火焔土器考
近年、十日町の火焔型土器を含む一連の土器群が、国宝に指定されたことは有名だが、その先駆けとなった火焔A式1号(通称火焔土器)が今から70年程前に一個人によって、既に発見されていたということは以外と知られていない。
多分その当時、この土器がある系統を形作りながら新潟県内(一部県外)のあらゆる遺跡から次々に発見され、しまいには国宝にまで指定される物が現れるとは、発見者の近藤さんも想像だにしなかったのではないだろうか。
発見されてから数十年、近藤氏の仕事を引き継いだ中村氏をはじめ幾多の人々が、この土器の魅力と謎に挑戦してきたが、未だに私を納得させる明確な答えを出した人はいない。中村氏は、その大きな特徴的な取っ手を鶏頭冠と名付け、それに見合う答えを中国や中近東方面にまで求めたが、明確な回答を得られぬままこの世を去られた。そこで私もこの場を借りて自説を交えながら、その謎解きを展開してみようと思う。
※ 火焔土器という名称は馬高遺跡で出土したA式1号だけに与えられた通称であるが、このHPでは、火焔型土器を含め一連の土器群を火焔土器と便宜上呼ばせていただく。
左の写真は中道遺跡で表採した火焔土器の一部(炭化物のこびりつきがかなり見られる)。