―― 一生の不覚。 「とーやー! 来たぞ〜!」 何故チェーンをかけておかなかったのか――何度自分を責めても事態に変化があるはずもなく、アキラは鼻をずずずと情けなくすすりながら布団の中に頭まですっぽり隠れて丸くなった。 そうだ、合鍵を渡していたんだった。そんなことにも頭が回らないほど熱が上がっていただろうか。確かにもう二日も寒気が止まらなくて、目の前がぐらぐらする危険な状態が一向に改善されないとはいえ。 どんなに布団に潜り込んでも、声の主にはアキラの居所が寝室であるとすぐに分かってしまうだろう。 何と言ってもアキラは病人、それはメールのやりとりで来訪者に伝えてある。 しかしきちんと念を押していたはずだ、「看病には来るな」と。 それなのに勝手に訪れた上、許可も待たずに上がり込んで来るなんて、なんて彼らしい……いやいや、なんて不躾な男なのだろう。 「塔矢! 入るぞ!」 ああ、さっきよりもずっと声が近い。ドアの前にいるのは間違いない。 布団の中で小さくなったままアキラが答えずにいると、声の主は勝手にドアを開いたようだった。 「おい、顔ぐらい出せよ」 出せるはずがない。アキラは布団の内側で毛布を握りしめる。 「出せって! 笑わないから!」 そんなわけないだろう――口の中で呟いた言葉はすっかり掠れ、喉を動かすだけで引き攣るような痛みが走る。 熱に鼻水、頭痛に吐き気、風邪のあらゆる症状をフルコースで迎えてしまったアキラにとって、この地獄の三日間をろくにベッドから離れることなく過ごした自分の姿を、合鍵まで渡すような特別な相手に晒すわけにはいかなかった。 ふいに、しっかり掴んでいた毛布が引っ張られる感触があった。アキラは必死で巻き込むように毛布の端を押さえる。 しかし、ふわっと尻に冷気を感じたと思った瞬間、それまで暗闇だった世界が一気に光を取り戻した。 枕側の毛布ばかり押さえていたせいで、反対側からのめくり攻撃に対応しきれなかったのだ。 途端に全身を襲った寒気にも構わず、アキラは慌てて両腕で顔を覆った。その腕を、声の主――ヒカルがぐいっと掴んで捩り上げる。 「ったく。素直に呼べばいいのに……笑わねえっつってんだろ」 屈辱に歪んだアキラのへの字の口の周りには、似つかわしくない無精髭。 目尻にはこびりついた目脂。顎や頬には栄養不足のためか点々と吹き出物も見られ、いつもしっとり艶やかだった黒髪は脂ぎってぼさぼさ。 目の下にどんよりとクマを作り、ろくな食事もとっていないために頬はこけ、口唇は荒れて薄皮がめくれてしまっている。 三日間もの孤独な闘病生活が、囲碁界の王子と謳われた塔矢アキラをすっかり薄汚れた病人に変えてしまっていた。 こんな姿をヒカルに見られるわけにはと、往生際悪く暴れるアキラの両腕をがっしり掴んだヒカルは、真正面からアキラを睨み付けた。 「あのなあ、カッコ気にしてる場合じゃねえだろ。動けないぐらい具合悪かったくせに、何で俺を頼んねえんだよ!」 ヒカルの大声が頭に響く。思わず目を瞑ったアキラの汚れた頭に、ヒカルが躊躇いなく手のひらを置いた。 「今おしぼり作ってきてやるから。横んなってろ。着替え何処にしまってる?」 「……あ、あっちのタンスに……」 「分かった。何か食いたいもんあるか」 「い、いや……」 「おかゆ作るから、出来たら食え。おっし、やるか」 ヒカルは腕まくりをして、ぽかんとしているアキラの身体を無理にベッドに寝かせると、気合い充分、看病の戦闘体勢に入ったようだった。 その後、蒸したタオルでやや乱暴に顔やら身体やらをごしごし拭かれ、新しい下着とパジャマの着替えを手伝われ、意外にも美味しく出来上がっていたお粥を口に詰め込まれて、とにかく驚いたアキラには感謝感激といった本来先に来るだろう感情がすぐにピンとこなかったのだけれど。 薄汚れたアキラを前に、少しも怯まず見事なまでに看病を叩き込んだ(労るというよりはそんな雰囲気だった)ヒカルには、これから先も頭が上がらないのだろうな、と熱に潤んだ目を瞬かせながらアキラはぼんやり考えた。 |