-cinema diary-

5〜6月の映画日記。


 

2000.6.30 ミンナモエテシマエ


「クロスファイア」

原作:宮部みゆき
監督:金子修介
主演:矢田亜希子 伊藤英明 他

鑑賞日:2000.6.10



※ご注意※ ややネタバレを含みます



 ここで「クロスファイア」について語るために、僕は原作を読破しました……とか言うとカッコいいですけどね(笑) 取り敢えず「燔祭」だけは読み返しました。


 と言うことで、以下の文章は、小説「クロスファイア」に関して「こんなものだろう」という当て推量に基づいて書かれていますので、ひょっとしたら物凄く的外れな事を言っているかも分かりません。ご了承下さい(笑)


 と言う訳で「燔祭」です。ずっと以前に読んで内容をすっかり忘れていた本書ですが、映画「クロスファイア」は実は「燔祭」の映画化だったということに読んでみて初めて気が付きました。
 で、映画の方はと言うと、良くも悪くも金子修介、という感じでした。音楽が大谷幸とあって雰囲気はかなり「ガメラ」シリーズに近かったです(笑) これで伊藤和典&樋口真嗣が参加していれば……(爆)
 何せ金子修介、マジメです。何がマジメなのかと言うと、真剣に原作の話をトレースしようとしているんですね。ただ、気を付けなくてはならないのが、話の筋を忠実にトレースしたからといって、小説そのものを再現出来るわけではない、という事。
 映画は、「燔祭」で起こった殺人事件を導入として、「クロス・ファイア」で描かれた巨悪との対決を描いています。なぜこういう構成なんでしょう? それは恐らく「クロス〜」を忠実に追うと、主人公を最初から着火能力を持つスーパーヒーローとして位置づけなくてはなりません。マジメな金子監督は、それがなんとなく容認出来なかったんでしょうなあ。主人公を事件へといざなう「きっかけ」として、「燔祭」は使われているのです。
 ここで浮き掘りになるのが、「燔祭」と「クロス・ファイア」のテーマの違いでしょう。超能力者の悲哀、には違いないのですが、「燔祭」は「正義とは何か」「善悪とは何か」という観念的なテーマを追いかけているように見せかけて、実は恋愛物だったりするので侮れません。
 ここで映画評から離れて小説の話になってしまうのですが、「燔祭」は、超能力を持ったヒロイン青木淳子が、主人公である青年・多田の復讐の肩代わりをする、というお話です(未読の方、注意!)。多田は最初のうちは犯人を憎み、復讐の正当性を信じて疑わないのですが、淳子がその復讐を肩代わりした事によって「本当にそれでいいのか?」という疑念に囚われます。
 そういう角度から見れば、この作品は確かに「善悪」をめぐる物語です。しかし淳子にしてみれば、この「復讐」は彼女が持って生まれた憎むべき能力を、誰か他人のために生かせる……つまり、「誰かのためになれる」絶好のチャンス、という事になります。つまり、青木淳子という女性の「自分探し」がこの物語の焦点になってくるわけです。この二人、結局は意見の相違から離れ離れになり、そのすれ違いの過程がやや恋愛もの的に描かれるわけですが……この青木淳子を主役と捉えれば、作品の主題は善悪云々ではなく、一人の女性の自分探しがメインテーマになるのでしょう。
 で、映画です。映画の方はこの「燔祭」をあくまでも導入として使用していますが、巨悪を巡る陰謀、闘いとは別に、映画のもう一本の軸として前述の「二人のすれ違い」を、こちらは自覚的に恋愛として描いています。つまり、その軸をメインと見なせばこの映画は「クロスファイア」を名乗りながら実際は「燔祭」の映画化作品と言えなくもないわけです。そう、「燔祭」をアイデアとしてちょい借りしているように見せかけて、逆に映画的なスケール感を持たせるために「クロス〜」を引っ張ってきた、と考えられるのですね。
 そう考えたとき、この原作に施されたアレンジは違和感を伴ってきます。青木淳子が事件に深く関わって行くきっかけ、動機として「燔祭」の事件が機能しているわけです。このきっかけは淳子の内面に強い動機づけを行い、結果として彼女はためらいながらも自らの選択によって事件に迫っていくのです。そこでは「自分の存在意義を見つけたい」という頼りない欲求よりも、具体的な事件解決欲求――つまり、自己のアイデンティティとは別の欲求が彼女の行動を支配している事になります。
 さて、そこで浮かび上がってくるもうひとつのテーマ……「正義とは何か?」です。当然、彼女は事件の中で自分の信念を試される事になります。正義とは何か? 善悪とは何か? ここで、彼女の目的が「自分探し」であったならばどうでしょう。自己を確立できる手段こそが「善」なのだ、と意識する事が出来れば、それを信じて真っ直ぐに付き進めばいいのでしょう。「燔祭」において、彼女は復讐の鉄槌を下す事になんの迷いも持っていませんでした。彼女自身がその手段を「正当」と信じていたのです。それが「自己を確立する手段」であるとはっきりと認識していたからこそ、その信念は揺らがなかったのです。しかし、映画「クロスファイア」において善悪の是否を問われる青木淳子は、結局そこに明確な答えを出す事が出来ませんでした。それは、あくまでも彼女にとっては「巻き込まれた」事件に過ぎなかったゆえに、それに対して明確なスタンスを持てなかったのだと僕は思います。そういう主人公の自己主張の弱さが、結果として作品のテーマそのものをぼやけさせているのではないでしょうか。のみならず、彼女の持つ「迷い」は、映画のテーマそのものの揺らぎを反映してはいないでしょうか……?
 ここで、「強い信念」を描き出すことで映画に「強いテーマ」を盛り込めなかった事……これが、映画「クロスファイア」の大きな弱点として僕の目には映ったわけです。
 戦うヒロイン……それは、美しくなければなりません。しかし、信念に欠ける彼女の姿は決定的な美しさに欠けているように思われます。単にテーマ的、物語的な部分でもそうですが、実際の映像の方もお世辞にもスタイリッシュとは言い切れません。先に指摘した「ガメラ」的という意味……「ガメラ」においては、特撮を受け負っていた樋口真嗣の美的センスが映画を支えていたわけですが、この「クロスファイア」においては「美しい」映像は実現しませんでした。「火を操るヒロイン」というヒーロー物的な要素にいろんな意味で気を取られ過ぎていたように思えます。そういう意味では、「ガメラ」的であってはいけないのに「ガメラ」的であった……と思うのですが皆様いかがでしょう?




オススメ度:☆☆☆



 余談ながら、「ガメラ」は面白いです。「ガメラ」の名誉のためにここに書き記しておきます(爆)


2000.6.30 噂のXレイ


「ロミオ・マスト・ダイ」

監督:アンジェイ・バートコウィアク
主演:ジェット・リー アリーヤ デルロイ・リンド 他

鑑賞日:2000.5.21



 いつも思う事ですが、この映画日記はいつも更新が遅れているので、掲載される頃には取り上げている作品の公開は終了しているケースが多いです。まあ、終了間際に見に行っているのだからもうどうしようもないんですけどね(笑)
 で、「ロミオ・マスト・ダイ」です。これに関しては珍しく気合をいれて公開直後に見に行きました。ま、それだけ期待していたっつうことですが……。
 結論から行きます。ネタバレがあるので要注意。  
 確かに出来のいいアクション映画でした。しかしながら、話題のXレイ・バイオレンスが、
 
 わずか3カットしかない
 
 と言うのは一体どういう了見なんでしょうか(爆)
 公開前にはポスト「マトリックス」的に取り上げられていた本作です。そして「マトリックス」と言えば、CGを多用したスタイリッシュで奇抜な映像がウリでした。その流れで言えば、誰だってこの映画が「CGバリバリのスタイリッシュなアクション映画」と思うのではないでしょうか。
 しかし、実際の所CGを使っているシーンは極端に少ないです。前述のXレイ・バイオレンスの他は、話題になった「6人蹴り」くらい。
 そのシーンは、確かに素晴らしい。しかしながらCGによる見せ場はそれだけで、後はひたすらジェット・リー本人の体技に頼りきり。そして、そのリーにしてからがジャッキー・チェン風の軽技に徹していて、本来の技のキレを生かし切れていない……小道具を巧みに使う曲芸的アクション、勢いだけでがむしゃらに突き進む熱血漢ぶり……それらはジャッキー・チェンの得意技であり、「本物の格闘家」であるジェット・リーのやる事ではないように思います。
 確かに、アクションとして良質な映画です。が、伝えられているほど「新感覚」かというと……。「マトリックス」のような、CGによる作為的な奇抜な映像を求めている観客に見せるには、彼の「本物」ぶりに多少不足はないだろうかと、心配せずにはいられない一作でした……。




 余談ですが、ジェット・リーという役者、意外にSFXと相性がいいような気がします。ジャッキーは旧来の肉体派、体当たりの熱血アクションが売りですが、ジェット・リーはもう少し近代的な、ワイヤーなどのテクニカルなアクションに挑んできた人です。そういう意味では、「マトリックス」ではわざわざ香港からユエン・ウーピンを呼んで、「吊り」+CGという新感覚の映像を産み出しましたし、香港映画もハリウッドの手を借りつつ「ストーム・ライダース」というCG満載の次世代アクションを完成させました。そういう意味では、ジェット・リーという人は「マトリックス」的なものにピタリと当てはまる人材なのではないか、という気がしてなりません。
 更に余談ですが……彼はCGの力で6人を同時に蹴りましたが、そのうち4人まではCGなしで蹴ったそうです。まさに人間SFX……。




オススメ度:☆☆☆☆
(繰り返しますが普通のアクション映画としてはかなりのデキ)


2000.6.30 映像のマジック


「スペース・トラベラーズ」

監督:本広克行
主演:金城武 深津絵里 安藤政信 他

鑑賞日:2000.5.19



※ご注意※ ややネタバレを含みます




 なんかうまくまとまらないなあ……。
 と言うわけで「スペーストラベラーズ」です。本作は「踊る大捜査線」で99年度邦画ナンバーワンヒットを記録した、本広克行の最新作です。実際「踊る〜」とも非常にテイストが似ています。テレビほどに軽くなく、かといって「邦画」ほどに重くなく……ある意味、日本発の映画としては非常に理想的な映画だと思います。こういう「軽い」作品、娯楽に徹した作品というのはえてして造りがチャチになりがちですが、「踊る〜」ヒットがもたらした予算の為せる技か、それとも監督及びスタッフの技量なのか、非常に作り込みの確かな良品に仕上がっています。
 では、何故「良品」であって「傑作」ではないのか。
 邦画において、こういうコメディやアクションと言うのは多少軽く見られているのか、予算やスケジュールの問題から「チャチ」になりがちです。映画の出来に多少まずい所があると、それだけお客さんも正直に反応します。ヘナチョコの映画を「傑作」と太鼓判を押す人は少ないのです。そういう意味ではこの作品の、この確かな作り込みは監督以下スタッフのこだわりの証明でもあり、それを可能にした予算・スケジュール的な環境のよさの証明でもあり、そしてその状況下で「こだわり」を実際に形に出来るスタッフ・キャストの技量の証明でもあるでしょう。完成した映画は、スクリーンの中に映画独自の「世界」を構築し、その世界に観客をどっぷりと浸からせてくれます。そう言った「構築された世界」の確かさで言えば、右に並ぶ作品はまず日本にはないのではないでしょうか。
 ただし、映画自体がその「世界」をぶち壊してしまわない限りは、ですが。
 少しネタバレになりますが、この映画のラストは必ずしもハッピーエンドとは言えません。もし、苦労して構築した世界を完全なものに仕上げようと思えば、題材として描かれている「事件」――「銀行強盗」が、誰の目にも鮮やかに見える形で「成功」しなければなりません。しかし、映画はそんなウルトラCの要求される局面において、不意に自らその世界を破壊し、観客を現実世界に立ち返らせるのです。そして、現実世界から認識できる形での結末を提示する事でお茶を濁すのです。世界を構築するという「映画のマジック」に酔いしれていた観客は、その楽しみを棚上げにされて、ドラマ的な感傷を代わりに提示されるのですが……驚き、笑いたいと思っている所へ「ホロリとして下さい」と言われても、ちょっと戸惑いを覚えずにはいられません。まあ、それはそれで悪くないんでしょうけどね。
 それにしてもこの文章、映画を見た人にも分かりづらいですね。モウシワケナイですが、それはそれで悪くない――いや、悪かったです。スンマセン(爆)




 て言うか、ASDにも何が言いたいのか分かっていないのでした…… 




オススメ度:☆☆☆


2000.5.31 三度叫ぶ



「スクリーム3」

監督:ウェス・クレイブン
主演:ネーヴ・キャンベル、デヴィッド・アークエット、
   コートニー・コックス・アークエット

(2000年 アメリカ)


鑑賞日:2000.5.10



 シリーズももはや3作目、これで完結との事です。本当にそうなのか、とつい疑ってみたくなりますが、そうこうしているうちに4のウワサが……(笑)
 さて、今回は1から参加していた脚本家のケヴィン・ウィリアムソンがついにスタッフから外れてしまいました。自作監督作に大忙し、との事ですが、そういう経緯でこれまでのシリーズとは随分毛色の違った作品に仕上がっているのがこの「3」だったりします。
 ひとつ、この「3」からついに学園物ではなくなってしまいました。「1」は高校、「2」は大学と、ヒロインの進学に合わせて舞台も変わったわけですが、では今回の舞台は? そう、なんとハリウッド! ……「1」事件はのちに「スタブ」という名で映画化されました。その試写会の会場で殺人が……と言うのが「2」でありましたが、今回その「スタブ」はなんと「3」まで映画化され、その「3」の製作現場が今回の舞台となります。そう、出演者がつぎつぎ殺されていくのです。
 じゃあヒロインはどこに出てくるの? と思ったあなた。実に鋭い。「2」でシドニーは、大学で演劇を学んでおりました。じゃあ、ハリウッドで役者に? と思いきや、実は彼女は2回に及ぶ事件ですっかり脅え切ってしまい、山奥で隠遁生活を送っているのです。今回みたび発生した事件の後、犯人からの電話を受けて山を降りてくるのですが……はっきり言えば、殺される役者たちとシドニーとの間に接点が無いため、殺しに今ひとつインパクトがありません(笑)。
 ところで、「スクリーム」と言えば、殺人鬼ホラーであると同時に、犯人探しのミステリであったり、映画関係のウンチク満載であったりといった要素があるわけですが……。前作「2」では、「パート2は1を超えられない」という映画界のジンクスをある意味ネタとして活用し、「1」のセルフパロディに徹する事でそのジンクスをうまく切り抜けようとした作品であったわけですが、同時にホラー映画としてのパワーアップをはかった反面、ミステリ的要素がやや欠落していました。犯人が簡単に読める反面、共犯に関してはウルトラC級の「ずる」をやらかしてました(笑)。
 その反省があってか、3では犯人の正体が凝りに凝っていて、まさに予測不可能です。物語は「誰が犯人なのか」という興味を最後まで引っ張っていくのですが……逆に凝り過ぎていて、誰が犯人であったとしても逆に意外性を欠くというサビシイ結果に終わっています(笑)。
 せっかくハリウッドが舞台なのに、映画ウンチク話も大幅にグレードダウンしていました。「2」は「1」を超えられてなかったわけでもありませんでしたが、「3」は前作までを超えられたか、というと……ちょっと首を捻らざるを得ないシロモノに仕上がってました。



 ちなみに、シリーズのファンにはちゃんとサービスが用意されていたりもします。見所は何と言っても、冒頭で殺される意外なあの人と、そして全く意外な「あの人」の再登場でしょう。これだけでも見る価値はあり。当然、誰なのかはここでは書きませんよ(笑)。



(関係ないですが、シリーズを追うごとに血まみれ度は低下する一方。人気シリーズゆえの年齢制限対策なんでしょうなあ……)



オススメ度:☆☆☆




2000.5.29 鋼鉄のヒーロー



「アイアン・ジャイアント」

監督:ブラッド・バート
声の出演:ジェニファー・アニストン、ハリー・コニックJr、他

(1999 アメリカ映画)


鑑賞日:2000.5.7




 うーむ、この感動をどう言いあらわせばいいものやら……未だに悩みますが、取り敢えず行ってみましょう。

 一時期死に体だったディズニーは華麗なる復活を遂げ、アニメのみならず実写の方でも大作を連発しています。そのディズニーに続けとばかりメジャー各社もアニメの制作に乗り出しましたが……「アナスタシア」や「プリンス・オブ・エジプト」など、努力は認めるものの所詮はディズニーの模倣に過ぎません。そのディズニーにしてからが、近年は試行錯誤の苦境を隠し切れないありさま。
 そんな中での「アイアン・ジャイアント」です。アメリカにおけるアニメ映画の状況から見れば、全く異質な一本と言えるでしょう。
 まずこの作品、ミュージカルではありません。
 これは非常に画期的というか、何というか……何故かは知りませんが「アニメはミュージカルでなければならない」という不文律はそれまで忠実に守られてきて、「ターザン」にしてからが、ナレーション部分を歌にする、という苦肉の策でこれを貫き通しています。しかし、「アイアン〜」はこれに全くとらわれる様子を見せません。これによって作品は「ミュージカル」ではない、「映画」としての枠組みを手に入れた事になります。
 では、歌と踊りを捨てたこのアニメ、その最大の魅力とは何でしょうか。考えてみれば、アニメ映画らしい派手なシーンというのもほとんどなく、映像そのものは大変地味な作品と言えます。
 それでは、絵が手抜きか?と言えばそうでもなく、一見2Dで描かれているかのようなジャイアントは実際は3Dで描かれ、2Dの絵と合成されています。映像的には、充分挑戦的であると言えます。
 歌と踊り……そして派手な映像。これら映画としての「虚飾」を敢えて捨てたことによって、本来のキャラクターの魅力、ストーリーの魅力が浮かびあがってきます。存在感満点の「主人公」であるジャイアント、彼をとりまく人間達……。そう、この物語は、彼ら人間たちの物語でもあります。一緒に遊ぶ友達もいない孤独な少年ホーガース、女手ひとつで息子を育てる母親アニー、そしてホーガースに協力する、売れないアーティストのディーン……そしてジャイアント。その存在ゆえに、人々に恐れられ、追い詰められる可哀相なヤツだったりします。
 そう、この物語は、彼ら「弱者」の物語でもあります。対する悪役は、政府の役人であり軍隊。「国家の安全のため」という根拠のありそうでない建て前を胸に、彼らはジャイアントを、ただそこにあるというだけで敵視し、破壊しようとします。
 ところでそのジャイアントはと言えば、出自不明ではあるものの彼が「兵器」である事は作中でも明らかになっていきます。自らが人殺しの道具である事に苦悩するジャイアント……。その彼の「自分探し」もまた、この作品のテーマの一つ。追い詰められた彼はその防衛機能から、自らの兵器としての運命に従わざるを得なくなります。そんな彼が、軍隊に追われながら、人々に怖れられながら、友人であるホーガース少年を、そして人間達を助けるために立ち向かっていく……自ら犠牲になろうとするジャイアントの姿はいやがおうにも胸を打ちますが、それが何よりも泣けるのは、その行為が「人殺しの道具ではなく、人を助けるための存在である」という自らのアイデンティティを証明するための行為であること……無条件の犠牲ではなく、おのれ自身のための戦いであると言う事。そうやって自らの運命に敢然と立ち向かっていくジャイアントの姿……それが、涙無しでは見られないのであります。



おすすめ度:☆☆☆☆☆(つまり満点!)



2000.5.23 それはいつか通った道


「グリーン・マイル」

監督・脚本:フランク・ダラボン
原作:スティーブン・キング
主演:トム・ハンクス、マイケル・クラーク・ダンカン


鑑賞日:2000.5.1




 さて、「グリーン・マイル」です。
 巷でのこの映画の評価は、どのようなものなのでしょうか。かわばたさんはめっちゃ感動していたようですし、興行成績も悪くないみたいです。では、僕の周囲の反応は? 3時間という長さに知りごみする人もいます。「あれってつまらないんでしょ?」と何故か面と向かって問われた事もあります(笑)
 長さに関して言えば、実は僕は3時間もある大作だとはまったく知らずに観に行きまして(笑)、実際見終わったあとも、「んー2時間半くらいかな? 途中ダレたけど」などと間抜けな感想を持ったものです。そう、ダレたのではなくて、長いから疲れてたんですね(笑) ま、そういう意味では「長さを感じさせない」と言ってしまって嘘にはならないと思います。
 では、この作品、本当に面白いのか……と問われると、どうにも素直に「その通りです」と答えづらいものがあるんですねえ……。
 このグリーン・マイルと言う映画、一口で言うと、非常に「どこかで見た事がある」映画なのですね。
 勿論、スティーブン・キング原作、フランク・ダラボン監督/脚本という布陣は実は「ショーシャンクの空に」と一緒でありまして、あれもやはり刑務所もので「泣ける」映画だったなあなどと思いを馳せていると、おのずと二つの映画がダブって見えてきてしまいます。
 また、年老いた主人公の回想、という形式はスピルバーグが「プライベート・ライアン」でやっていたりして、それに主演しているのがトム・ハンクスだったりするのですね。ついでに、看守役の一人は「プライベート〜」で狙撃兵役で出てたあの人だったりするし。
 そういう意味では、そういう「大作映画」を「狙って」撮った、という印象は強いです。普通映画と言うのは、撮影したフイルムが上映時間の倍くらいあるのが普通なのではないでしょうか。そこからいるカットと要らないカットを選別していった結果、「どうしてもこれだけは必要」という尺が3時間あったりするのが普通の「長い映画」なわけで、始めから計算された「3時間」ならば楽しめて当然なんでしょうけど、なんか作為的です。
 ……と言うのは単なる言いがかりなんでしょうけど、一番大きな問題は実は他にあります。それはこの映画の内容が、予告編を見た上で観客が想像する「だいたいこんな内容なんだろうな〜」というイメージを、いい意味でも悪い意味でも全く裏切ろうとしない、という事でしょう。観客は映画に、いい意味で裏切ってくれることを期待しているものなのです。やっぱり。


 ……とここまでゴネて来ましたが、何でかと言うとこの映画に関して、ひとつだけ納得のいかない事があったから。それは……と言いますと、ネタバレになりますのでこちらをどうぞ。



おすすめ度:☆☆☆(文句つけましたけどツマンナイわけじゃないです(笑))



2000.5.13 首無し騎士vs火星人


「スリーピー・ホロウ」

監督:ティム・バートン
主演:ジョニー・デップ、クリスティーナ・リッチ


鑑賞日:2000.4.19




 ティム・バートン最新作です。「シザー・ハンズ」以来のジョニー・デップとのコンビ作でもあります。
 前作「マーズ・アタック!」は一部マニアに大受けしたものの一般の人には散々……かと思いきや、意外に人気はあるようです。にしても、見る人を選ぶ作品であることには違いないのですが。
 ある意味やりたい放題やらかしてしまったのが「マーズ〜」でしたが、今回の「スリーピー〜」はがらりと変わって、落ち着いた雰囲気になっていました。
 まあ、理由は色々あるでしょう。今回原作はアメリカ文学の古典中の古典ですし、あまり無茶は出来ません。前作の反省もあるでしょうし(笑)
 注目なのは、プロデューサーとしてフランシス・F・コッポラの名前が上がっていることでしょう。そう、自ら「ドラキュラ」を撮り、「フランケンシュタイン」をプロデュースしたコッポラです。では、この正調ゴシックホラーぶりはコッポラの意図によるものなのでしょうか?
 とは言え、主人公イカボット(すごい名前だ)のとほほぶりとか、首なし騎士の堂々たる怪物ぶりなどバートン節爆発といった所で、雇われ監督に徹しているフシは見受けられません。
 振り返ってみれば、「マーズ・アタック!」はかつてハリウッドで数多く作られた、侵略SFものへのオマージュと言えるでしょう。当時のB級映画のとほほぶりを受けて、実にシュールな映画に仕上がっていました。同様に、この「スリーピー・ホロウ」は、往年のゴシック・ホラーの名作・傑作群への見事なオマージュとは言えないでしょうか。その思い入れを「エド・ウッド」でも見せていたティム・バートンが、正面切って撮ったゴシック・ホラー……それが、この作品なのでしょう。
 そう考えると、映画少年だったティム・バートンが、ホラーを、あるいはSFをどういう風に見ていたのか……それがそのまま映画になっているのでしょう、きっと。
 そうなると……SF映画って、かなりトホホだったんだなあ……。


おすすめ度:☆☆☆☆☆


 


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