Happy White Day




 昼食の後片付けが終わってからマッシュがキッチンにこもり始めて早三時間。
 そろそろ午後の買い出しの時刻になるというのに出てこないマッシュを心配し、エドガーが覗きに行ったキッチンはバターの香ばしい匂いに包まれていた。
「マッシュ」
 呼びかけに笑顔で振り向いたマッシュの隣に並び、ずらりと並んだ出来立ての菓子を見下ろしてエドガーは嘆息する。
「また随分と作ったな。クッキーと……マカロンか。よくもまあ器用に可愛らしく作るもんだ」
 アクセントの苺ジャムの赤が鮮やかな絞り出しクッキーと、様々なパステルカラーを揃えたマカロン。仲間の女性たちが目を輝かせる様を想像してエドガーもまた目を細めた。
「これくらいあれば充分だろ。後はラッピングしてティナたちに渡せばお返し完了だ」
「お前の見た目に反した細やかさには恐れ入るよ」
 エドガーの言葉にひでえなと返しながらも朗らかに笑ったマッシュは、それから何かに気づいたようにハッとしてから時計を振り返って困った表情になった。
「そうか、買い出しの時間か。まだラッピング終わってないんだよな……オーブンが小さいからたくさん焼くのに手間取って」
「買い出しは俺一人でもいいさ。お前こそ一人でホワイトデーのお返しの準備を一手に引き受けているんだから」
 先月のバレンタインデーにティナ・セリス・リルムから手作りのガトーショコラを振る舞われた男性陣であるが、その一ヶ月後の本日がホワイトデーであることに重きを置いている者は少なかった。
 カイエンなどホワイトデーの存在すら認知しておらず、適当に飴でもやっとけというセッツァーに苦笑いして「俺が何か作ろうか」と告げたマッシュの提案に全員が乗ったのだ。ロックだけは個別に誰かへのお返しを用意している風ではあったが。
 しかしよく考えればバレンタインデーの時だってマッシュが女性たちにガトーショコラの作り方を教えていた。その上ホワイトデーまで自分で用意させられるとは、マッシュばかり負荷が多過ぎはしないだろうか。
 エドガーが心配そうに眉を寄せたのを見てマッシュはにこりと微笑む。
「大丈夫だよ、これ終わったら兄貴用のビスコッティも作るからな」
 あまりにお人好し過ぎる弟に苦笑を通り越して呆れ顔になったエドガーを、不思議そうに見つめたマッシュが首を傾げた。


 一人で買い出しに出たエドガーはメモを確認しつつ必要なものを揃え、帰艇前にふとナッツの量り売りの店の前で足を止めた。
(流石に手ぶらはまずいか。胡桃を買っておけば間違いはないか……)
 胡桃はマッシュの好物のひとつで、いくら食べても食べ飽きないと嬉しそうに頬張っている姿が思い起こされ、足先を店へと向けた。
 とは言え女性たちへのお返しを一人で作らせている上にエドガーのための菓子まで用意しているマッシュに、胡桃一袋では割に合わないかもしれない。
 エドガーは隣の酒屋にもチラリと目線を向ける。
(そういやこの前しばらく麦酒を飲んでいないと言っていたな……旨い地麦酒でも……)
 どちらもマッシュの好物ではあるが、普段から親しんでいる珍しくもないもので誤魔化しても良いものだろうか。
 いっそ身に付けるものでも、とエドガーは道の向かい側にあるアクセサリー屋を振り返った。
 ピアスは少し前に揃いで購入したばかりだった。首回りの装飾は戦闘の邪魔になるからとマッシュはあまり好まないし、腕も……バングルくらいなら……いややはり邪魔になるか……リストバンド……地味……
 難しい顔で腕組みをしたエドガーはナッツ屋の女将が不審げにこちらを見ていることに気がつき、愛想笑いを浮かべてとりあえずはと胡桃を袋に詰められるだけ購入した。
 さてそれでどうするか。胡桃も麦酒も高級品とは言い難いし、何しろあいつは物欲がなさすぎる──マッシュの欲しいものがさっぱり思い浮かばないエドガーは、また眉間に皺を寄せて大きな溜息をひとつついた。


「……と言う訳で、だ。お前、好きなの選べ」
 腕組みをして椅子に腰掛けるエドガーと、その様子をきょとんとした顔で眺めるマッシュとの間、テーブルの上には胡桃の入った袋と麦酒瓶とバングルとリストバンドが並べられていた。
「勿論全部でも構わん」
「こ、こんなに? 俺お返しなんて別に──」
 困ったように頭を掻いたマッシュが眉を下げる。
 昼間マッシュが心を込めて作ったクッキーとマカロンは女性陣から大好評で、和やかに過ぎたホワイトデーの夜も更け、ビスコッティと紅茶を揃えて部屋に場所を移したマッシュの前にエドガーが広げたお返しの品は、散々迷った結果がそのまま表れていた。
「そう言わず選べ。どれも気に入らないならすまんが、俺だけ何もなしでは格好がつかんからな」
「バレンタインデーの時酒持ってきてくれたじゃん」
「それはお前が作ったガトーショコラと相殺だ。……なんだ、ひょっとして欲しいものがなかったか……?」
 全て外れを引いただろうかと不安げに顎を引いて上目遣いになるエドガーに対し、マッシュは少し躊躇うようにこめかみを爪で掻き、落ち着きなくうろつかせた目線を一度下に向けてから改めてエドガーの前で顔を上げた。
「……この中から、どれ選んでもいいの?」
 やけに念を押すようなマッシュの口調を不思議に思いながらも、エドガーは頷く。
「ああ」
「本当に? ……どれでも?」
「……? お前の好きなものを」
 訝しげに眉を顰めたエドガーの返答を受けたマッシュは、おもむろに椅子から立ち上がった。
 予想外の動きにビクリと肩を揺らしたエドガーの真横に立ったマッシュは、軽めの深呼吸をひとつ、そしてぱちぱちと瞬きを繰り返すエドガーの膝裏に片手を差し入れたかと思うと、そのまま兄の身体をひょいっと抱き上げた。
「……!? マッ──」
 理解が追いつかなかったエドガーの唇を摘むように盗んだマッシュは、はにかんだ笑みを見せて腕に力を込め、選んだエドガーをベッドまで攫って行った。