仕事が長引きそうだから、どこかで時間を潰していてくれとメールが入った。
 本当は昼過ぎには終わるはずだった取材。棋院に出向く予定だった記者が交通トラブルで遅れてしまったらしく、ご親切にも到着を待っているのだとか。
 どうせこの後の予定は俺と打つだけだもんな――後回しにされて少々面白くない気分が膨らみかけたが、いやいや寧ろ仕事熱心な恋人を誇るべきだと自分に言い聞かせ、アキラの仕事が終わるまでと軽い気持ちで覗いていた本屋を出たところで。
 ヒカルの顔が輝いた。




 ちらちら落ちてくる雪の粒は、小さな真綿をふわっと優しくほぐしたようだった。
 じわりじわりと雪が染み込んで行くアスファルトを、鼻歌を歌いながら軽やかに蹴る。
 積もるかな。――積もりそうだ。
 首を回せばガードレールにはうっすら白い冠。
 これはそこらの店で時間を潰すなんて勿体無い!
 ゆっくりゆっくり、しかし着々と重なりつつある白が世界を覆う前に、ヒカルは負けないくらいの真っ白な息を吐いて駆け出した。




 辿り着いた塔矢邸は、分かっていたことだけれど無人。
 お邪魔しますよと門を潜り、玄関に向かわずに庭へ侵入。
 今から帰宅するから少し待っていて、なんて連絡が来た時によくやることだった。勿論アキラの両親が在宅の場合はこんな非常識な行動は慎むけれど。
 見下ろしてにんまり笑う。
 思った通り、庭にはふんわり白い絨毯。
 とはいえ、降り出してから一時間程度では見渡す限りの雪原だなんてことはあるはずもなく、庭中の雪を掻き集めてもぎゅうっと握りこんだらそのまま消えてしまいそうな量だった。
 そこを何とか、雪を潰しすぎないよう、少しずつ少しずつ集めていく。
 泥が混じろうが気にしない。空に追加お願いしますと祈りながら、庭のあちこちをうろうろ歩き回って手の中の塊をじりじりと大きくしていく。
 随分時間をかけたけれど、小さな、拳よりもずっと小さなボールはたった四つしか出来なかった。
 それでも満足げに雪球を見つめたヒカルは、最後の仕上げだと塀に走り、まだ手をつけていなかった綺麗な雪で薄汚れた雪だんごをふんわり覆って、白い四つのボールを作った。
 少し大きめのふたつの雪球が身体。
 その上にそれぞれ小さめの雪球を乗せれば、手のひらサイズの可愛らしい雪だるまの出来上がり。

 こっちが俺、こっちがお前。
 適当に丸めたささやかな表面の凸凹が、何だか顔のように見えてくるから面白い。

 見上げた空はどんよりと重たいままだけれど、ひらひら落ちる雪には勢いがなくなってきた。
 ああ、もうおしまいだ――冷気で赤らんだ頬を誇らしげに晒して、ヒカルは塀の上に並べたふたつの雪だるまに微笑む。
 ヒカルが雪を集めてしまったせいで、庭はすでに雪が積もった痕跡を忘れようとしている。この小さな雪だるまだって、今夜中ももつまい。
 それでも楽しかったと、軽く頭を振れば水滴が降ってくる。
 降り続いた雪の下、すっかり濡れた髪とマフラー、それに冷たい風が加わってくしゃんと小さく身体を震わせた時。

「何してるんだ、そんなところで」

 呆れ声が怒号に変わるまで、それほど時間はかからなかった。





 びしょ濡れじゃないか、手袋だってしてないくせに、いつから外にいたんだ、こんなに冷たくなって――

 怒ってるんだか心配してるんだか盛りだくさんな言葉を早口で捲くし立てながら、髪を乱したアキラが着替えやらタオルやら次々と取り出して寄越してくる。
 あれよあれよという間に用意された広い風呂で、冷え切った身体をどろんと溶かしてしばし夢心地。
 後から気づいたことだけれど、メールが随分鳴っていた。
 仕事が終わった、今どこにいる、進藤進藤、一度うちに戻るから来てくれ――
 遊びに夢中でポケットの中のバイブレーションなどまるで感じていなかったヒカルは、眉間に皺寄せて帰宅したのだろうアキラを想像してにやにやと口を緩めた。
 怒られたけど、楽しかった。
 せめて暖かい家の中に放り込まれる前に、あの雪だるまを紹介してやれば良かったと今頃思う。
 どうせ明日には消えてなくなってしまう存在だけれど。
 でもさ、ここらへん、お前の顔にちょっとだけ似てるんだよ――なんて言ったらどんな反応をしただろうか。
 すっかり温まり、湯気立つ身体を柔らかいタオルで拭いて、アキラの服に袖を通して脱衣所を出る。
 居間にアキラの姿はなかった。部屋だろうか、探す前にちょっとだけ水分を、と勝手知ったる台所で冷蔵庫に手を伸ばした。
 この前買っておいたアイス、まだ入ってるかな。
 芯まで温まったのをいいことに、人様の家の冷凍庫に勝手に貯蓄している自分用の食料を求めて扉を開けたヒカルは、思いがけない住人を見つけて目を丸くした。

 冷凍庫に、小さな雪だるまふたつ。
 そうそう、この小さくでっぱったとこがアキラの鼻に似ているんだ――

 目を見開いたままにいっと口の両端を吊り上げたヒカルは、肩にバスタオルを引っ掛けて、まだ髪の先端から水滴が滴るまま、冷凍庫の扉を閉めると同時に駆け出した。
 教えてやろう、アキラに。
 庭に迎えた可愛い分身を見つけてくれたアキラに。

 ここがお前に似てるんだよ。でさ、この辺俺に似てねえ?
 ――同意が返って来るかは分からないけれど……






寒中お見舞い申し上げます

旧年中は大変お世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願いします。

WIDE OPEN SPACE
アオバアキラ
2008.1.9

↑当時の文章そのままです。
このお話に素敵なイラストをつけていただきました!
イラストはこちらへ!
(2008.8.21)


閉じますよ