リグは買ったしアンテナも建てた.あとは免許状を待つばかり.連日お年玉をはたいて購入した FDAM−3 で50Mのワッチを続けた.申請後一月を過ぎたころどこからかコールの付与状況は電話で聞けば教えてくれるという話を聞きつけた.当時実家には電話がなく隣家の電話を借用しては高価な市外通話を100番で申し込み電監に頻繁に状況を問い合わせた.2月26日にとうとう 「 あなたのコールはJR1UIAです.今日から運用しても良いですよ 」 という返事があった.電波法では免許状の掲示が義務付けられていたが関東電監の粋なはからいであった.もっとも今思えば連日多くの免許待ちのハムの卵から電話が掛かって業務に支障をきたすので,さっさと教えて電話の数を減らしたかったのかもしれない.
思い出の詰まった FDAM-3 現役復帰はもう無理だが捨てるわけにもいかない.こうなったら墓場まで持っていくしかない.
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