戦呪





 マイクロトフは両手で握りしめた愛剣ダンスニーに力を込めた。
 目前にはハイランドの紋章が眩しい鎧を装着したハイランドの兵隊達。
 槍を握る者もいれば剣を片手に呪文を唱えようとする者もいる。
 武器は違えど共通点はマイクロトフの命を奪おうとしている事であろう。
 戦は始まったばかりだ。油断は出来ぬ。
 大きく呼吸してダンスニーを振り降ろす。
空気を切り裂く音と共にマイクロトフの目前に勇ましく立っていた敵兵の両腕から血が吹き出る。
 腕を切り落とされた敵兵の痛々しい悲鳴声が上がると同時にマイクロトフは素早く移動して次の敵の肩に愛剣を突き刺す。
 再び、ダンスニーに染まる血。
 それでもマイクロトフは剣を振るった。
 獣の様に叫び、血を浴びる姿はまさに「戦神」のようであった。
 嵐のような時間が過ぎ去り、マイクロトフに刃向かった敵は全て地面に横渡っていた。
 それを確認してマイクロトフは重く溜め息を吐いた。

 しかし…不覚にも一人の敵兵が身体に流れ出る傷口を押さえながら誰の者か知らぬ剣を拾い上げて立ち上がった。
 目標はただ一つ、背を向けているマイクロトフの命を奪う事だ。
 血だらけな両手で握りしめると敵兵は走り出した。
 殺気に気が付いたマイクロトフが驚きを顔に出して振り向く。
 だが、遅かった…。

 隙を突かれたマイクロトフのうめき声が戦場の青空に広がった…。






「…幸い、傷は浅いので一週間安静していれば治ると思います。稽古等は控えて下さい」
 ホウアン先生が眼鏡を掛け直してマイクロトフに微笑んだ。
「はい…分かりました」
 マイクロトフは包帯を巻かれた脇腹の痛みを押さえながら頭を重々しく下げた。
 カルテにペンを走らせながらホウアン先生はトウタに投与する薬を用意する様に指示を出した。
 そんなマイクロトフの背中にはカミューが立って見守っていた。
 あの時、怪我したマイクロトフを救出したのはカミューだった。
 懐にしまっていた「優しさのしずく札」で応急手当てをしたりもしたのでマイクロトフは何とか軽傷で済んだのである。
「それから、カミューさん…」
 ホウアン先生がカミューの腕を引っ張って隅に移動させるとマイクロトフの耳に届かぬ様に小さな声で囁く。
「失礼なのかも知れませんが…マイクロトフさんは何時も戦で負傷しているのでしょうか…?」
「はい…?」
「戦で傷一つ負わない事などあり得ないという事は分かっていますが、マイクロトフの全身には幾つかの古傷が目立っている上に同じ所を負っている様な気がするんです…」
「…そうですね……信じられないのかも知れませんが、マイクロトフは人殺しをしないのです…」
 意外なカミューの言葉にホウアン先生は目を丸くした。
 苦笑いをしながらカミューは話を続けた。
「マイクロトフの剣の腕前は確かだが、どんな魔物や人間でも命を奪う様な事をしないのです。酷くても腕を切り落とすぐらいで……だから、負傷により錯乱した敵に隙を突かれる事が多いのです…」
「……そうでしたか…しかし、負傷が多過ぎるとマイクロトフさんの身体は持ちません。己の命をしっかりと守る様にカミューさんからも言って下さい」
「はい。私からもそう言っておきます」
 お辞儀をするのを見たトウタがちょこまかと動いてカミューに薬袋を手渡す。
「はい、カミューさん。一週間分の薬です!」
「おや、ありがとう…」
 微笑して振り向くとマイクロトフは傷だらけな身体に青い上着を着込んで立ち上がる所だった。
「一人で歩けるか?」
「……大丈夫だ…」
 元気無かったが、しっかりした足取りでマイクロトフは医務室を後にした。
 カミューも無言でホウアン先生にお辞儀をして後を追った。







 やはり傷が痛むと何時もの廊下も長く感じられる。
 マイクロトフは脇腹を押さえながら自室へ向かって行った。
 後ろではカミューが無言で見守りながら歩んでいたが、耐えられなくなったのかぼそりと呟いた。
「痛むか?」
「……ああ」
 そっけなく返事をするマイクロトフの横に移動するとカミューは肩をしっかりと押さえた。
「無理するな」
「……すまない」
 耐える事が出来なかったのだろうか。
 マイクロトフは安堵の溜め息をついてカミューにもたれ掛かった。
 赤くて広い肩に顔を埋めると血の気が無い下唇の分厚い口を緩ませて不定期な呼吸をくり返してマイクロトフは痛みに耐える表情をしていた。
 その表情を見守りながらカミューは今生まれた疑問を囁いた。
「…君の剣では人を殺せぬのか?」
「……ホウアン殿に言われたのか…?」
 やはりうすうす感じていたようだ。動揺もせずにマイクロトフは力強く答えた。
 カミューはわざとらしく傷のある脇腹を軽く撫でた。
 ぴりっと痛みが走り、マイクロトフは顔を歪めて呻く。
「うっ…」
「いつも負傷し続けてはお前の身体は持たぬぞ?」
 カミューの顔を覗き込む様にしてマイクロトフは呟いた。
 覚悟を決めた表情で重い唇を開く。
「……俺には人を殺せぬ呪をかけられている…」
「呪だと?」
 生真面目で現実主義なマイクロトフには似合わない言葉だ。
「…俺達が始めて出陣した頃を覚えているか…?」
「ああ…入団してわずか半年で戦ごとが起こっていたな…」
 過去をゆっくりと振り返りながらマイクロトフは呟いた。
「あの時に…俺は初めて人を殺した……」
 それはカミューも同じ事だった。
 誰だって相手を殺さねば今を生きれない。
 その時のマイクロトフに何が起こったというのだ?
「あの時、手に触れた血の生暖かさは今でも記憶に残っている……」
 カミューにもたれたまま、マイクロトフは拳を強く握りしめた。
 忘れる事のない記憶を掘り出しているのだろうか。






 初めてマイクロトフが命を奪った相手は自分よりもひとまわり大きい20代の若者だった。
 胸に埋め込まれた剣に驚き、口から血を吐き出して顔を歪ませていた。
 あれが死を感じとった人間の表情なのだろうか…。
 剣を握るマイクロトフの手が震えた。
 早く離れようと剣を引っ張った。
 上手く抜く事が出来なくてマイクロトフは泣きそうになった。
 下唇を噛みながら相手の腹を蹴ってやっと肉から剣を引き抜く。
 血を吹き出しながら相手は悲鳴を上げた。
 その悲鳴はただの叫びで無く、誰かの名前を呼ぶ言葉であった。
 名前ははっきりと思い出せないが、間違い無く女性の名前だった。
 なんで女性の名前を叫ぶのだろう?
 少年の心として疑問に思ったマイクロトフは思わず、大の字になって血の海に倒れる相手に駆け寄って尋ねていた。

 誰だ?

 すると相手は目を細めて笑いながら素直に答えた。
 俺の愛する女だ…。

 再び声をかけたが答えなかった。
 目を開けたまま絶命していたのだ。
 結局、その女性は家族なのか、恋人なのか不明なままとなってしまった。
 この瞬間、マイクロトフの心の奥に呪が刻み込まれた。

 生命を奪う事など出来ない呪を。

 誰だって親を持ち、愛する者を持つ。
 俺が命を奪ったら悲しむ者が出る。俺を恨む罪が増えてしまうではないか…。
 だから、剣を握って肉を断ち切っても生命を狙えない。
 どんなに血を浴びても俺は命を絶てない…。
 死ねば誰かが悲しむから。誰も悲しませたく無い……。






「マイクロトフ…」
 カミューは思わず、マイクロトフを抱きしめていた。
 もう喋るな、と言いたげに。
「お前の言いたい事は良く分かる…だが………」

 お前の死を悲しむ者もいる事を忘れるな。

 辛気な声で耳元に囁かれた言葉はとても重たかった。
「カミュー…」
「頼む。己の命を守って生きろ……」
 抱き締める腕に力がこもるのが感じられる。
 傷口がとても痛かったが、マイクロトフは負けずにカミューを抱き返した。
 カミューが今まで味わっていた辛い気持ちにマイクロトフは今、気がついたのだ。
 ああ…俺の事などどうでもいいと思っていた……すまない…。
 ゆっくりと顔を見合わせるカミューとマイクロトフ。
 そして、自然と触れあう唇。
 生暖かい舌が交わる激しい口付け。
 誰かが通るかも知れない廊下であったがもう何も考えない事にした。
 カミューの生命とマイクロトフの生命が混ざっていく様にも感じられた。
 生きる素晴らしさを味わいながら名残惜しいだ液の糸を繋げたまま二人は唇を離した。
 2、3回深呼吸をして息を整えるとマイクロトフは溜め息をついた。
「…俺が生きる為には殺人を犯せというのか……」
 でないとマイクロトフの傷は増え続けて致命傷になりかねない。
 ふらりと力無く壁にもたれるとマイクロトフは顔を覆った。
「…この世は狂っているな……」
 生まれて来る時代を間違えたマイクロトフの悲痛な悲鳴でもあった。
 早く落ち着かせて安静させなければ…。
 カミューは優しくマイクロトフの肩に手を伸ばすとしっかりと自分が支えて自室への廊下を再び歩みだした。
 耳元に届くかどうか分からなかったがカミューは答えた。



「それが戦争というものだ…」







閉鎖した赤青オトコ同盟に寄贈していただきました。
命の重みに向き合うオトコらしい作品!
MIKA様本当に有難うございました!
(2001.08.17UP/2007.03.30再UP)