Wonderfull Life vol.1

紅葉の色もすっかりと色褪せて、景色から鮮やかな色が抜け落ちた。
身体をすり抜ける風も刺すほどに冷たくなってくる冬の到来。
とある陽も少し傾き掛けた午後。
今年消防士になりたての甘粕士郎(19)は、休日の日課となったロードワークに勤しんでいた。
消防士たるもの、行動や判断力は日々の経験で培っていくしかないが、それらを支える体力は努力して鍛えればいい。
新米だからと己の立場に甘えて、先輩方の足を引っ張るわけにはいかないと、クソがつく程真面目な甘粕は今日もモクモクと千国川の河川敷を走っていた。
そう、いつもと変わらぬ1日が過ぎていくはずだったのに。
まさかこの後唯一無二の存在となる相手との運命的な出会い、そして人生最大の落とし穴に遭遇するとは、この時の甘粕は夢にも思っていなかった。





バス通りに面した河川敷の遊歩道を甘粕は走っていた。
『ちーっとペースが遅いか?もう少しピッチ上げるかな』
腕時計で時間を確認してペースを速めようとした、その時。
土手の下から子供達の泣き叫ぶ声が微かに聞こえた様な気がした。
「……?」
甘粕は足を止めて耳を澄まし、声のする方を確かめる。
ふと前方の橋桁の方で子供が3人こちらの方へ向かって一生懸命叫んでいた。
そして更に子供達の後方に目をやると、子供が1人川の中で溺れているのが見えた。
「うわっ!マズイぞ、ありゃ!!」
甘粕は急いで土手を駆け下り、着ていたブルゾンを放り投げると子供の頭が浮き沈みしている方へ向かって飛び込んだ。
飛び込んだ瞬間、凍るような水の冷たさに眉を顰める。
『こんな冷たさじゃ早く引き上げないと!』
押し流される勢いに逆らうように必死に泳ぎ、子供の側まで何とか近寄った。
その途端、甘粕の目の前で子供の身体がスッと水の中へと沈んでいく。
慌てて子供の身体を左手で抱え込み、川の流れに乗って一度橋桁へと取り付いた。
そのまま橋桁に沿って川岸まで伝いながら戻っていく。
足の着く位置までくると子供の身体を抱き上げて、急いで川岸まで走った。
「うえぇぇぇっ、大吾くんっ…」
「ひっく、死んじゃやだよぉっ!」
子供達はパニックを起こしたまま、ただ泣きじゃくるばかりだ。
「おいっ!死んじゃいねーんだ、落ち着けっ!!」
甘粕の一喝で子供達はピタッと泣き止む。
「いいか、良くきけよ。お前は誰でもいい、上にいる大人を誰か捕まえて、救急車を呼んで貰うんだ、いいな?」
言い使った子供は力強く頷くと、全速力で土手を駆け上がった。
「それとみんなは着ている上着を脱いで…あ、オレの上着も取ってきて!」
甘粕の言葉にわたわたと慌てて服を脱ぎ始める。
その間に素早く甘粕は子供の呼吸と心拍数を確認した。
「マズイな…呼吸してねーじゃねーか。大分水飲んでるな」
腕を取ると脈も弱々しく、微かにしか感じない。
「お兄ちゃん持ってきたよ!」
子供達が服を渡した。
「ちょっと待ってろ!」
甘粕は子供の首を固定すると、人工呼吸を始めた。
脳に酸素が届かないと、仮に助かっても障害が残ってしまう。
甘粕はどうにか水を吐き出させようと、懸命になって口から酸素を送り込んだ。
暫く必死で続けると、
「げほっ…」
子供の口から水が吐き出される。
その後何度も咳き込んで、自発呼吸をし始めた。
「よし、もう大丈夫だ」
しかし、子供の顔は真っ青で寒さのためにガクガクと震えている。
甘粕は着ている服を全て脱がせ、子供達と自分の上着を羽織らせた。
そして寒さで震える身体を抱き締めて自分の熱を分け与える。
「おい、こいつの家とか電話番号分かるな?」
心配そうに様子を伺う子供達に甘粕が確認した。
「うん、分かるよ」
「そんじゃ、こいつの家行ってお母さんに連絡してきてくれるか?川で溺れたけどすぐ助かったから、これから病院へ運ぶって。病院がわかったら家の方へ連絡入れるからって伝えるんだぞ?」
甘粕が子供達に言い聞かせる。
子供達も力強く頷いた。
「…来たみたいだな」
徐々に救急車のサイレンが近づいてくる。
「お兄ちゃん!救急車着いたよっ!!」
子供が遊歩道から懸命にこちらへ手を振っていた。
「そんじゃ、頼んだぞ!」
「うんっ!!」
子供2人は土手を駆け上がり、住宅街の方へと走り去っていく。
甘粕も子供を抱きかかえて、停車した救急車へと走った。
「子供が溺れたって言うのはここですか…あれ?甘粕じゃないか!?」
この辺りの管轄は自分の勤務する鯨台出張所なので、同じ所内の救急隊がやってきていた。
「ご苦労様です、この子が川で溺れまして…偶然通りかかってすぐに引き上げたんですけど」
「脈と呼吸は?」
救急隊員が子供を受け取り様態の確認をする。
「脈はまだ弱いですけど、呼吸は人工呼吸で水を吐き出したので、今は自発呼吸してます。ただ、身体が大分冷えていますので体温の方が…」
甘粕はとりあえずの状況を説明した。
「わかった、とりあえず病院へ搬送しよう。それでこの子の連絡先は…」
「あ、この子が友人なので分かります。それに別の友人が今自宅へ連絡しに行ってますから」
甘粕が心配そうに見上げる子供の頭を軽く叩いた。
「そうか、じゃとりあえずその子と、お前も乗れ」
「え?オレもですか??」
甘粕は先輩の言葉に目を丸くする。
「当たり前だ、お前だってこの寒空の冷たい川の中へ飛び込んだんだぞ。一緒に行って検査受けろ」
先輩は思いっきり甘粕の頭を小突いた。
「…分かりました」
甘粕と子供を乗せると、救急車はサイレンを鳴らして河川敷を後にした。