かさかさと乾いた音がする。…何の音だろうか。鼓膜を震わせる、それを聞くと何故だかくびすじがくすぐったくなる。 カミューは目をゆっくりと開いた。 そして音の正体を知った。 木の葉の擦れ合う音だ。辺り一面、大地が隠すように茶色の落ち葉に覆われていた。乾いた葉が風に吹かれてそのような音を立てているのだ。重なり合う枝々の合間から穏やかな空が見える。絨毯のように敷き詰められた落ち葉の上にカミューの身体は半ば埋もれるているようだ。辺りはまばらに木が立ち並び、近くの、ある一本の木に彼の愛馬がつながれていた。 「カミュー」 突然見知った声が降ってきた。マイクロトフが跪いて顔を覗き込んでくる。 「こんなところで寝ていると風邪を引くぞ」 カミューは何か言いかけて、言葉を失った。どうしてこんなところで寝ているのだろうか…。 身を起こすと騎士服の上に積もった落ち葉がぱらぱらと落ちて行く。 「心配した。もう日が落ちるのも早いというのに、森に出かけたまま帰らないから。」 「…心配してくれたのか。」 カミューは自分でも奇妙に思うほど、ひどく嬉しさを感じていた。だがマイクロトフはカミューの言葉に少しむっとしたようだった。 「当たり前だ。何も言わずに出かけてしまうし…、皆も心配しているぞ。」 「…そうか。」 やはりにこにことしているカミューにマイクロトフは呆れたような吐息をついて、帰るぞ、と短く言った。 「ああ。」 カミューは立ち上がり、服に付いた落ち葉を払った。だがおとなしくしている愛馬に近付こうとして、頭がくらりとするのを感じた。 「…カミュー?」 「……ああ、何でもない。」 ずっと横たわっていて、急に起き上がったからだろうか? 「…、!」 途端、頭をまるで嵐のように何かが掠める。マイクロトフが。腕。 「カミュー?」 先に行きかけていたマイクロトフが振り返った。 「カミュー?…大丈夫か?」 カミューは首を振った。 「そうじゃないだろう。カミュー……、どうして……」 マイクロトフが小さく呟いた。 「何が…、何と言ったんだ、マイクロトフ。もう一度言ってくれ。」 俄かに不安が押し寄せてくる。思わず肩に手を掛けて問うとマイクロトフはカミューをじっと見て言った。 「思い出せ。」 何を……? カミューは落ち着かない気分になる。何を。何を思い出すんだ。何を忘れているんだ。またくらくらと目眩のようなものを感じる。カミューは目を閉じた。 どうしてお前はそんなに悲しそうな目をしているんだ…? + 首がすうすうする。 窓が開いているからだ。 もう晩秋だと言うのに窓を開け放しておくのは良くない。 カミューはゆっくり目を開いた。頬に当たる机はひんやりとしていた。そこは見慣れた執務室だった。いつの間にか机にうつ伏せて寝ていたらしい、そう気付いてカミューはやや赤面して辺りを見まわし、それから息をついた。執務室でうたた寝など初めてのことだ。 先ほどのあれは夢だったのだろうか。落ち葉の中で埋もれている夢…。それからマイクロトフが来ておかしなことを言った。 何と言ったか。そう、 思い出せ。 何をだ。カミューがぼんやりと彼の言葉をなぞるように考えていると執務室の戸が叩かれた。恐らく副団長くらいだろうと思った。うたた寝していたことがばれていなければいいが。 「どうぞ。」 心臓が跳ね上がる。入ってきたのはマイクロトフだった。 「カミュー。」 右頬が赤いぞ、おおかた机にうつ伏せて寝ていたのだろう?そう言ってマイクロトフはかすかに笑った。 「マ……」 口を開きかけてカミューはまた落ち着かない気分になった。何かがおかしかった。 「そうだ、腕。」 「何だ?カミュー」 腕。振り上げられた腕。暗い、 「……、」 また嫌な目眩が襲う。 「腕?」 ああ、そうだ。恐ろしい勢いで振り上げられた腕。辺りは闇に覆われて暗かったが、刃物の鈍いきらめきだけはやけにはっきりと見えた。 「マイクロトフ…!」 一瞬の隙を突いて、振り下ろされた刃はマイクロトフの腕に叩き付けられた。荒い息と短く低く、だがはっきりとカミューの耳に届いた苦痛の声。身体が揺らめいて、そこにもう一度、絶望的にもう一度振り下ろされる………… …………腕 カミューは顔を上げた。 「……お前はもう死んだんだな。」 マイクロトフは黙ってカミューを見ていた。 「…これは夢か?」 マイクロトフは首を振った。 「…違う。お前はまだ忘れているんだ。」 「……何を?」 マイクロトフはまた黙ってしまった。そしてもう一度言った。 「お前はまだ忘れているんだ。」 「……。」 カミューは考えようとして失敗した。思い出せるのは… 「駄目だ。…思い出せない。………。」 頭の中に黒い嵐が吹き荒れているようだった。 「マイクロトフ…」 顔を上げるとそこには誰もいなかった。 何とはなしに城内を散策した。人ひとり見当たらずしんと静まりかえっていた。四方を廊下に囲まれた中庭の隅に苔むした井戸がある。中を覗いてみると奥に水面が光っているのが見えた。枯れているものとばかり思っていたが、意外にも近くまで水を湛えた、その動かない表面に自分の顔が映っているのをカミューは見た。無表情にも、どこか自分のものでないようにも思えた。井戸から顔を上げると、そこにはただ草原が広がっていた。 枯れて黄色くなった草のこすれ合う音がする。ひょろりとした細い木の傍に、城内のものより更に古びた井戸がある。積み上げられた石は半ば崩れかけて、草の中に埋もれてしまいそうだった。 「ここは……」 懐かしい場所だった。一度しか通っていないがよく覚えている。 ここはマチルダ領内の境界近くだ。もう少し歩くとマチルダの深く黒い森に達する。 カミューがグラスランドから出て来たときに通った、その道だった。 「そうか……」 + 月の細い夜だった。 その光も木々に遮られて足元も覚束ないような暗さだった。多勢に無勢、追い詰められているのは初めカミューたちの方であったが、暫くして来た援軍によって形勢は逆転した。気がそれた、その一瞬のことだった。 振り上げられた腕。 刃を右腕に叩きつけられたマイクロトフは一度よろめいてその身体を立て直そうとする間もなく、そこへ絶望的な一撃が、恐らく相手にとってはそれが最期の機会である一撃が襲う。咄嗟のことだった。鈍く光る刃を見た。そして振り下ろされる腕。 カミューは目を閉じた。 「…カミュー。」 マイクロトフは死ななかった。 「…思い出したのだな。」 目蓋を開けると親友の姿があった。カミューはうなづいた。 「………」 視線が合って、どちらともなく小さな笑いがこぼれた。マイクロトフは少し俯いていたが、急にカミューの身体を抱き締めてきた。その身体の確かな温かさはカミューの胸に引きつられるような痛みをもたらした。 「……お前がこんなに馬鹿な男だとは知らなかった…」 小さな呟きがカミューの耳に届く。 「酷いな…。でもお前こそ、その馬鹿な男のために悲しんでくれるんだろう…?」 態とからかうように言うと、 「おれは自分が死んだことも忘れてしまうようなやつのためには泣かない。」 怒ったような早口の声とともに、身体を突き飛ばされた。 「早く行け。」 カミューはマイクロトフを見た。その背後にはもう、マチルダの黒い森がぼんやりと見えている。そして軽く手をあげて、ちょっと旅に出るという気安さで言った。 「じゃあ。」 マイクロトフに背を向けて十何年も前にやって来た道を逆に歩き始める。 それから最後まで彼が見せなかった涙のことを嬉しいと思った。 + END + |
萌葱様からSSをいただきました!
どきどきする展開、ラストは考えさせられます。
萌葱様、有難うございました!
(2001.10.22UP)