「お疲れさ〜ん」
 小さなため息と共に部屋に入ってきた功労者を、迎えるものが緊張感も有難みもない声だけだと分かると、顎まで伸びた真直ぐな黒髪を揺らした男はきっちり扉を閉めてから、呆れたように告げた。
「会いたくない相手のアポを受け入れるのはやめてください。その都度断りの理由を考える身にもなってもらえませんか」
「それも秘書の仕事でしょ」
 悪びれずに答えた男は前髪だけが金髪という奇抜な頭で、ストライプのカジュアルなワイシャツにかろうじてネクタイは締めているが、見た目は夜に街をふらついている暇な男たちと変わりなかった。
 対して渋い表情で苦言を呈した長い黒髪の男は、かっちりとしたスーツを着こなし、シルバーの細いフレームが輝く眼鏡の奥で切れ長の瞳を隙なく光らせた。
 金髪の前髪を軽く掻き上げた男は、彼の格好には少々不似合いな黒い革張りの大きなチェアにどっかり背中を凭れさせ、目の前にある両腕を伸ばしても端と端に手が届かないような広い机に今にも足を乗せかねない様子で、黒髪の男の厳しい視線にも怯まず満足気に頬を緩めている。
「だってさ、断るとカド立つじゃん? めんどくせえなって思っても、言えない時があんじゃん」
「でしたら一度お約束されたものは責任持って対処してください。断るにも限度があります」
「そこはホラ、敏腕秘書の腕の見せ所」
「貴方の尻拭いがメインの仕事だと思われては困ります。……社長」
 黒髪の秘書の言葉に、社長と呼ばれた青年はニヤリと笑った。
 年若く砕けた服装の彼に、「長」と名のつくポジションは酷く不似合いだった。それどころか、秘書である男が彼に敬語を使う様さえ傍目には何かの冗談に見えた。
 宵闇を遮るブラインド、天井に光る照明は眩しすぎず、やたらと横幅を取るデスク脇に立つ間接照明の品の良い光が映えて、まるで一流ホテルの優雅さを思わせる一室。
 いわゆる社長室と呼ばれる広い部屋の中、秘書のため息が響いた。
「貴方の采配ひとつでどれだけの子会社が路頭に迷うかのご自覚はおありですね? もう少し考えて行動してください」
「大丈夫でしょ。お前がいるもん」
「……、貴方という人は……」
 秘書は再びため息をついたが、どことなく表情が柔らかく緩んだようだった。
 社長の青年はくるりと椅子を回し、ぴょんと立ち上がっていそいそ部屋の脇に備え付けてある小さな応接セットまで歩いて行く。
 低めのテーブルの下から取り出したものは碁盤だった。
「今日はムズカシイ話する気分じゃなかったの! な、時間空いたから一局打とうぜ」
 まるで悪びれず碁笥まで二つ並べ始める彼の背後に秘書はそっと近付いて行く。上質の絨毯が足音を消し、秘書は呆気なく社長の背中を捕まえることができた。
 突然伸びて来た腕に、脇を固定され胸を包まれ、無邪気に笑っていた青年はびくりと身を竦める。
「なん……だよ、打たないのかよ……」
「それは社長命令ですか?」
「そう、だよっ……」
 明らかな意図を持って胸を撫で上げ、指先で軽く首筋をくすぐる悪戯な動きに反応して金色の髪が震える。
 秘書は微かに口唇の端を吊り上げ、するりと片手を青年から離して静かに眼鏡を外した。
「じゃあ、秘書の時間は終わりだ」
 カタンと、細身の眼鏡がテーブルの上で音を立てる。
 眼鏡から離れた手はそのまま青年の首元に伸びて、ネクタイの結び目に指を引っ掛け、やけにゆっくりと緩めていった。
 思わず背中を抱く秘書に体重を預けてのけ反った青年を、抱え込むように秘書は顎を噛む。
 小さな吐息は、すぐに覆い被さって来た深い口付けに飲み込まれた。







眼鏡秘書×自由奔放な若社長。
眼鏡をかけている間は秘書ですが外すとモードが変わります。
直感勝負で突き進む社長さんをしっかりサポートしてくれます。
二人の趣味は囲碁だったりします。
腐っててすいません。


閉じますよ