GET READY "TONIGHT" TEDDY BOY





 もう九月も終わりそうだってのに蒸し暑いな〜なんて曇った夜空を見上げながら、適当な鼻歌をフンフン歌って帰り着いたマンション。
 予定よりもちょっと早く仕事が終わって機嫌よく、当たり前のように鍵を外して開いたドアの向こうから、食欲をそそるいいニオイが漂って来た。
 すっかり腹を減らしてた俺は、今度は鼻をくんくん鳴らしながら靴を脱いで部屋の奥に声をかける。
「ただいま〜。とーや、いるの〜?」
 もちろんいることは分かってるけど、念のため。
 二人暮しの家の中に人の気配があって、それが共同生活をする相手じゃないなんて普通は考えない。だから俺も警戒心なしにどんどん廊下を進んで行って、リビングのドアを開けた。
 リビングには塔矢の姿はなかった。でも驚かない。美味しそうなニオイが生まれるのはキッチン……つまり塔矢は今晩飯の支度の真っ最中だろうってことはすぐに分かったから。
「ただいま」
 ひょいっとキッチンに顔を出すと、塔矢はちらっと横目を向ける程度の小さな反応を見せて、右手はぐるぐると鍋の中身を掻き混ぜてる。
 鍋の中身はスープかなんかだと思うけど、俺の腹を強烈に刺激するニオイの出所はどうもそっちじゃない。フタをされた隣のフライパンが怪しい。
「おかえり。早かったね」
 塔矢はスープを掻き混ぜながら素っ気無い口調で言った。
「ああ、真直ぐ帰って来たから。なあ、今日の晩飯当番、俺じゃなかったっけ?」
「今日は帰宅が早くてね。キミを待つのも手持ち無沙汰だったから。もう少しで終わるよ。ソファにでも座って待っていて」
 鍋から目を離さずにすらすら告げる塔矢は、言外に「立ち入り禁止」と言ってるんだろう。どうやら今日の厨房は全て塔矢が取り仕切るつもりらしい。
 俺は素直に頷いて、まずは荷物を置いてこようと奥の部屋に一旦足を向け、再び戻って来たリビングのソファに腰を下ろして言われた通りに待っていようとくつろぎかけた時。
 座った位置から丁度良い目線の高さで、テーブルにさりげなく積まれている数冊の本に気がついた。
 囲碁関連の本が五冊ほど。それは珍しい光景でも何でもないけど、その一番上に乗ってる本に俺は素早く反応した。
 思わず手に取って、ぱらぱらとめくる。間違いない、俺がずっと探してた棋譜集の最後の一冊。
 ちょっと興奮して中身に目を走らせていたら、塔矢が完成した料理を少しずつ運んで来た。
「おい、この本どうしたんだよ?」
 咄嗟に尋ねると、塔矢はちらっと俺の手元に目を向けて、ああ、と納得したように軽く頷いてみせた。
「少し前に芦原さんに貸していたのがまとめて戻って来たんだよ。もうあまり読まなくなったものばかりだから、別に急がなくていいって言ってたんだが」
「この一番上にあったやつ、コレ、俺すっげえ見たかったんだけど」
「そうなのか? いいよ、あげるよ。ボクはもう読み返すことも少ないし」
「マジ? いいの? ホントにもらっちゃうぞ?」
「どうぞ。他にも欲しいのがあったら持っていっていいよ」
「マジで〜?」
 勧められた通り、他の四冊もどれどれと物色する。その間に塔矢は着々とテーブルセッティングを進めていて、次々並ぶ料理のいいニオイが空っぽの俺の腹をこれでもかとばかりに突ついて来るけど、今はひとまず本のチェックが先。
 残りの本もそこそこ俺の好きそうなチョイスだ。でも全部ってのも欲張りすぎかな。……まあ、全部って言っても塔矢は気にしないだろうけど、とりあえずもう一冊だけ。うん、手元に置いておきたいのはこれで充分。
「んじゃ、これもちょうだい。……って、すげーな! この肉!」
 二冊の本を手に嬉々として振り返った俺の目に、ちょっと無愛想なパーティーメニューが飛び込んできた。
 無愛想って言うのは、何と言うか……飾り付けに色気がないっつうか、皿とかが素っ気無いからなんだけど、それでも乗ってる料理は塔矢にしては手のこんでるものばっかりだし、この肉なんて普段買うヤツに比べたら十倍くらいの値段はするんじゃないか。
「スーパーに寄ったらタイムバーゲンの最中だったんだ。たまにはいいだろう」
「まあ、いいけどさあ。……で、このプリンは?」
「ちょうど甘いものが食べたくなったんだ」
「ワインも?」
「肉には合うだろう」
 焼き立てのステーキの隣に並んだプリンには白い生クリームが乗っかって、あまり甘いものを好まない塔矢にはちょっとくどすぎるんじゃないかと思うけど。
 おまけに普段あんまり飲まないくせに、赤ワイン一本どんとテーブルに置いてしれっとしてる様子にちょっと無理はあるんだけど。
 でもまあ、俺にとっては嫌いなものはひとつもないし、それどころか大好物ばかり並んだ食卓、喜んで豪華な晩飯にありつくことにした。




「お風呂用意してあるから。入っておいで」
 ボトルの半分以上を一人で空けて、ほんのり酔っぱらっていい気分になっている俺の目の前で、グラス一杯しか飲まなかった塔矢が黙々と後片付けを始めた。
 今日は本当は俺が夕飯支度する当番だったから、後片付けくらいやってもいいんだけど――俺はとろんとした目で、頭の中で考えていることは口に出さずに素直に頷いた。
「分かった。入って来る」
 ちょっと酔ったけど、脳みそはクリアだ。赤らんだ顔の割にはしゃきっと立ち上がって、さっさとリビングを後にした理由はひとつ。
 もう、込み上げて来る笑いを堪えるのが難しくなって来たからだ。
 着替えを持ってバスルームに逃げ込んだところで、俺はようやく顔いっぱいに笑ってやった。もちろん声はしっかり押さえて。

 ――バレバレだっつうの。

 シャイでぶっきらぼうなアイツのことだから、今日は何か仕掛けてくれんのかなーないだろなーなんてあんまり期待しないで帰って来たってのに、まさかこんなに分かりやすくいろいろやってくれるとは。
 芦原さんに貸してたなんてわざとらしいこと言ってたけど、そういやメインの本を探してるってのは随分前にちらっと話したことがあった。そんな話をしたこと自体俺はすっかり忘れてたってのに、アイツは耳聡いからな、何食わぬ顔して頭にインプットしてたんだろう。
 さりげなさを装って、緩く積み上げた一番上にそれっぽく乗せておくのがアイツらしい。置いてあったのはテーブルの端っこでも、いつもの俺のソファの定位置からすぐに目につくあの場所、さすがきっちり心得てる。
 あのステーキだって、タイムバーゲンじゃねえだろ? アイツの腕であそこまで料理揃えるにはほんの一時間前にやってるタイムバーゲン狙いじゃ間に合わない。得意料理が市販のルーを使ったカレーのアイツのことだ、たぶん最低でも三時間は頑張ったんだろう。
 ケーキはさすがにあからさますぎて買うのが恥ずかしかったのか、それでも代わりに選んで来たプリンはらしくなく生クリームが乗っかって、可愛いデコレーションって言えなくもないし。結局、「お腹がいっぱいになったから」なんて言って自分の分まで俺に寄越したのも予定通りなんだろうな。
 そもそもステーキだって俺のほうが大きかった。焼き過ぎてちょっと固くなってたけど、美味かったよ。
 自分じゃろくに飲まないワインまで用意しちゃって、そりゃ俺はアルコール全般何でも来いだけどさ、肉に合うなんて苦しい理由であのワインはねえだろ。めちゃめちゃうまかったぞ。幾らしたんだよ、アイツ酒の知識ねえから値段で適当に買って来やがったな。
 他の料理もみんな俺の好きなやつばっかり。いつもは病人食みたいなあっさりした味付けなのに、今日はかなり頑張ってた。いつから計画してたんだ? 少なくとも、昨日今日思い付いたんじゃねえよな。忙しいお前が、たまたま今日早く帰って来たなんて滅多にない偶然すぎるからな。

 ここまでずらっと揃えて見せてるのに、本人は「控えめに、さりげなく、できれば気づかれないように」なんて思ってるのが楽しくってしょうがない。
 ホントは内心焦ったんだろ? 俺が予定よりちょっと早く帰って来たから。
 いつもみたいにつらっとした顔の裏で、まずい、帰って来たって動揺してたんだろ? スープ、掻き混ぜ過ぎてちょっと零してたもんな。
 俺がのんびり風呂入ってる間に後片付けもきっちりやってくれてるんだろうから、お望み通りゆっくり時間を潰してやるよ。ついでにちゃんと身体も磨いといてやる。もちろんこの後天国見せてくれんだろ?
 いつもは俺がしつこいくらいせっつかないとその気にならないアイツだけど、今日はそんなことないよな。
 俺、今夜はマグロだからな。自分からは動いてやんないからな。超受け身になって甘ったれて、男・塔矢アキラを期待しまくっちゃうからな。
 残ったワインに逃げるのはナシだぜ。風呂から出たら、中身減ってないかチェックしてやる。
 口下手なお前が、日付けが変わる前に「おめでとう」の一言でも言えたら、俺も十二月十四日は張り切ってサービスしようかな。……うん、でも言葉はなくてもいいや。ホントはもう充分。
 一生懸命なお前が一生懸命さを気取られないように澄ましてる顔が好き。涼しいフリして、うっかり真正面から向き合うとぼーっと見愡れちまいそうなほど優しい目してるお前が好き。
 だから無理して言わなくてもいいよ。ちゃんと気づいてるから。
 お前が今日を覚えててくれたこと、今日を特別だと思っててくれたこと、気合い入れて「パーティーしよう!」って言えないお前がこっそり尽くしてくれたこと、全部、全部。
 あー、ヤバい! ムチャクチャ幸せ過ぎて大声で笑っちまいそう!
 でも今はまだ我慢して、明日の朝ベッドの中で思いっきりありがとうのキスするまで知らんぷりしていよう。
 というわけで、優雅なバスタイムはひとまず俺一人で声を潜めて、力一杯お祝いしましょう。

 ハッピーバースデイ、俺!!






ヒカル HAPPY BIRTHDAY!

本当はこの話に繋がる馴れ初め〜初エッチ話を書きたかったのですが
タイムリミットなのでとりあえず本題だけ……!

ここで補足すると、ヒカルはアキラさん大好きで押しまくり、
アキラさんも本当は好きだけど口に出すもんじゃないと思ってます。
押しても押しても手ごたえのないアキラさん、引くとちょっと反応。
ついでに酒を飲み過ぎると本性が出てオトコらしくなります。
……という前置きを書きたかったんだけどなあ。
ちなみに何故素直に「おめでとう」を言わないかと言うと、
恥ずかしいからです。キッパリ。

きちんと数えるとヒカ21歳とのこと、おめでとう!
いいオトコになってますように!
(BGM:GET READY "TONIGHT" TEDDY BOY/氷室京介)