仕事をください





今日もいい天気だ。
窓の外には青空が広がっていると言いたいが、あいにく電線が2本走っている。
でもそれもいいかと思いながら、カミューは膝の上に座って目を閉じている猫の頭を撫でた。滑らかな猫の毛の感触に指が止まらない。黒毛の猫もカミューの指の動きを気持ちよく感じているようだったが、その耳がぴくりと動き目がゆっくりと開いた。
そのまま部屋の入り口に向かって猫がじっと目を凝らしていると、微かな足音がして扉が開いた。

「ただいま。」
「お帰り、マイクロトフ…っと!」
猫がたんとカミューの膝から飛び降りた。
「帰ったぞ、ナスターシャ。」
足下にすり寄って来た猫を抱きかかえると、マイクロトフは部屋の中へと進み、テーブルの上にクリーニング店から引き取ってきた大量の洗濯物を置いた。
「あ……悪かったな。」
「ついでだからなと言いたいところだがな、カミュー、いつも俺ばかりが取りに行っているような気がする。」
「そうか?気のせいだろ。ブリジット!」
顔をむっとさせたマイクロトフにカミューは軽く笑うと、手を叩いて猫の名を呼んだ。
「カミュー、この子の名前はナスターシャだと言っているだろう。」
「ブリジットだよ。」
「ナスターシャだ。」
「このレディの顔はブリジットだ。」
「違う!ナスターシャ…あ!」
永遠に続きそうな言い争いに呆れたのか、黒毛の猫はマイクロトフの腕から離れると、さっさと窓から出て行ってしまった。
「ナスターシャ!早く帰ってこいよ!」
と、マイクロトフが猫の背中に向かって言ったが、当然猫は振り向きもしない。
「最近ご帰宅が遅いからなあ……。」
「ま、まさか、悪い虫でもついたんじゃないのか!?」
マイクロトフが猫が出ていった後の窓を見つめる。
「なあ…マイクロトフ……。」
「何だ?」
カミューはマイクロトフを呼び寄せるといささか強引に自分の膝の上へと座らせた。そしてマイクロトフの頬を両手で挟んで、笑いながら自分の方へと向かせた。
「ブリジットはしっかりしているから大丈夫だよ。それより……」
「カミュー…ナスターシャだとあれほど……」
「静かに。マイクロトフ。」
カミューが目を閉じてマイクロトフに顔を近づけ、その耳元で囁いた。
「私はお前の方に悪い虫がつくんじゃないかと心配だよ。」
「馬鹿なことを……」
カミューの息がくすぐったいのかマイクロトフが身を攀よじる。
「馬鹿だよ。お前のことになると、私はいくらでも馬鹿になれるんだ。」
「カ………」
マイクロトフの言葉が終わらないうちに、カミューがその口をそっと塞いだ。



二人の出会いは南の島。
カミューがスキューバダイビングのインストラクターをやっていた小さな島に、バックパッカーのマイクロトフがやって来た。
なぜこの島に?と尋ねたカミューに
「この島の海が綺麗だからと聞いたから。」
と、マイクロトフははにかみながら答えた。そしてそれに…とマイクロトフは眩しそうな目をして海を見つめながら続けた。
「天上に海があるのなら此処のことを言うのだろうな。いや…俺には似合わないな、こんな台詞。」
そう言って笑ったマイクロトフの格好は、長旅の果てに流れ着いたこの島では小汚く見えたが、カミューにとってそんなことはどうでもよかった。その日以来マイクロトフの笑顔が忘れられない。マイクロトフと親しくなるにつれ胸の中の燃え上がる思いは止まることを知らず、カミューはどうにかしてマイクロトフを夜の海岸へと連れ出すことに成功した。
そこで「好きだ」「俺もだ」「じゃあ早速」「ちょっと待て、ここじゃあ砂が中に入る」「いいっていいって気にしない。私が後で洗って……」などの会話が交わされ、翌朝にはすっかり二人は出来上がっていた。
結局そのまま離れられなくなってしまった二人は、島を出てとある町に落ち着くことにした。そこで生活の糧を得るため、偶然にもカミューとマイクロトフが昔バイトでやっていた探偵業を始めることにした。
つまり二人は今、探偵事務所兼住居である古ぼけたフラットの一室にいるのだ。



「……カミュー。」
カミューの唇が離れるのを待って、マイクロトフが小声でカミューの名を呼んだ。
「何?」
マイクロトフの目の前でカミューが微笑む。一瞬だけマイクロトフはカミューのその表情に見とれたが、すぐに目をそらした。
「仕事の電話はあったのか?」
「ないよ。」
色気のないマイクロトフの言葉にカミューが呆れたように笑った。
「笑い事じゃないぞ!」
「分かってるよ。あ、でも電話はなかったが来客があった。」
「本当か!」
仕事が出来る……!無為に日々を過ごすことに耐えられない性格のマイクロトフが顔に満面の笑みを浮かべた。
「うん。とある夫婦の浮気調査。」
「………まあ、ないよりかはましか……。で、どちらを調べればいいんだ?」
「旦那が自分の奥さんが浮気をしてるんじゃないかってね……。」
「そうか。」
うむ、と顔を顰めたマイクロトフ。カミューはマイクロトフのくるくる変わる表情が楽しくて仕方がない。つい伸びた手でマイクロトフの頬を軽く抓った。
「仕事があるだけいいだろう?」
「ああ、それはそうだが……。しかし舞い込んでくる仕事といえば、浮気調査や迷い猫探し……まあ、それでナスターシャがウチにやって来たのだからいいのか。」
「ブリジットだよ。」
「ナ……まあ、いいか。」
マイクロトフは絶対に譲ろうとしないカミューをやれやれと優しい目で見た。
「あれだってカミューが絶対にこの猫だと言い張ったものだからな……。」
「間違いは誰にだってあるさ。それに依頼主が探していた猫とは違ったからといって、そのまま捨てるわけにもいかないだろう?」
「当たり前だ。それに今となっては、あの時カミューが間違えてくれて良かったと思っている。」
「だろ?」
「調子のいいことを。」
再び顔を寄せてきたカミューの髪がマイクロトフの頬をくすぐる。マイクロトフがカミューの髪の中に指を入れた。
「しかしこれでは探偵事務所と言ってもなあ……。」
「マイクロトフは難事件を解決したいのか?」
「そういうわけでは……いや、少しはしたいな。」
マイクロトフがカミューと初めて出会ったときと同じように、はにかんだ笑みを見せた。
「名探偵か。」
「笑うな。」
くくっ……と喉の奥で笑いを堪えるカミューに、マイクロトフが照れたように額をこつんと当ててきた。
「名探偵は俺よりカミューの方がよく似合う。」
「そうか?どうしたんだ?急にそんなことを言って……何かやましいことでもしてきたのか?」
「俺は……!別に!」
「嘘だよ。嘘。あーあ、この仕事って疑い深くなるな。さっき来た夫婦の旦那だって、話を聞けば仲の良い普通の夫妻だ。」
「カミュー……俺は………。」
「うん、分かっている。私はマイクロトフを信じているよ。」
カミューがマイクロトフの背中に手を回してきつく抱きしめた。何の変哲もないありきたりのよう抱擁だが、今日は殊更にカミューの不安が腕を、背中を通ってマイクロトフに伝わってくる。誰よりも大切に思っているカミューをこんな気持ちにさせるなんて……マイクロトフもカミューを感じるために腕を上げた。
「ああ……俺もカミューを信じている。俺には…その……カミューだけだ。」
カミューがマイクロトフの言葉を聞いて息を飲んだ。
「……マイクロトフ……ありがとう。でも……。」
「でも何だ?」
「私に出会わなかったら、マイクロトフはあのまま気ままに世界中を旅していられたのに……後悔はしてないのか?」
マイクロトフの首筋に顔を埋めて、自分の思いを告げるカミューの声は哀しいほど震えていた。
「馬鹿なことを言うな。後悔だなんて馬鹿なことを………」
「マイクロトフ……。」
マイクロトフの腕に力が込められたのを感じると、カミューも迷いを断ち切ったようにマイクロトフを強く抱いた。そしてそのまま唇を重ね合う。掠めるだけのキスが終わり、もっと深く……といきかけたその時電話が鳴った。
「仕事かもしれないぞ!!!」
マイクロトフがカミューを放り投げて電話に駆け寄る。
「はい!マチルダ探偵事務所です!」
「マイクロトフ……ひ、酷いよ!」
はきはきと電話の応対をするマイクロトフの後では、床に転がった状態のカミューが恨めしげな目でマイクロトフを見ていた。
「はあ……?いや……違いますよ……。」
「マイクロトフ?どうした?」
不機嫌なマイクロトフの声。電話口ではかなりしつこく相手が何かを言っているらしい。
「だから違いますって!ウチはラーメン屋じゃありません!!!」
「……マイクロトフ……何てベタなオチなんだ……。」
呟くカミューの視線の先では、マイクロトフがまだ電話の相手と揉めていた。






紫の館様主催のパラレル交換会で葵様のステキSSが当たりました!
とにかくらぶらぶで本当に嬉しいです!
葵様、有難うございました!
(2001.11.17UP)