[夫と妻バックナンバー]

自分だと嫌なのに、何という自己中心


ある日の婦人聖書の学び会で。

・・生まれつきの性質というのは、愛など無いし、心の底では可愛いいのは自分。
そして、人格的にイエス様に似るように、自分が変えられて行くのが、みこころであり、 成長だが、本音の自分は変わりたくなどないと思っている。

なぜなら、自分が変わることは、自我が砕かれることであり、自分の自己主張 自己中心を捨てることであり、血の流れる、痛い辛いことだからである。

しかし、神様に従い、御言葉に従って行く時、自我が砕かれ、自分は変えられて行く。
そこに成長がある。 愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制の実を結んで行く・・。


A婦人「今日の御言葉は本当に私にピッタリでした。」

私は心の底では、自分は変りたくないと思っています。それがわかった。
その方が楽だし、居心地がいいし、自我はこのままでいいと思っている、その通りだと思いました。
そんな自分が、変えられたいと思いました。

昨日ね、主人がクタクタに疲れていて、もう戻るなり、すぐベッドルームへ行ったんですよ。 よほど疲れていたんです。

それで、私は、ビデオを返しに行くのに、車のキイが無いんですよ。
時間は無いし、どんなに捜しても無くて、それで、横になっている主人に、聞いたら、 「台の上にある」って言う。
「無いんだってば!」とキイキイ言ってたら、ヅカヅカとすごい勢いで取りに行って、強いきつい口調で 「あるじゃないか!」って。
しんどいところ、ガタガタ言われて、いら立ったんだと思う。
「そんなにひどく言わなくてもいいじゃないの!」って、私も言い返して、家を出た。
その時、ちょっときつく言われただけで、ものすごく傷ついて、嫌な思いをした。


その時、思った。ああ、自分なんて、主人にいつもしている。
早朝に彼がトレーニングに出る時も、よく、シャツが無い、何やらが無いって言うんですよ。
私なんて寝ていて、「もう!眠いのに!乾燥機から、勝手に取って行ってよ!」って、うるさ〜いとばかりに。
いつも何も言わずに、主人はほんとに優しいんですよ。全然、怒りもしないし・・
ああ、あんなに優しい主人を、どんなに傷つけていたんだろうと。自分が経験して初めてわかった。

帰ると、ピザ屋から、私が書いた支払いチェックにミスがあって、電話があったよう。
疲れ切った主人が、それの書き換えに、出てくれていたんですよ。
「ああ、悪いなあ」と心から思った。自分の心に、聖霊様からのとがめがくる。
すると、主人が戻って、謝ってくれるんですよ。「僕の言い方が悪かった。許してくれ」」って。
主人の内の聖霊様の方が大きいから、いつも先に謝ってくれる。

私は「私こそ、ごめんなさい」と、ものすごく言いたかったのに、言えない。どうしても、言えない。
私の頑なで、頑固な自我は、言わないんですよ。ああ〜。

本当に自分が、どんなに自己中心で、強情かを思い知らされた。でも、こんな自分が、変えられたい。 変えられるよう祈って下さい。