから食い付いてくれと、胸の前で両手を組んだエドガーの下ろした瞼の向こう側がふわっと明るくなった。
「ほら、つけた、よ……」
 マッシュの言葉が途切れる。
 これは見たに違いない、しかしどちらの反応だろうか──緊張で気分が悪くなってきたエドガーがそろそろと目を開くと、横たわるエドガーの前に膝立ちになっていたマッシュが、顔のみならず耳や首まで赤く染めてエドガーを見下ろしていた。
 不自然な速さでぱちぱちと瞬きを繰り返し、やがて口が半開きであることに自ら気づいたのか、口元を手のひらで覆ったマッシュは一度恥ずかしげに視線を逸らす。しかしすぐに横目をエドガーに向け、瞼を浅く瞳に被せてわざとらしく小さな咳払いをした。
「あー……、そういうことか」
 独り言のように呟いたマッシュが口から手を離し、まだ赤い顔のままでゆっくりエドガーににじり寄ってくる。
 エドガーの顔と下半身を交互に眺めたマッシュは、恐らくは照れ臭さを隠すために怒ったように唇を尖らせた。
「こんなの、何処で用意したんだ……?」
 臍よりずっと下の布地の始点、中央の小さなリボンをマッシュが指先で弾く。思わず腰が震えるのを抑え切れなかったエドガーは、それでも恥ずかしさを押し殺して口を開いた。
「お前は、こういうの、好きかな、と」
 質問の答えにはなっていないが、反応を見定めるには必要な問いかけだった。
 案の定再び口を尖らせたマッシュは、満更でもなさそうにうろうろと視線を彷徨わせる。
「……こういうこと言ったら、兄貴、怒るかもしんないけど」
「……、怒らないから言ってみろ」
「……可愛い、よ。ドキッとした」
 良かった、当たりだった──可愛いだなどと他人に言われても嬉しくも何ともないが、マッシュからの言葉とあれば最上級の褒め言葉となる。
 これで苦労が報われて甘い空気が戻ってくるぞとエドガーは胸を撫で下ろし、後は全てマッシュに任せようと満足げに微笑んだ。
「……ちょっと、そろそろ限界なんだけど……、中身をいただいても良いでしょうか」
 中央のリボンが気に入ったのか、先程のように指で弾きながら不似合いな敬語で尋ねるマッシュに頬を緩ませ、エドガーは「許可しよう」と悪戯っぽく答えた。
 いよいよこの下着の真骨頂、紐が解かれる瞬間を目を閉じて胸を高鳴らせながら待っていたエドガーの耳に、「あれっ」という間抜けな声が届く。そして紐が引っ張られる感触は伝わるのだが、一向にハラリと解けないことに眉を寄せた。
「兄貴……、これ、固く結ばれてて解けない……」
「何っ」
 ぱちっと目を開いたのと同時に身体を起こして腰を見やると、蝶々結びにしたはずが丸々と固い岩のような結び目が真ん中に鎮座する本結びになってしまっている。
 暗闇で慌ててきつめに結んだせいで失敗していたか、とエドガーの表情が苦々しく歪んだ。
「な、何とか解いてくれ。折角紐がついてるんだし」
「う、うーん、焦ると余計に……、クソッ、なかなか解けねえな」
「頑張れマッシュ」
 エドガーが声援を贈るが、マッシュの無骨な指は固い玉になってしまった結び目を緩めることに苦戦している。
「くっ……、んんっ……、……これこのまま脱がしちゃダメ?」
「駄・目・だ!」
 それでは紐つきの意味がない──鋭い目つきのエドガーとは裏腹に情けなく眉を垂らしたマッシュは、もう一度結び目をちょこちょこと弄って肩を落とした。
「もう、引きちぎっちゃダメかな……」
「馬鹿っ、これ一点物だぞ!」
 顔色を変えたエドガーを見て、マッシュががりがりと両手で頭を掻き毟る。
「あ〜〜〜、焦れったい!」
「どうにかしろ、この下着履くのに俺がどれだけ勇気出したと思ってる!」
「そんなこと言ったって、解けねえんだよお」
「このまま脱がすのと引き千切る以外で何とかしろ!」
「そんなの無理だろ……っ、あっ」
 投げやりに結び目を引っ張って離したマッシュの指がエドガーの足の付け根側から布地に引っかかり、チラリとめくれて一瞬肌色がお目見えした。
 エドガーとマッシュは顔を見合わせ、それから仄かに頬を染める。
 ──これはこれでアリか。
 チラリズムのエロスで妥協した二人は、結局下着を脱がさずにずらすという案を採用して無理矢理に甘い夜を取り戻した。