Remember 1995.1.17
1月16日夜、小さな地震がありました。それが、前兆だったとは。
珍しいなあ・・・・そう言いながら、何の心配もせずにぐっすり寝こんでいた翌朝未明・・・。

突然の地鳴りと共に、そいつは襲ってきました。
経験もしたことのない大きな揺れ、それは地震の概念を超えたものでした。
以前体験した、北海の荒波にもて遊ばれる小舟のごと、我が家を揺り動かす。
この世の出来事とは到底信じられないものでした。

ふとんから出ることも出来ず、もう、壊れる・・・と思いながら、
ひたすら揺れが納まるのを待ちました。
長かった揺れからやっと解放されたとき、寝ぼけ頭に真っ先に浮かんだこと・・・
それは日本がもうなくなったんではないかということでした。

そう、この神戸でこれだけの揺れがあったということは、
震源(伊豆?)に近い東京は全滅したのではないかと思ったのです。
それほど、当地で大地震が起きるとは夢にも思ってもいなかったのです。

倒れたロッカーボックスから懐中電灯を探し出し、
ラジオを聴いて震源が明石海峡と聞いたときに、
初めて自分達がとんでもない出来事に巻き込まれていたことを知りました。

外の様子伺いに、とぎすまされた寒気の中で見た夜空は煌々と満月が輝き、
白く、はかないものがチラチラと舞い降りていました。
何事もなかったかのように、辺りは静寂そのものでした。

しかしその時、もっと揺れた長田・阪神地区では大変なことが起きていたのです。
明るくなってから電気が復活し、TVを見て、初めてその惨状を目にしました。

幸い、大した被害もなく、不幸中の幸いでした。
ただ、水道とガスが長期間出なくなり、特に水くみに追われる日が続きました。
(こんな場合、水洗便所って不便なんですよね)

数日して、風呂に入りに20kmほど離れた地方都市に行きました。
何事もなかったかのように賑わう街角・・・自分には別世界のようでした。
何故、神戸とその周辺の人だけが、こんなひどい目に遭わなくてはならないのか...
私たちが、何か悪いことをしたとでもいうのか...

長田の友人の手助けや、西宮の勤務先に行く途中、
被害の大きかったところを幾度となく歩きました。
特に、長田周辺はひどい状態でした。
そんな、惨状を目にしながら、このページに載せるべき写真が一枚もありません。
何故って、私には惨状を撮るほど余裕もなく、
また人の不幸を興味本位に写すことは出来ませんでした。
観光気分で被災地を訪れ、壊れた家の前で記念写真を撮ってる新聞記事を見て、
怒りに燃えていました。

4年の月日があっという間に過ぎました。
幸い、私の場合は僅かな被害と、少しばかりの不便だけですみました。
街もほとんどの所で、かっての賑わいを取り戻しました。
でも、まだ復興の終わってない人々がたくさんおられます。

“リメンバー 阪神大震災” この教訓を生かしつつ、
こんなことが起こらないように、祈りたいと思います。

もっと詳しく知っていただきたくて、阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)
に関するHPの紹介を致します。
あの惨状の中で、医療に尽くされた方々の貴重な体験談が掲載されています。

大震災が教えてくれたこと  長田区の外科医さんのホームページ
阪神大震災メモリアル     長田区の内科医さんのホームページ
’99年2月記

更に3年あまりの月日が経ちました。
仮設住宅が建っていた公園にはサッカー教室など子供たちの遊びの場に戻り、
空き地だった土地にも今は分譲住宅が建ち、販売が始まりました。

街に地震を痕跡が無くなった今、中央区に「人と防災未来センター」が出来ました。
さっそく行ってみましたが、震災を再現した画像とジオラマにより、地震の凄さ、恐ろしさ、
そしてボランティアの暖かさを広く世間に伝えてくれるものと期待しています。
興味のある方、神戸にお越しの際には、ぜひお立ち寄り下さい。
’02年6月記