2021年01月16日(土) 「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではな く、パンを食べて満腹したからです」ヨハネ6:26
「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではな く、パンを食べて満腹したからです」ヨハネ6:26
主が、五つのパンと二匹の魚で奇跡をされ、大勢の人々を満腹させ られた。その奇跡を見るや、群衆は大歓声で主をかつぎ上げ、王と するために連れて行こうとした。その時、主は、ひとり、山に退か れた。人々は奇跡を見、満腹した時に「まことに、この方こそ世に 来られるはずの預言者」と言ったが、主はその心の内をご存じであ った。 群衆は主を信じ、従って生きて行きたいと願ったのではなかった。 主について行けばパンがもらえる。生活の心配がなく、ずっと良い 暮らしができる、そのための主であった。私たちも自己充足、自己 実現のために、主について行っているだろうか。何のために主に従 っているのだろう。 何かの利得のためだろうか。主は満腹を下さる。自分の願いが叶え られ、自分の欲望が満たされる。しかしそれだけなら、自分の願望 が叶えられている間はついて行くが、願望が叶えられず、思い通り にならなくなると、主を離れる事になる。ついて行く意味が無いか らだ。主は必ず必要を与えて下さる。必要を与えて下さるのであっ て、私たちの肉の思い通りに動かれるのではない。 人々が主を「むりやりに連れて行こう」とした時に、主は退かれた。 私たちはどうだろう。今、どこまでも自分の願いを通そうと、むり やりに主を連れて行こうとの態度だろうか。そうでなく、自分の思 いの方を捨てて、明け渡して、主のみ思いを聞き、主に従おう。そ れこそが大きな祝福で、消えない満足と喜びの道だ。 ・・・・・・・・・・ 主に願いが叶えられるのは心地良い。しかしそれのみなら、かしわ 手を打って拝み、ご利益をもらうのと変わらない。自分が変えられ る事は無い。自我が砕かれ、主に従い、主とひとつに歩み、主の かたちに変えられ行く恵み、その喜びに目を向けて行きたい。、 ttp://www.j-hbbc.net/cgi-bin/hbbc/thank.cgi ======================================= 【日々のことば】 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係り [ホームページ] http://park11.wakwak.com/~hbbc/word/ [登録変更の連絡] lema@j-hbbc.net [よくあるご質問] 届かない? 受信許可リストに登録する! http://park11.wakwak.com/~hbbc/cgi-bin/word/qa/view.cgi