[夫と妻バックナンバー]

夫を傷つけていた・・



       最近、平穏に流れていると思っていた信仰生活に、ちょっとした波風が立った。 ほんの些細なきっかけから、主人が日ごろ抱えていた不満が爆発。 家族のために、主人は最近、いろんな事に耐えていた。主人は、今、単身赴任で県北の町で、 月曜日から金曜日までを過ごして帰って来る。

車も、古い車が、思ったより早く壊れてしまい、子供達の送迎や日々の買物のために、主人は、 やむなく、車を置いていってくれる。暖かい日は、毎日歩いて出勤らしいが、雨の日、雪の日は、 どうしているのか。 土曜の昼間、ゆっくりごろりと横になっている時に、子供達の教会送迎。もちろん、私が送って 行くと立ちあがるけど、苦い顔をしながらも必ず主人は行く。行くと言ったら絶対行く。

日曜日は、朝から、バタバタ、娘が出かけるから、私もバタバタ朝食の準備に洗濯、そして、 時間があれば昼食の準備。 考えて見れば、朝、ゆっくり主人と犬の散歩に行くことも、内心時間を気にしていた。 それは、礼拝に行かせてもらうから、きちんとやって行かなければ、と思ってやるんだけれど、 主人にしてみれば、そんなに教会へ行きたいか!と思っているかもしれない。

私達は、ちょっと忙しそうだけど、あなたは、ゆっくりしていて下さいね。と思っているんだけど、 主人にしてみれば、なんで、自分の周りに、ゆったりとした時間は流れてないんだ?? 今日は日曜日だろう!! と思っていたかも。

一から十までお互い口には出さない。だけど、私も精一杯気を使っています、何となくわかって 貰えているかな?と思っていた。だけど、これも、後から思うだけで…

あぁ、最近行っている早朝ゴルフの練習も、そんな空気にイライラして、出て行く事にしたのかもと思いあたる。 しかし、主人は、何度聞いても絶対そうだとは言わないから、だから、私は「最近出かけやすくなった。以前に比べたら凄く恵まれてる。神様感謝です」と単純に喜んでいた。

当り前なのに、主人には主人の想いがある事、良く似た形にみえて、寄り添っているように見えても、やはり主人を度々、傷つけていた事を示された。・・と、言えばかっこいいが、「自分は家族のために頑張っているのに、お前は、教会の事では、何も犠牲を払わない」ときっぱり、主人に言われたのだった。

主人が傷ついている事がはっきりわかって、神様が、私達のやり方は間違っている、と言われている事もわかったので、私のできる事は謝る事しかなかったが、でも、内心、「いつも、こうだ。私が喜んで、教会生活を送り始めると、文句が出る。以前の家庭集会でも、盛り上がってくると、文句言われた」と、恨みがましい思いも、こみ上げてくる。

いっそ、どこへも出ず、しんみり家にこもって、うっとうしい女になってやろうか? いや、それは、御心ではない。御心の通り主人に仕えるためには、抗議も出来ない。(伝道者の書4:2)に大きくうなずいた。この時の心境を、その週の婦人会で心を開いて話をした。

一人の姉妹が「宮本さん、御主人の単身赴任中は、日曜日一緒にいてあげれば?」と言って下さった。 発想の転換というか、そんな方法も有りなんだ。と、その言葉が心にしみて来て、日がたつに連れ、これって流されてるのかな、と思いながらも力が抜けた。

そして、日曜日の度に、行くことを前提とした「今日は行って好いかな?」から、嫌なら行かんよ、を前提にした「行っても好いかな?」に変わって行った。

最近、信仰面で、神様に委ねることが、何だかギクシャクしていた。多恵子先生に「委ねるって、深呼吸する事なんですか?」と聞いて、「えっ!」と先生の顔面をフリーズさせてしまったり。しかし、神様は、至る所で答えを与えて下さる。流されるのではなく、神様に相談しながら、そして主人とも相談しながら。

先日、掃除がてら、赴任先に二日ほど行って来た。木曜に行って金曜に一緒に帰って来たけれど、この前行った時と、帰り道が違っている事に気が付いた。 暗くなった細い山道は、くねくね曲がりながら、何度も、対向車と行き違うために止まらなければならない。 「前もこんな道通ったっけ?」と聞くと「どんどん、近道を探して行ってる」と。そして、ついに、街明かりが見える所まで来ると、いつも一緒に帰る同僚と「ここまで来ると毎回、やっと帰ってきましたね。」と言うそうだ。

それを聞いて私が「お父さん、いつもこんな道通って帰ってきてるんじゃ!今度から旗ふって、お出迎えさせてもらうヮ」と言うと「その言葉忘れるな!」と笑った。

この歳になっても、日曜日に一緒にいて欲しいと思われる妻も珍しい。神様を間に挟んだ、おかしな三角関係は、神様から、未信者の夫を持つ妻に与えられた特権かもしれない。