Sweet Valentine's Day




 部屋に入ったり談話室に意味もなく立ち寄ったり果ては甲板で体操をしたりと、落ち着きのない自称トレジャーハンターが朝からずっと至る所で視界に入ることに溜息をついたセッツァーは、なるほど今日は十四日かと新聞の日付を確認して肩を竦めた。
 青春だねぇと他人事のように呟いて、喉の渇きを潤すために訪れたキッチンにて、噎せるような甘い匂いが立ち込める中で華やかな女性陣三人に囲まれた巨体を見つけて眉を寄せる。
「ねえマッシュ、どのくらい刻めばいいの?」
「細かい方が溶かす時楽だぞ。まあ、面倒だったら手で割ってもいいけどな」
「マッシュ、卵いくつだっけ……」
「みっつあれば充分だ」
「筋肉男〜、腕が疲れたよ〜」
「しっかり泡立てないと失敗するぞ。こう、ピンとツノが立つくらいまで頑張るんだ」
 セリス、ティナ、リルムから次々と受ける質問に笑顔で答えるマッシュは、その間も常に自分の手を動かして何やら調理を進めている。
 まああの大きな手でちまちまとよくやるもんだ──感心を通り越して呆れた表情のセッツァーが奮闘する四人に声をかけた。
「水飲みてえからちっと場所開けてくれ」
 その声に振り返ったリルムが頬を膨らませた。
「ちょっと傷男、今男子禁制だよ」
「その図体のデカいヤツはどうなるんだよ」
「マッシュは先生だから……」
 ティナがはにかんだ笑みを見せて、コップを手にして水を注いだ。手渡されたセッツァーはやれやれと受け取る。
「まあ、期待し過ぎて落ち着かねえヤツもいるみてえだからな。成功を祈ってるよ」
 中身を一気に飲み干して空になったコップをティナに返して軽く礼を言い、セッツァーは後ろ手に手を振ってキッチンを離れようとした。廊下に身体半分はみ出して顔を上げた時、前方からマントを靡かせ涼しげに歩いてくる男を見つけて、男子禁制だってよと声をかける。
「マッシュがいるだろう」
「あいつは特別講師だとさ」
 やや不満げに眉を顰めたエドガーがセッツァーの肩越しにキッチンを覗き込むと、丁度ケーキの型をオーブンに放り込んだマッシュが兄の気配に気づいて笑顔を見せた。
「兄貴」
「やあマッシュ、順調か?」
「もちろん」
 マッシュは残りの手順をあれこれと女性陣に指示して、焼き上がる頃に戻るよと言い残しエドガーの元へやって来た。
「いい匂いだな」
「兄貴好きだもんな、ガトーショコラ」
 目の前でにこにこと笑い合う双子に視界を塞がれたセッツァーは、邪魔な二人を押し退けるようにキッチンを抜けて歩き出した。しかし意図的なのかそうではないのか、後ろからついてくるエドガーとマッシュの会話が嫌でも耳に入ってくる。
「レディたちも頑張っているようだな」
「ああ、小さいガトーショコラたくさん焼くんだって。後でみんなに配ってくれるみたいだぜ」
「お前が作っていたのは……」
「あれは兄貴専用だよ。オレンジピールとキュラソー入れて焼いてる」
「ふふ、それは楽しみだ。濃厚なやつがいいな」
 実に嬉しそうなエドガーの声にざわざわと背筋に嫌な寒気が走るのを感じながら、セッツァーは極力背後の会話に関わるまいと自室を目指す。
「来月のホワイトデーは何作ろっか」
「そうだな、無難にクッキーもいいが……お前のビスコッティがまた食べたいなあ」
「うん、いいよ」
「ちょっと待て」
 条件反射のように振り返ってツッコミを入れてしまう自分に舌打ちをしながらも、セッツァーは今の会話の矛盾点を指摘せざるを得なかった。
「来月もお前が作るのか?」
 指を刺されたマッシュは不思議そうに頷く。
「そりゃそうだ」
「ホワイトデーってのはお返しの文化じゃねえのかよ」
「私がキッチンに立つと皆怒るじゃないか」
 当然とばかりに主張するエドガーの料理の腕が壊滅的なことはセッツァーもよく知っている。とは言えお返しは手作りである必要はない。
「別に作らんでも適当なもん買ってくりゃいいだろ」
「いいんだよ、俺が好きでやってるんだから」
「じゃあこいつはお前に何よこすんだよ」
 不躾に指を刺されたエドガーが瞬きし、数秒考える素振りを見せてから、マッシュに顔を向けて艶っぽく微笑みかけた。
「愛」
「兄貴……!」
「お前もそれで喜ぶな! チョロいな!」
 セッツァーの存在を忘れて見つめ合う二人のチョコレートより甘い空気に、やはり関わるんじゃなかったとセッツァーは顔を顰めて踵を返した。



「何も用意していないとは言ってないんだがな」
 マッシュの頑丈な太腿に腰を下ろし、琥珀色の液体が揺れるグラスの中身を一口含んでテーブルに置いたエドガーは、にこにこと微笑むマッシュの首筋に腕を絡めた。
「この酒、チョコレートに合うだろう?」
「うん……、凄く良い香りだ」
 若干アルコールが回っているのか、とろんと目尻を下げたマッシュが鼻先が触れ合いそうな位置にあるエドガーの顔を見つめて口元を緩める。
「甘ったるいチョコレートばかりではな。舌が痺れるくらいの刺激も必要だと思わないか」
「目の前の景色が充分刺激的だよ……」
 形の良い唇に美しい笑みを乗せたエドガーは、そのままの口でマッシュの鼻先にキスを落とし、肩に頭を乗せてしなだれかかる。その背を優しく支えたマッシュは、ピアスが揺れる耳朶に唇を寄せて囁いた。
「酒もいいけど、やっぱり愛が欲しい……」
 ふっと口元を綻ばせたエドガーが、同じくマッシュの耳に吐息を吹き込むように告げる。
「俺の愛は濃厚だぞ、ガトーショコラよりもな」
 笑い合って軽く唇を重ね、もう一度深く口付けを交わした後は二人きりの甘い空気に酔い痴れるだけ。