JR1UIA amateur radio station since 1971


JR1UIAの沿革

揺籃期
 厳密に言えばいわゆる ラジオ少年 と 少年ハム は異なる領域にいるように思われるがここではひっくるめてラジオ少年またはラジオ小僧 と呼ぶ.物心付いたころにはすでに兄が電工だった関係からか漠然とした電気に関する興味は保育園児の頃からあった.いつのころからか兄が強電なら自分は弱電をやろうという気になっていたようだ.ラジオ少年の萌芽である.
ハムとの出会い 1965年頃〜1970年
 ハムに興味をもったのは何時頃からだったろう.実際に近い形で目にしたのは小学校低学年のころにテレビ放映していた「グーチョキパー」というファミリードラマの中だったと思う.小学校の高学年のころには東電のパンフレットやテレビの受信相談番組に強い興味をもっていた覚えがある.実務教育研究所という今でもたまに広告を見かける通信教育会社のラジオ講座を受講し,在京の兄にねだって参考書を買ってもらったのは小学校六年の三学期だった.中学に入学したてのころくだんの講座で覚えたばかりの平方根の求め方を三年生の先輩にやってみせて怪訝な顔をされた記憶がある.生意気極まりない新入生である.
 決定的だったのは1970年の1月ごろ成瀬書店ではじめて買ったCQ誌2月号だ.表紙のトランシーバーのスタイルにシビレてしまった.中身はほとんど理解できないまま広告や技術記事もふくめて全てのページをむさぼるように読んだ.この号を含めてその後購入したほとんどのCQ誌は原型はとどめないものの何らかのかたちで現在も保管している.
                               
               トランシーバーはアイコムの IC−71
免許を取ろう !  1970年8月
 社会は大阪万博の年で活気に満ちた時期だったように思う.少年雑誌の片隅にはかならずといって良いほどハムの通信教育の広告がある時代だった.当時,関西の家庭で疎遠だった親戚から突然宿泊の依頼を受けるということが頻発し社会問題になった.
 ハムへのあこがれの止まらなくなった私はその年の夏休み巣鴨のCQビルで開催された講習会を受講し終了試験の終わったその足で関西の遠縁をたよって万博見物に出かけた.^_^;

 お目当ての月の石は2時間待ちで目撃.もう一つの目的の記念局 JA3XPO も二回訪問した.来場者ノートには 当時のSWLナンバー JA1-12255 を記帳した.

  当時のチケット

        絵葉書

 講習会の講師は2名だったが,うち一人はハムの入門書を数多く著した 故JA1CNE で教科書の中身はあまりやらずもっぱら中古バッテリーの再生法を詳細に講義していただいた思い出がある. 今では安価に入手できる定電圧電源だが当時は高価だったからであろう.

 
免許証 そして 免許状   1970年12月〜1971年2月
 ご存知のとおり電波法ではアマチュアは包括免許制を取っていない.受験→合格発表→免許証申請→免許証交付→無線局免許申請→免許状交付と延々と事務をこなさなければハムになることはできない.結局最短で終了試験受験からファーストQSOまで6ヶ月ほどを要した.現在はどれくらい掛かるのだろうか.



 恥ずかしいので中はお見せできないが各級の免許証

左から電話級アマ・電信級アマ・2アマ・1アマ 電話級アマと電信級アマは金箔文字である.年を経るにしたがってチャチになっていくのがわかる これ以前プロの免許証にはハードカバーで大きさがこの倍の物があった.



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