[クリスチャン生活バックナンバー]

大っ嫌いだあー!!

ある婦人。

サークルl活動をしている中で、なぜか、自分だけ、疎外しようとする一人の人がいた。

最初は、思い過ごしだと思い、こちらは穏やかな、丁寧な対応を続けていた。
日を過ごす内に、どうしても、自分に何か悪意をもっているとしか、思えないほど の行動が目立った。
陰口を言われたり、中傷されたりが続いた。
それらの事を、冷静に考えてみた。 自分は、何も悪い事をした覚えはないし、妬まれているのかも知れないと、思った。


神様に、「愛せますように。」「愛せますように。」と祈り続けた。

自分自身は、忍耐して、辛いけれど、我慢して、接し続けた。
でも、「その人を、愛せますように。」と祈り続けるが、事態は何も、何一つ変わらない。自分も辛いばかりで、祈りが、全く 答えられていない事を感じていた。

ある時、祈りの中で、心を深く探られた。自分が全然、正直でないことがわかった。
自分はクリスチャンだから、愛さなければ ならない、だから愛せるように、と祈っていたが、自分の決して本心でないことに気づいた。
きれい事で、祈りではないことに気づいた。自分の本当の醜い姿を、きれいにおおい隠して、ふたをしたまま、「愛せますように」などと、 神様に届いていないことがわかった。

「大っ嫌いです!!」。

大声で、神様に叫んだ。愛せないどころか、大嫌いだと思っている、本心を告白し、あるがまま、自分の心の内 の醜さを、正直に神様の前に広げ、打ち明けた。

その時、不思議だったが、涙が溢れて、溢れて、不思議だったが、その人がいとおしく思え、嫌いだという思いが、全く消えていた。
不思議だったが、その人を、悪く思う心が、全く取り去られ、その人のために祈っていた。

自分の正直な心を認め、神様の前に出た時、愛が与えられた。

きれい事で、建前でいくら祈っていても、神様には触れない。
正直な、自分の本当の醜い心を、そのまま神様のもとへ もって行き、認め、申し上げる時、初めて、神様に触れる。

そして、祈りはきかれ、変えられる。


Copyright(C)1996 Taeko Shibayama