春の宵

苛。苛々。
苛々、苛々、苛々。
「・・・・・遅いっ!」
 寝室の大きなベッドの上に横になり、苛々していることを隠そうともせず、ベッドの上をゴロゴロとしていた高耶だが。
いきなり。
我慢も限界とでも言いたいかのようにガバッと跳ね起きると、高耶は不機嫌も露な声を発した。
誰にとも無く。
いや、性格にはここにいない直江に向かって。
不機嫌なのは声だけではなく、その表情もで。
ただでさえ、鋭い瞳はより鋭さを増し、据わっている。
直江と恋人関係に落ち着き、現在は幾分柔らかく和んでいる、高校時代の、近隣の高校生を震え上がらせた眼力は。
しかし、こうやって凄みを増し睨みつけるような視線になると、やっぱり健在である。
「ったく、何をやっているんだ、直江はっ!」
 不機嫌のまま、誰にと見なく怒鳴る。
そして。
また、女にでもつかまっているんじゃないだろうな、と心の中で呟く。
現在の高耶が不機嫌な理由は簡単。
ただ単に直江の帰りが遅いからである。
しかし、それだけでも不機嫌になるのは十分なのである。
 高耶と直江が一緒に暮らし始めて、そろそろ一ヶ月・・・・。
最初はどうなることかと危惧していた就職活動も、直江の兄の口利きもあってどうにか無事に東京の某会社に就職でき、その為東京に出てきて、約1ヶ月ということ。
全く知らない人ばかりの環境に飛び込んだわけではないけれど、それでも慣れないサラリーマン生活にも漸く慣れ始めた頃。
一緒に暮らしている直江と高耶は、いうなれば、まだまだ新婚さんのような情況・・・・。
その一ヶ月間、直江の帰りがこんなに遅いことは、今まで一度としてなく・・・。
直江の帰りが遅い理由は、前もって教えられていたから解っている。
 今日は会社の飲み会があるのだ。
今まではそういうものは全て別の人間に任せていた直江だが、今日のばかりはどうしても出席しなければならない理由があり・・・。
重役の送別会なのだが、社長である照弘も出席するため、直江が出ないわけにはいかなくなったのだ。
・・・照弘に強引に参加することにさせられたとも言うが。
 接待やその他諸々で飲みに行くのはいい。
高耶だって時々は友達なんかと飲んだりしているし、会社の飲み会だって参加している。
今はまだやったことはないが、そのうち接待にも連れて行かれることになるだろうことは、今から予想している。
だから、数日前に『この日は飲み会がありまして・・・出ない訳にはいかないのです。だから少し遅くなりますね』なんて言われたときも、特に気にはしていなかった。
しかし、遅くなるのは『少し』・・・。
こんなに遅くなるなんて聞いてなかったっ!
怒りに任せて、高耶はあらぬ想像までしてしまい、ますます不機嫌になっていく。
直江の方から、だれか女を口説くなんてのは考えられないけど、逆は大いに有りうる。
直江の周りには、放っておいても女が寄ってくるってことは、高耶が一番よく知っているから。
どうせ女の人につかまって離してもらえないんだろう・・・・なんて事を考えてはますますおかんむりな高耶だった。



どのくらいそうして、苛々しながら過ごしたのだろうか。
玄関の鍵を開ける音を耳聡く聞きつけて、高耶はガバッと起き上がった。
そんなハズないのに、頭に猫のミミでもついていてピクピクと反応しているのが、目に浮かぶようだ。
きちんと整えられていたシーツを皺くちゃにしたまま、寝室を飛び出る。
バタバタと玄関まで走っていくと、ちょうど直江は靴を脱いでいるところで。
足音に気づいて、顔だけ振り返って、鮮やかな微笑を見せる。
「高耶さん」
「お帰りっ! 直江」
 走り寄った勢いのまま、ガバっと、直江に抱きついた。
と、流石にその勢いが激しくて、おまけに背後からで、直江のバランスが崩れる。
「・・・・っと。危ないですよ、高耶さん」
「遅いっ! 直江っ」
「すみません。つかまってしまいまして・・・・」
「・・・・誰に?・・・っぅん」
 誰につかまっていたんだよ、と直江に抱きついたままムッとして反応を見せる高耶である。
抱きつかれたままの直江はギュッと抱きしめる高耶の腕の中で器用に首を捻って、そのまま、高耶の唇を掠め取った。
「・・・なっ」
「挨拶がまだでしたねv」
 そう言って、もう一度口付ける直江だ。
今度は、深く・・・・。
舌で閉じられた唇を撫で、歯列を割って舌を差し入れる。
進入してきた舌に自分の舌を絡めようとする仕草をみせる高耶をわざとはぐらかし、口腔内を蹂躙する。
掠めるように触れてはすぐに離れる。
そうして高耶を焦らしておいて、それから徐に舌を絡め取った。
と、高耶はすぐに応えてきて・・・。
「・・・んっ、ふ・・・っ」
 湿った音を立てて激しく絡めあう。
一頻り、そうやってお互いに堪能した後、絡めていた舌を解く。
銀の糸を引いて離れる。
「・・・・ハ・・ぁ・・・」
 大きく息を吐いて、口付けの余韻にとろんとした瞳で直江を見上げる高耶は、どこか妙に色っぽく。
その唇は唾液に濡れ、艶やか。
そんな高耶を見ていた直江は、再び高耶に触れたくなり・・・・。
再び高耶の腕を掴み抱き寄せ、チュッと音を立てて触れるだけの口付けをした。
「ただいま、高耶さんv」
「・・・・・こんなところで、あ、あんなキスしかけるヤツがあるかーっっ」
 今更ながらにここがどこだかを思い出し。
玄関口でとってもハードなキスに及んでしまったことに真っ赤になって抗議する高耶だ。
だいたい『ただいまのキス』なんてものは、あんなハードなものではない・・・と思う高耶なのだった。
「高耶さんに触れていたら我慢できなくなるんです。可愛いあなたがいけない」
 高耶を腕の中に閉じ込めたまま、直江は真顔でそんなことを言う。
その腕の中、高耶が真っ赤になったことは言うまでもない。
「直江・・・・。お前、どさくさに紛れ、誤魔化そうとしているだろう。誰に捕まっていたんだよ。お前のことだから、どうせ女だろう?」
 ジッと直江を睨みつけたままの高耶だが、その目元はまだ仄かに赤い。
睨みつけられているというのに、そんな高耶を見て。
『可愛いなぁ』などと思いつつ。
「・・・・・違いますよ。会社の同僚です。男のね。いつも私が余りに付き合いが悪いものですから、たまに参加するとここぞとばかりに二次会・三次会へと連れて行かれそうになるんです」
 僅かな空白の時間が怪しい。
その思いのまま、疑いの目で見ていると。
暫くの躊躇いの後。
「すみません。3分の2くらいは女性社員の方でした」
 大きな溜息と共に白状した直江だった。
誤魔化されても頭にくるが、正直に言われ、自分の予想が当たっていても、ムッとしてしまう。
『やっぱり、女に捕まっていたぁ〜〜〜』
「でも、これでも、急いで帰ってきたんですよ。そろそろ、機嫌直して貰えないですか?」
 上目遣いに、様子を伺うように見上げ来る直江に、高耶は暫くの間を置いた後、しょうがないなという風に嘆息する。
そして、ふいと直江から離れ。
「とにかく、いつまでもここにいるのもなんだし。さっさと上がって来いよ。飯・・・はいらないな。風呂沸いているけど、どうする? すぐに入るか?」
「そうですね・・・・」
 先に歩いていく高耶の背中を見ながら。
「でも私は、食事よりもお風呂よりも高耶さんの方がいいんですけどね・・・」
 そんな不埒な呟きは、幸か不幸か、高耶の耳には届かなかった。