Eight typhoon |
「…さすが僕。やはり天は僕の味方ですね」 八戒は艶然と笑みを浮かべて、窓の外へ視線をやった。 事の起こりは昨日。 「は?明日…って何かあったっけ?」 いつもの如く夜のお勤めで賭場へ出かけようとしていた悟浄を、八戒はニッコリ笑顔で引き留めた。 財布をジーンズの尻ポケットへ突っ込みつつ、悟浄がはて?と首を傾げる。 明日は休日でも祭日でもない、はず。 んー?何の日だ? 八戒の誕生日は来月だし、俺は11月だろ? お盆にはまだ早ぇから、生臭坊主のトコから悟空を預かるのも先だろうし。 悟浄は頻りに首を捻って考え込むが、何も思い出せない。 意外とアニバーサリー男、八戒のこと。 絶対何かしらのイベントがあることには間違いなさそうだが。 そうでなきゃ出がけに『今日は朝帰りしないで下さいね。何が何でも今日中に帰ってきて下さい。いいですか?今・日・中ですよ…お願いしますねvvv』なんて、釘を刺したりしないだろう。 朗らかな微笑みを浮かべながらも、八戒の背後には凶悪なオーラが立ち上っている。 明らかにお願いのカタチをした脅迫だった。 悟浄の額につつっと脂汗が流れ落ちる。 ここは一か八か。 機嫌を損ねて最悪の状態になる危惧もあるが、無視を決め込んで出かける訳にはいかない。 悟浄だって命は惜しかった。 それに明日は悟浄にとって、心待ちにしていた大事なイベントが控えている。 八戒のお願いとは、ソレをキャンセルしろと言うのと同じだ。 悟浄は覚悟を決めて、恐る恐る口を開いた。 「あのさ…明日って…何の日?」 ビシッ! 一瞬にして室内の気温が10度は下がった。 八戒は笑顔を浮かべたままだが、口元が引き攣っている。 ま…マズイ! そんなに大事な日だったのかっ!? うわああああぁぁっっ!!どうしよう俺っ!? 明日の朝刊に『町外れの民家で殺人事件発生!男同士痴情の縺れか!?』とか載りたくねーよぉ〜!! 悟浄は涙目になってビクビクと八戒の様子を窺った。 あからさまに怯えている悟浄を眺めて、八戒は内心でほくそ笑む。 悟浄ってばそんなに小動物みたいに怯えて…とっても可愛いですvvv そんな態度はおくびにも出さず、八戒がわざとらしく大きな溜息を零した。 ビクンと悟浄の身体が小さく揺れる。 「悟浄貴方って人は…一体僕のことを何だと思ってるんですか?」 不意に寂しげな笑みを浮かべ、八戒はじっと悟浄を見つめた。 儚げなその表情に、悟浄は視線を逸らす。 本当に分からないから正直に理由を聞いてみたけど、八戒にそんな顔をされると自分が物凄い悪いことをしているように錯覚して胸が痛んだ。 実際、悟浄が罪悪感を抱くような理由があるはずもなく。 すっかり悟浄は八戒の手中に嵌っていた。 脅かさないように近付くと、玄関先で佇む悟浄の手をそっと握り締める。 「僕は貴方の何ですか?便利な家政夫?ただ口うるさいだけの同居人、ですか?」 「そんなこと思ってねーよっ!」 あまりにも自虐的な言葉に、悟浄が大声で怒鳴った。 悟浄の剣幕に、八戒が目を丸くして驚く。 「そんなの…思ってる訳…ねーじゃん」 打って変わって頼りなげな声音。 ギュッと握りかえしてくる手に、八戒は小さく微笑んだ。 瞳に邪悪な色を浮かべて。 「じゃぁ僕のこと、どう思ってます?」 優しい声が悟浄の耳朶を擽る。 どう、って。 そう思った瞬間、悟浄の頬が見る見る真っ赤に色付いた。 何も言わなくても、自分が八戒をどう思っているかなんてバレバレだ。 ぎゃーっ!何乙女してんだよ俺っ!! 自分にツッコミ入れつつ、悟浄は羞恥で顔が上げられない。 「…悟浄?」 「………。」 「悟浄ってば」 「んなの…分かるだろっ!」 「言ってくれないと分からないです」 「このっ…意地悪ぃぞ!」 「意地悪だから嫌いですか?」 「……………………好き」 恥ずかしげに小さく呟かれた言葉に、八戒が満足そうに微笑んだ。 「それじゃ…僕のお願い聞いてくれますよね?」 「えっと…?」 「今日は何が何でも、死に物狂いで日付超える前に帰ってきて下さい」 先程までの気恥ずかしい甘い空気はどこへやら。 低く声音を落とした言葉に、悟浄は驚いて視線を上げた。 目の前には冷ややかに微笑む秀麗な顔。 悟浄はゴクリと息を飲んだ。 「何で…今日中なんだよ?」 八戒が何に拘っているのかが悟浄に分からない。 はっきりと言わない意地悪い恋人に、悟浄は唇を尖らせ拗ねて見せた。 「それは、明日分かりますよ」 「はぁ?明日ぁ??」 じゃぁ、何で今日中に拘るんだよ? わっけ分かんねーなぁ。 悟浄が戸惑っていると、八戒は小さく笑う。 「明日のために今日中に帰ってきて貰わないと困るんですよ」 「だからさ。明日は何があんだっての」 「…本当に分からないんですか?」 「へ?あっ…チョット待て!考える!考えて思い出しますからっ!!」 「僕の恋人なら当然です」 腕を組んで不遜に口元を上げる八戒に、悟浄はますます焦った。 これは何が何でも思い出さないと、自分がマズイことになりそうだ。 頭を抱えて唸っている悟浄の肩を、八戒はポンポンと叩く。 「まぁ、出かけがてらに思い出して下さい。そろそろ時間じゃないですか?」 「え…あぁっ!もうこんな時間か!」 外へ視線をやれば、すっかり陽が暮れて辺りは闇に包まれていた。 早く行かないと美味しいカモが他のヤツラに持って行かれてしまう。 「んじゃ行ってくっから!」 「待ってますから、ぜぇ〜〜〜〜ったい今日中に帰ってきて下さいねvvv」 力強く念を押す八戒に、悟浄が小さく首を傾げた。 「もし遅れちゃったり、あれ?朝日を拝んで爽快だなーって…なっちゃったりしたら?」 「構いませんよ?その代わり…」 「その代わり?」 「後で色々します」 「いっ!?色々って…何だよ??」 「ですから色々っ!ですよぉ〜?フフフフ」 八戒の意味深な含み笑いに、悟浄が恐怖で顔面蒼白になる。 「…言われた通りキチンと帰ります」 悟浄はぎこちなく身体を反転させて、のろのろと出かけていった。 その姿を扉の前で八戒は見送る。 「行ってらっしゃぁ〜い!お夜食用意して待ってますからね〜vvv」 どこぞの貞淑な若奥様のようなお見送りを背中に受けて、悟浄はガックリと項垂れて街に向かった。 八戒の言いつけ通り、我が身を案じた悟浄はどうにか日付を超える前に帰宅した。 幸いカモが酔っぱらってる状態だったので、そこそこの金額を稼ぎだしたら呆気なく潰れてしまった。 酒場の女性達に名残惜しまれ、悟浄は一旦引き上げる。 そう、悟浄は明日も賭場へ出かける予定だ。 明日は悟浄の待ちに待ったお楽しみがある。 最近人出が足りなくなった酒場では、初々しい新人の女の子達が入店されることになっていた。 賭場となっている酒場は所謂娼館も兼業している。 女の子達はこういう世界に身を投じて日も浅いらしく、まだ戸惑いが抜けないらしい。 そこで悟浄に白羽の矢が立った。 マスターから彼女たちが客を悦ばせる為の実地教育を頼まれてしまう。 しかも入店する女の子は皆スレンダーな美人らしい。 悟浄に断る理由はどこにも無い。 むしろ願ったり叶ったり。 悟浄は二つ返事でその役目を引き受けた。 その日に向けて、悟浄は期待と股間を悶々と高鳴らせる。 待ちに待った入店日が明日だった。 「出がけに八戒のヤツ、やけに今日に拘った時にゃ、マジでビビッたけど。明日じゃなくて良かったぁvvv」 悟浄は上機嫌で家路に向かう。 学習能力が欠如している悟浄は、この後に起きる不運に気付くこともなかった。 あれだけ脅すように念を押した八戒は、帰宅した悟浄に何もしなかった。 さすがに家の明かりが見えた時には戦々恐々として身構えたが、予想に反して八戒が笑顔で迎え入れる。 何か無茶なことを言い出して要求するに違いないと、悟浄は八戒の様子をチラチラと盗み見た。 しかし、『お腹が空いたでしょう?』とにこやかに夜食の準備をしたり。 それが食べ終わると『まだ夜は肌寒いですから、お湯で暖まって下さい』なんて、心地良い温度で風呂の用意までしてあった。 脱衣所でもいつ襲撃してくるかと常に扉や背後を気にしていたが、一向に八戒が強引に突入してくる気配もない。 拍子抜けしてぼんやりと湯船に浸かり、あっさり風呂から上がってしまった。 バスルームからリビングへ戻ると、既に八戒の姿は無い。 代わりにテーブルにはよく冷えた缶ビールが置いてあった。 その下に1枚のメモ。 『先に寝ています。お休みなさい』 悟浄は眉を顰めてメモを摘み上げた。 どうせベッドで手ぐすね引いて待ち構えてるに違いない。 悟浄は適当に髪を拭い、缶ビールを一気に煽って明かりを消すと寝室へ向かった。 部屋の前まで来るとドアノブに指を掛けるのを躊躇した。 が、ソレも今更だな。と苦笑いして、そっとドアを開ける。 八戒が居るであろうベッドへゆっくり腰を下ろしてから、すぐその違和感に気付いた。 「…何でいねーのよ?」 悟浄が慌てて部屋の明かりを付ける。 ベッドは綺麗に整えられたまま。 八戒は居なかった。 踵を返して部屋を出た悟浄は、隣の部屋のノブを回す。 ガチ。 部屋には鍵が掛かっていた。 その部屋は同居を始めた時、悟浄が八戒へ提供した場所。 同居から同棲に変わった時から、八戒は自室のベッドを殆ど使っていなかった。 それが。 何故か今日に限って、ご丁寧に鍵まで掛けて籠城している。 悟浄は何だかムシャクシャして、叩き起こしてやろうと腕を振り上げた。 拳を扉へ叩き付けようとした途端、力が抜けたように腕を下ろす。 「何なんだよ…もぅ」 一人部屋の前で立ち竦んで、悟浄はポツリとわだかまる不安を吐き出した。 叩き付けるドアの音が響いて、家の中が静まり返る。 「本当に…悟浄は僕の思った通りに行動してくれますよねぇ」 八戒は仰向けになって天井を見上げながら、クスクスと楽しげに小さく笑った。 チラッと視線を壁の向こうで拗ねているはずの悟浄へ向ける。 「僕が何も知らないと思ったら大間違いですよ?」 背筋が凍る程恐ろしい呟きが暗闇の中から聞こえてきた。 悟浄が心待ちにしていた女の子達の実地訓練日。 当然、地獄耳の八戒が知らないはずが無かった。 「ん…?」 いつもより早い就寝だったせいか、悟浄は昼よりも大分早くに目が覚めてしまった。 はずだったが。 「あ…れ?何か暗い??」 身体は充分睡眠を取ってると告げている。 しかし部屋の中は朝にも拘わらず薄暗かった。 念のために悟浄は時計で時間を確認する。 朝の9時過ぎ。 天気が悪いにしてもこの暗さはおかしい。 悟浄はベッドから起き上がると、窓の外を見ようと勢いよくカーテンを開け放った。 しかし、庭どころか悟浄宅を囲んでいる清涼な森林もそこには無く。 「何で…窓が塞がれてんの?」 部屋の窓には隙間無く板が打ち付けられていた。 悟浄は勢いよくドアを開けて、リビングに走っていく。 「八戒っ!あの窓一体っ!?」 リビングの光景を見て悟浄はまん丸く目を見開いた。 リビングには明かりが煌々と点けられている。 「あ、おはようございますぅ。随分と今日は早起きさんですね♪もう少ししたら朝ご飯できるので起こしに行こうと思ってたんですよ」 「…八戒」 「はい?何ですか悟浄vvv」 「コレは一体どういう訳ぇ?」 悟浄はガシガシと髪を掻き上げた。 八戒は部屋をぐるりと見渡してから、ちょこんと首を傾げる。 「コレ、とは?」 悟浄の神経がプツッと脳裏の遠くでキレた。 「コレつったらコレだろっ!何で家中の窓が板で打ち付けられてバリケードされてんのっ!?」 「違いますよ、ドアもです」 「そう言う意味じゃっ!それじゃ籠城か監禁じゃねーかよっ!今すぐさっさと外せ!」 「ダメですよー。家が傷むじゃないですか」 「……………………はい?痛む??」 意味が分からずぽかんとしている悟浄を見遣って、八戒がリモコンでテレビを付けた。 『この夏最大級の台風が急接近中。夕方から夜にかけて本土へ上陸する模様です。通過地の住民の方は警戒注意報を確認の上、すみやかに避難を―――』 テレビのニュースでは台風の接近で注意を呼びかけている。 「台風?」 「そうですよ。悟浄昨日の新聞読まなかったんですか?既に台風の余波で通過地近辺では大なり小なり被害が出てるんですよ。それにこの辺りも…外は大雨で風が物凄く強くなってきてますから」 「…マジで?」 悟浄が窓の近くで耳を澄ますと、風が荒れる音が聞こえてきた。 「朝方にはもう天気が崩れるからって予報してましたから…だから昨夜は早く帰って下さいねって言ったんですよ」 「そ…だったんだ」 自分を気遣ってくれていた八戒に対し、散々不審がってごねたコトを悟浄は素直に反省する。 「それならそうと言ってくれりゃ俺だってさ…」 「まぁ、それはあくまでも作戦なんですが」 「は?作戦??」 台風のどこが作戦? これはただの自然災害だろう。 「フフフフ…ニュースで台風が発生したと聞いた時に、絶対今日上陸しろって祈祷しましたからねぇ」 「な…に言ってんだぁ??」 明らかに怪しい空気を撒き散らす八戒に、悟浄は腰が引けてきた。 やっぱり八戒は何か企んでいるらしい。 顔を強張らせてそろりそろりと後ずさる悟浄を、八戒が振り返った。 「…何処にも行けませんよ?悟浄vvv」 「ーーーーーっっ!!!」 凶悪な笑顔で迫ってくる八戒に悟浄はひたすら慌てまくる。 「はい、悟浄。今日は何月何日ですかぁ〜?」 「きょっ…今日?今日って」 悟浄は首を巡らせカレンダーの日付を確認する。 「8月…8日、だけど」 「そうです、8月8日ですよっ!何か気が付きませんか?」 「何かって急に言われてもなぁ…」 アレか?コレだっけ?と思いつく限り考えてみても、悟浄には何も思い浮かんでこなかった。 ただの平日だ。 何で八戒がソコまで拘るのか訳が分からない。 「よく考えて下さいよ。8!月8!日です」 「それは分かってるって…だから何?」 「8ですよ?ハチ!ハチが二つもあるんですっ!8月8日は僕の日に決まってるじゃないですかっ!」 「はああああぁぁぁいいいいぃぃぃ〜〜〜???」 腕を組んで偉そうに胸を張る八戒を、悟浄は呆然と見つめた。 8月8日が八戒の日? 「それだけかよっ!!!」 「それだけって何馬鹿なこと言ってんですかっ!」 「馬鹿はテメェだ!」 「そう、今日は僕の日なんです。僕のことを心から敬い讃える日です。いっそ国民の祭日に申請したいぐらいなんですが」 「お前しか納得しねーっての」 「おや?悟浄は勿論納得してくれますよね?」 「あー、はいはい。今日はお前の日〜カレンダーに赤ペンで書き込んどけ〜」 悟浄は面倒くさそうに手を振ると、ドッカリソファに寝転んでだらける。 あまりのくだらなさに思いっきり脱力してしまった。 しかし八戒はへこたれない。 ソファに転がる悟浄へ満面の笑みで近付くと、上から覆い被さって覗き込んできた。 「もぅ…そんなにヤキモチ焼かなくても。僕は貴方だけのモノですから、当然僕に対してのお祝いや奉仕は悟浄の特権ですよー?」 「あ?奉仕?特権??」 悟浄は胡乱な視線で八戒を睨み付ける。 「今日は僕の日だって認めましたよね?ですから、しっかり僕を敬い満足するまで隷属して奉仕して頂きますから♪」 「…何だと?」 怪しげな雰囲気に、悟浄の頬が引き攣った。 何だかヤバイ気がする。 「ナニして貰いましょうかねぇ〜?そうそう、今日は1日全裸で居て貰いますから。その身体で…僕を讃えて充分に満足させて下さい」 「何言ってんだーーーっっ!?」 あまりの要求に悟浄は真っ赤な顔で喚き立てた。 単なるゴロあわせごときで、そんな馬鹿みたいな強要されるなんて真っ平だ。 それに今日は。 「あぁ、悟浄の言った通り細やかな奉仕をして頂くために、貴方を台風で監禁したんですよ。この天気じゃ今夜は街へ出れませんねぇ」 「そんなの…夜には通り過ぎっかも知れねーじゃん」 今夜のお楽しみが街で待っているのに! 監禁状態なんて冗談じゃない。 しかし。 八戒の言葉に悟浄は冷水を浴びせられたように硬直した。 「そんなに残念がらなくても…実地訓練なら僕が貴方を調教して差し上げますから」 何でバレてるんだあああぁぁっっ!!! 悟浄はカタカタと歯を鳴らして怯える。 暗黒の絶望の淵へと突き落とされた気分だ。 ショックで硬直していると、八戒の綺麗な指先が悟浄の頬を優しく撫でる。 「さぁ。心ゆくまで奉仕して頂きましょうか?」 悪魔の最後通告に、悟浄の意識は白く弾け飛んだ。 |
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