「もうてめえの顔なんか見たかねえよ! 今すぐ出てけ!」 「言われなくてもそうする! ボクだってもう限界だ!」 散々怒鳴り合ったせいですっかり掠れた声を張り上げ、いつ殴り合いをしてもおかしくない雰囲気を無理に壊すために選んだ方法は、互いの目を見ないという至極もっともな選択だった。 顔を合わせるから不満が出て、歪んだ相手の表情を見てマイナスの感情が更にエスカレートする。それならばいっそ逢わなければいい。何度その結論に達したことか――。 脱いでハンガーにかける余裕もなく、傍らに丸めたままだったジャケットを乱暴に掴んだアキラは、部屋の主であるヒカルに最後の一睨みさえ寄越さずに、大股で床を踏み鳴らしながら玄関へと向かって行った。 さして広くないリビングに仁王立ちしていたヒカルは、怒鳴った後の険しい表情が彫り込まれてしまったかのように顔を顰めたまま、足の力だけは抜けたのか、膝をかくんと折って床にどすんと尻をつく。両脚を引き寄せ、あぐらを掻いて背中を丸め、苛立ちが収まらないといった様子で荒い息を吐き出した。 こんなことは初めてじゃない。それどころかしょっちゅうだった。 些細なことから言い争いが始まって、一度声を荒げてしまえばお互いを止めようとする理性なんて簡単に吹っ飛んで行く。 過去に終わった話題を蒸し返し、機嫌の良い時には気にもならない小さな欠点を掘り起こし、この目に映るもの全てが許せないとでも言うように悪化していく罵り合いを止めることができない。 不毛だということはよく分かっているのだ。その一日前には口付け合った口唇が、たった数十時間で相手の醜い部分を余さず晒そうとみっともなく動いているのだから。 傷つけ合うだけだから、やめよう――まるでドラマに出て来る台詞みたいな文句を告げたのは三回。何もかも終わらせようと、互いにきっぱり背を向けたはずだったのに、その都度結局振り返ってしまった。 それでも、今度こそはと夢だけは見るのだ。努力だってしていたつもりなのだ。 笑顔だけで暮らして行けるなら、思い遣りがあればきっと今度はうまくいくんじゃないかと…… ……夢だけは、見ているのに。 リビングの中央で自分を誇示するように、大きく開いたあぐらの両端の膝の上、がっしり両手のひらを置いていたヒカルの厳つい肩が、ふいに小さく萎んだ。 膝を持ち上げるように寄せ、立てた足を心細気に抱えてから、ヒカルは自分の顔が怒りから哀しみに変わっていたことに気づく。 しばらく膝を抱えて、急にはっとして顔を上げた。アキラが出て行った廊下の方向をじっと見て――それから弾かれたように走り出す。 長さのない廊下を全速力で走り、そのまま外へ飛び出す勢いが、玄関に足を踏み出すギリギリのところで急ブレーキをかけた。 靴を履いたアキラが、ドアに顔を向けてそこに立っていた。 アキラの背中を見た途端、薄く開いた口唇を微かに戦慄かせたが、ヒカルが何か言葉を発することはできなかった。代わりに、振り向かずにアキラが低い声で吐き捨てた。 「……、あと五秒遅かったら、もう二度とここには来なかった……」 ぎゅっと口唇を噛んだヒカルは、裸足のまま玄関に飛び下りて、小さく震える背中に縋り付くように身体をぶつけた。 無言でヒカルを受け止めたアキラは、ドアノブを握ろうとはしなかった。 |