「あー、あちー、マジあちー。お前んち見た目より全然あちー。なんでエアコンつけないんだよー、ホントあちー」

 碁盤の前でだらしなく足を崩し、右手にアイスバー、左手には汗を掻いたコップを手にして、それしか言葉を知らないのかとうんざりしたくなるほど暑い暑いと連発する進藤。
 シュワシュワ泡が弾けるコーラを一口含んだかと思ったら、室温で溶けて滴りそうなアイスバーを上から下から齧ったり舐め回したり、よく腹を壊さないなと感心するほど冷たいもの限定の暴飲暴食ぶりだ。
 なるべくエアコンをつけないのはうちの流儀のようなものだ。それを知っていてうちに来るくせに、進藤はいつも暑いと文句を言う。碁盤を引っ張り出し、暑い暑いとぶつぶつ言いながら碁石を打って、エアコンをつけろというから団扇を差し出したらまた暑苦しいと文句を言って、ボクに用意させた冷たいアイスとコーラに囲まれてるのにやはり暑いと訴える。
 大体「暑い」と口にするから暑くなるんだ。おまけにそんな身体に悪い冷たいものばかり摂取するから暑さに免疫が出来ないんだ。汗を掻いたら水を飲むべきだ。これでは夏バテしたって仕方がない。
 それにエアコンの冷たい風は身体の芯まで冷えるような気がしてあまり好きじゃない。今日なんかまだ風があるからいいじゃないか。すだれを下げて直射日光を遮り、爽やかな風が控えめに部屋に届く、実に夏らしいいい日じゃないか。風鈴だって耳に優しい音色を響かせている。

「マジであちー。お前のその頭が暑苦しいー。お前、髪なんとかしろよ。縛るとかさ。いっそ刈っちまえ。見てるだけであちー。」

 余計なお世話だ。ボクはもう何年もこの頭だから、これしきの暑さには屈しない。いや、今年はちょっと……結構……かなり暑かったから正直掻き毟りたい日もあった。だけど耐えた。今だって耐えてる。
 首に触る毛先が鬱陶しいと何度思ったか知れない。頭を軽く下げるだけでだらりと落ちてくる毛束に殺意を覚えたことだってある。だけどこれはボクのプライドだ。暑さに負けて髪型を変えるだなんて軟弱なことは認めない。だったら縛れと言いわれそうだが、この中途半端な長さで苦労して縛るくらいなら最初から切ってしまえとツッコミが入りそうじゃないか。どちらにせよ、暑さでポリシーを曲げたと思われることは断じて許されない。
 それに散々人のことを暑苦しいというが、キミのその姿だって充分暑苦しい。Tシャツの袖部分を肩までまくって、だらりとズボンから出した裾をばさばさ思い出したように扇いで腹に風を呼び込んでいるそのだらしない格好。へそが見えてるぞ。ああ、またそんなに裾を引っ張ったらTシャツが伸びる。もっと背筋を伸ばせ。そんなふうに暑さに溶けているからこっちまで余計に暑苦しく感じるんだ。

「ホントあちー。なあ、エアコンつけろよー。あ、コーラお代わり。あとアイスもういっこ持って来て。もー暑くて全然いい手が浮かばねーよー。海行きてー。可愛いコ探しに行こうかなー。」

 またそれだ。どれだけコーラとアイスを消費するつもりだ。念のためと思って冷蔵庫と冷凍庫には5組も進藤セットを用意しておいたのに、次でラストじゃないか。本当に腹を壊しても知らないぞ。裾をばさばささせるな。腹が見えてる。
 おまけにもう最近じゃ聞き飽きたが、うちに来るたびにナンパを仄めかすような発言をするのは一体どういう了見だ。わざとやっているのか? 去年も同じようなことを言っていた……夏だから彼女欲しい、なんて。夏だからどうだと言うんだ。キミは夏のためだけに彼女が欲しいのか。冬だって言っていただろう。春も秋もいつだって同じだ。大して本気に思ってる訳でもないのに、いちいち彼女彼女と聞かされるボクの身にもなってみろ。それこそ暑苦しくて腹立たしい。
 そうだ、ボクだって本当は暑いんだ。エアコンだってつけたいさ。涼しい風を浴びてすっきりした頭で静かに碁盤を見つめていたいんだ。だけどそれはうちの風習とは違うし、こんな暑さごときで根を上げているだなんて思われるのは真っ平ごめんだ。
 今だって首筋にはびっしり汗が浮かんでいる。額も。髪に隠れた部分はとんでもない湿地帯だ。それを悟られないよう涼しい顔をし続けるボクの苦労が、キミに分かるのか。キミみたいに年中だらしがなくて、暑い時には暑い、寒い時には寒いと文句を言い続けても違和感のない男は羨ましい。ボクがそんなふうにシャツを引っ張り出してばさばさ腹に風を当ててみろ。下手をすると病院に連れて行かれるぞ。
 ボクがこれだけ暑さに耐えているのに、堪え性のないキミは無防備に腹なんか見せたりして。キミに彼女なんかできるはずがない。いや、もしできたとしても続くわけがない。そのアイスもコーラも全部ボクが準備してやったし、さっきは冷たいお絞りも作ってやったし、団扇で扇いでやったりもした。そんな至れり尽せり状態に慣れきって疑問を持たないキミに、我が儘な女性の相手なんか務まるものか。
 人の気も知らないで、くだらないことばかりぺらぺらと。いい加減「暑い」と言うのをやめろ。キミのせいで余計に暑くなる。だんだん頭が働かなくなってきたじゃないか。次の一手どころか、もう盤面すらぼんやりして見えてきた。視界が霞む。苛立ちは治まらない。

「海行ったら女の子いっぱいいるんだろうな〜。スタイルいい子がいいなあ。最近のビキニって結構過激だよなあ〜。まあそのほうが俺的にはオッケーなんですけど。あーあちー、マジであちー」

 だから言ってるだろう、キミに女の子の相手など無理だと。それとも何だ? ボクにはこれだけ尽くさせておいて、いざ彼女ができたらせっせとお世話する側に回るというのか? 冗談じゃない! ボクが当たり前のようにキミにしてやってることは、充分すぎてどれだけ感謝されても足りないくらいなんだ。そのボクに恩を返すどころか、新しい女の子を物色しようだなんてキミは人でなしか。
 一体ボクが日々どれだけ耐えてると思ってるんだ。このクソ暑い中、キミに暑い暑いと最悪の念仏を聞かされて、キミが喜ぶようお膳立てをしてやってもキミは「ありがとう」の一言もなく、白い腹とへそをチラチラチラチラ……
 アイスの齧りつき方も狙っているとしか思えないような卑猥さで、滴りそうになって慌てて舌で掬い取る様子なんて拷問そのものだ。コーラを飲んだ後にぺろりと口唇の周りを舐めるのもやめろ。キミの舐め方はなんだか全体的に不健全に見える。暑くてだれているせいか、常に口を開き気味なのもボクを挑発しているとしか思えない。

「あー、あちー、あちー、あちー、彼女欲しー、あちー、あちー」

 ……ボクの我慢もいよいよ限界だ。

 ボクはおもむろに立ち上がり、きょとんとしている進藤の前に回り込んで、畳に膝をつけると――暑さでゆらゆらぼやける進藤の顔を両手でがしっと掴み、内臓を吸い取る勢いで口づけてやった。
 どこか遠くで鳥が首を締められてるみたいな呻き声が聞こえてくる。顔の周りに感じる何かが振り回されているような落ち着かない気配は、進藤が両手をばたつかせているためだろう。
 知ったことか。ボクはもう限界なんだ。どれだけ我慢させられたと思ってる。今この場で剥かれないだけ有難く思え。しかし暑い暑いとうるさいからどれほどかと思ったが、キミの頬を捕まえてるボクの手のひらのほうがよっぽど熱いじゃないか。キミは忍耐力がなさすぎる。おまけに手がかかって、無神経で、鈍感で、図太くて……
 そんなキミの面倒を見られるのは、ボクくらいなものだ。
 手と口を離してそっと瞼を開くと、ぼんやり霞んでいた視界がさっきよりも晴れて、進藤の真っ赤に染まった顔と真ん丸に見開かれた目が至近距離ではっきりと見えた。
 ボクはカチンと硬直している進藤に言ってやった。

「……ボクで我慢しろ」

 これくらいは妥協してくれ。
 せめて今、エアコンのスイッチだけは入れるから。






残暑お見舞い申し上げます

今年は非常に暑さが厳しいですね……
そんな中、より暑苦しいお話ですいませんでした……
早く涼しくなることを願いつつ、
今後ともどうぞよろしくお願いします。

WIDE OPEN SPACE
アオバアキラ
2007.8.21

↑当時の文章そのままです。
去年の猛暑にこんな暑苦しいものをばらまいてました……


閉じますよ