突然アキヒカです。突然始まり突然終わります。

今回はへたくそなくせに料理作って
アキラさんにアピールする乙女っぽいヒカルのお話です。






 合鍵を渡してから少し経った頃から、ヒカルがアキラの部屋で待っているようになった。
 ヒカルのほうが早く仕事が終わり、そしてアキラを待つのに時間がかかる時限定の月に何日かの来訪だったけれど、家の中で誰かが帰りを待っているという気配は、一人暮らしを始めて数年になったアキラにとってじんわり暖かく感じるものだった。
 アキラが純粋に喜んでいることに気を良くしたのか、ヒカルはあれこれ趣向を凝らすようになった。
 最初はコンビニやスーパーで質素な夕食を用意することから始まった。
 大抵アキラが帰宅した後に近くのファミリーレストランを利用することが多く、帰って来たその足で外食に出かける忙しなさを常々不憫に思っていたアキラにとって、部屋でゆっくりした時間が増えることは喜ばしく、その反応がまたヒカルを喜ばせた。
 コンビニ弁当では味気ないと思ったのだろうか、今度は自ら台所に立ち始めた。
 しかし残念なことに、ヒカルは家事能力が全く備わっていなかった。実家暮らしの彼は一人で料理どころか皿洗いもろくにしたことがないらしく、アキラは帰宅後に何度も我が家の惨状を目の当たりにすることになってしまった。
 それでも自分のために一生懸命やってくれている――そう思えば、惚れた欲目もあって全てがいじらしく思え、苦笑いで一緒に後片付けをするのが恒例になっていた。ヒカルもそれで安心していた部分はあったのだろう。


 その日のアキラは自身ですぐには理解できないくらいの惨敗を喫して、周囲の人間が迂闊に声をかけられないほど険しいオーラをびしばしと放出させながら、暗い表情でマンションに帰り着いた。
 おかえり、と迎えてくれたヒカルに笑顔を見せる余裕もなく、疲れた溜め息を漏らしながらリビングに到着したところで固まった。
 割れた皿と焦げた料理の残骸ようなものが視界に入った途端、ただいまさえ酷く小声だったアキラが天を揺らすような大声を上げた。
 ヒカルは驚き、目を真丸に見開いて、あまりの迫力に言い返すタイミングを失ったのか、黙ってアキラに叱られていた。
 アキラが肩で息をしながらようやく口を噤んだ時、ヒカルは悲しそうな顔をして「ごめん」と一言告げたのだ。


 それから無言で後片付けを始めるヒカルをアキラが手伝おうとしたが、ヒカルは手で制して黙々と痕跡を消していった。
 割れた皿を片付けて、何やら作っていた料理らしきものを始末して、使っていた道具を洗って、そしてもう一度「ごめん」と残した後に部屋を出て行った。
 静かになったリビングで、アキラが自分のしたことを後悔したのはそれから数十分後だった。



 ヒカルが顔を見せなくなった。
 以前だって毎日逢っていたわけではなかったが、連絡がない日が数週間になるとアキラもいよいよ不安になってくる。
 少なくとも月に一度は部屋に来ていたヒカルが、もう二ヶ月なんの連絡も寄越さないだなんて、やはりあの夜がまずかったのだ。
 思えばあまりに自分勝手すぎた。ヒカルだって仕事の忙しい間を縫ってアキラに逢いに来てくれていたのに、彼の好意を踏みにじるような酷いことをたくさん言ってしまった。
 心に余裕があった時は何とも思わなかったヒカルの失敗を、ここぞとばかりに責め立てるだなんて何て底意地の悪い歪んだ根性だろう。
 どうやって謝るべきか――すぐに勇気の出ない自分が情けなくて苛立った。


 ヒカルがマンションにやってこなくなってから四ヶ月、少し前からちょっとずつメールのやり取りを復活させるようになっていたアキラは、灯りのついた部屋の窓を見て思わず走り出した。
 そろそろ部屋に来てもらえないか、謝罪して交渉しようと思っていた矢先だった。開いたドアの向こうにはヒカルがバツの悪そうな顔で立っていた。
 アキラが謝る間もなく、ヒカルが先に頭を下げた。今度はきちんと頑張ったから、前の失敗を許して欲しい――思いがけない先手に、アキラは身構える準備もないままヒカルが用意したマジックに魅入られた。
 リビングにはちゃんとした食事が揃えられていた。とはいえそんなに豪華なものではない。小学生だって家庭科の授業で体験するようなメニューだ。
 それでも完成度が以前とは比べ物にならない。アキラは逢わなかった間のヒカルの努力を察した。
 アキラの反応を恐々伺っているヒカルに、アキラは土下座をしようとした。しかしそれは全力でヒカルに止められた。
 代わりにヒカルを強く抱き締めた。それはヒカルも了承してくれたらしい、擦り寄ってくる身体を飲み込まんばかりに抱き締めながら、アキラは何度も謝り、それ以上にありったけのありがとうを口にした。


 一緒に暮らしたいな、と素直に思った。






(2008.03.17)


閉じますよ