血ニ塗レ





 それは唐突の出来事だった。

 昼下がり、マイクロトフとカミューは偶々空いた時間に城下へ行こうと、連れだって歩いていた。
 他愛もない話をしながら、のんびりと。
 平和な時を享受していた。
 そこへ突如、割り込む悲鳴。
「……カミュー!」
「ああ」
 さっと緊張をみなぎらせ、振り向くマイクロトフにカミューはうなずいた。
 次々に上がる叫びは、紛れもない恐怖にかられたものだ。
 そして断末魔。
 ほぼ同時に、ふたりは走り出した。
 角をひとつ曲がると、悲鳴が大きくなった。逃げまどう幾人もの人々とすれ違う。
「失礼っ」
 カミューがそのうちのひとりを掴まえる。
「ああ、騎士団長様!」
 中年の男は、ふたりを見てぱっと希望を浮かべた。
「一体……」
「男が、剣を持った男が、」
 マイクロトフは最後まで聞かずに飛び出した。礼を言ってカミューもその背中を追う。
 腰の剣を確かめる。
 走る振動にあわせて擦れる金具の金属音。
「団長!」
「マイクロトフ様!」
 人々の声を受けながら、たどり着いた小さな広場。
 一瞬、凍りついたように足を止めたマイクロトフに追いつき、カミューも息を呑んだ。
 倒れ伏す、無辜の人々。
 石畳は塗装されたかのように赤黒く染まり、所々大きな血塊が落ちる。
 苦鳴と死が、その場を支配していた。
 鼻につく金臭さ。
 次々に駆けつける騎士たちも、あまりの凄惨さに言葉も出せない。

 そして、その中心に立つ男。

 なんとも判別のつかない物体を片手に握り、だらりと剣を下げている。
 集まってくる騎士たちを見て――笑った。
 その昏さ。
 その忌まわしさ。
 さながら悪鬼のような空気を身に絡ませている男の気迫に、包囲の輪が一歩広がった。
 どさり、と。
 投げ出されたものに、ぎり、とマイクロトフは歯を軋ませた。
 ぐしゃぐしゃに塗れた黒い髪。
 あれは……
 剛胆なカミューすら目を見張る。
「貴様……」
 抑えきれない怒りに全身をわななかせ、マイクロトフは剣を抜いた。構え、ぴたりと男に剣先をあわせる。
「ひゃ、はははは」
 酩酊した足取りで、男は手近な騎士へ襲いかかった。
 完全に呑まれていたまだ若い騎士が、剣を打ち合わせることなく絶命させられる。
 どよ、と包囲が揺らぐ。
「退がれっ」
 マイクロトフの声が轟くように空気を震わせて、誰もの耳へも届いた。硬直すらしていた騎士たちに理性を取り戻させる。
 びりっと芯の通った部下たちに、カミューはけが人を運ぶように言いつけて、自身も剣を抜いてマイクロトフのやや後方に発つ。
「マイクロトフ」
「ああ」
 押し殺した声で返してくる彼は、冷静だった。獣のように全身から怒りをほとばしらせ、男から目を離さない。
 常になく片手に剣を持ち、マイクロトフはじりじりと間合いをつめる。男も、マイクロトフに視線を向けて、
 ――嗤った。
 カッと目の前が赤くなる。
「おおおっ」
 マイクロトフは駆けた。
 火花を散らして刃が噛み合う。ぎりぎりと拮抗する力。男の剣を鍔で弾き、踏み込んだ分を退かれ剣は空を切る。もう一歩踏み込み、突いた剣先にわずかな手応え。
「ちっ」
 斬りかかってくる刃先をかわして、また剣を立てる。
 一度お互い飛びずさり、再び体勢を整えた。

 ――強い。

 それだけは認めよう。
 しかし。
 軍靴を浸す赤いぬめり。
 空を見つめる空虚な瞳。
 この苦痛。
 この悲しみ。
 わかるか。
「おまえに、わかるか!」
 吼えて、マイクロトフは再び斬りかかった。
 男は強い。
 殺すことにためらいがない刃は、確かに急所を狙う。
 しかし。
「マイクロトフッ」
 それだけだ。
 そんなもの、強さでもなんでもない。
 狂った剣には、なにもない。
「あ、あああ」
 確かな技量に裏打ちされたマイクロトフの剣技に、男は徐々に押されていく。緩んでいた口元が恐怖に弛緩する。

 ギィン

 マイクロトフの剣が男の剣を叩き折った。
 同時に肩を深くえぐられ、男は倒れた。
 息を弾ませながら、マイクロトフはその頸に剣を突きつける。
「た、た、助けてくれ……」
 わなわなとマイクロトフの肩が震えた。
「貴様が、その言葉を口にするか」
 剣を持つ手が怒りに揺れる。
「貴様が……っ」
「マイクロトフ」
 駆け寄って、カミューがその肩に触れた。伝わる憤り。
「捕らえろっ」
 ほっとカミューが息をついた。
 応えた騎士が、ふたりがかりで両肩を押さえ込む。
「うう……」
 苦痛か、男が声を漏らした。
「カミュー様」
 部下に声をかけられて、カミューは振り向いた。マイクロトフも意識をそちらに向ける。
「どうだ」
「実は……」
 青ざめた顔で話す部下の報告を聞きながら、カミューは一瞬警戒を忘れた。
 瞬間。
「は、は、ははは」
 小さな悲鳴とともに上がる嗤い。
 全てがスローモーションになった。
 手を押さえて数歩を下がるふたりの騎士。
 立ち上がる男。
 振り向きかけたマイクロトフと……突き出された短剣。
「マイクロトフッ」
 手を伸ばすカミューと、
 その手の先で――
「くっ」
 膝をつくマイクロトフ。
 とっさにカミューは剣を男に叩きつけていた。
 厭らしい笑いの残像。
 上がる飛沫。

 そして――

 マイクロトフは倒れた。





*  *  *  *  *  *




 ぼんやりとした映像が目に映る。
 それが虚像なのか実像なのか、しばし判別のつかぬまま、マイクロトフは身じろぎひとつできないでいた。
 身体が重い。
 瞬きひとつするにもおっくうに思える。
 瞬き――ではオレは目覚めているのか。
 そう思った途端、周囲は現実として焦点を結んだ。
 白い天井。白いカーテン。馴れぬ臭いは薬品か。どこかの病室のひとつらしい。
 ふと目をやれば、すぐ脇に。手の届きそうな場所にカミューがいた。
 椅子にかけ、背もたれに完全に体重を預け、茫洋とした瞳でどこか遠くを眺めている。
 生気が感じられないその表情。
 やはりこれは夢なのか?
 少なくともマイクロトフは、こんな顔をしたカミューを見たことがない。まるでよくできた絵画を見ているようだ。
 その姿、角度がどうも変だと思い――マイクロトフはようやく自分がベッドに横になっていることに気づいた。
「――ュー」
 声が上手く出せず、音になったかどうかもわからない。が。カミューはその瞳にみるみる意思を取り戻し、マイクロトフを見た。
「ああ……」
 返事ともため息ともつかない言葉を発して、カミューはマイクロトフの手を取る。その熱さに、マイクロトフは安堵した。
「何かほしいものはないか?のどは渇いていないか?」
 いささか急いた問いが耳に届いて、その瞬間猛烈にのどの渇きを意識した。みず、と唇を動かすと、吸い飲みで少しずつのませてくれた。
「一体……」
 口内が潤って、言葉もやっと明瞭に出せるようになり、マイクロトフは少しだけ満足した。起き上がろうとする動作を、しかしカミューにやんわりと制される。
「今は麻酔が効いているだけだ。動かない方がいい」
「……ああ」
 どうやらまた、自分は怪我をしたらしい。

 それは一体、い つ  ――

 は、と目を見開く。記憶の空白は埋まった。
「どのくらい経った」
「……おまえは3日、眠っていた。今日で4日目だ」
「3日も……」
 無念そうにつぶやくマイクロトフに、カミューはかぶりを振る。
「おまえを刺した短剣は毒が塗ってあった。生死の境をさまよったんだ」
 宥めるように手の甲を撫でるカミューだったが、マイクロトフにとってそれはさして重要なことではない。
「あの男は」
「死んだ。――俺が斬った」
「そうか……」
 蘇る場面。
 倒れた人々。
 そしてそれはすなわち――自分たちが守ることができなかったという、過ちの証。
「オレは……」
 まるで他人のもののような腕を、額に引き寄せた。目の奥が熱い。
「マイクロトフ……」
 労るようなカミューの声。
 しかしカミューは慰めなど口にしない。
 マイクロトフも泣き言など言わない。
 痛いほどの沈黙。
 時折堪えるように震える清潔感のあるのど。その震えが治まるまで、カミューは待った。握った手に力をこめると、まだ弱々しいながらも力が返ってくる。
 やがて、その不自然に力んだ身体が弛緩した頃、カミューは握った手を丁寧な手つきでブランケットに戻した。
「さあ、もう少し休むといい」
「……ああ」
「起きあがれるようになったら、皆の訓練を見てやってくれ」
 事件の後、騎士たちが空き時間に剣を取るようになった。もちろん、今までにも自主的にそれは行われてきたが。悔いを、悔いのままにしないために、それぞれが剣を握る時間が増している。
「そうか……」
 わざわざそんなことを言うカミューに、詳しい説明はなくとも事情を察する。
「わかった」
 それだけ言って、休息を求める身体に従い、マイクロトフはまぶたを閉ざした。
 1日でも早く、自分もその中に参加するために。
「――おやすみ」
 程なく寝息を立てだしたマイクロトフに、カミューは囁くように告げて、椅子を立った。





閉鎖した赤青オトコ同盟に寄贈していただきました。
両騎士団長のオトコな戦い!
こやこ様本当に有難うございました!
(2001.07.21UP/2007.03.30再UP)