ボイス



晴天の小春日和。
まだ夜が明けたばかりの早朝と言っていい時間。
遠くの方からこちらに向かってやってくる地鳴りが聞こえてきた。

「バカ猿ーーーっっ!!!」

ドアを蹴破る轟音と共に、世の最高僧様が襲撃する。
豪奢な金糸は全力疾走で乱れまくり。
額からはダラダラと滝のような汗を流し、肩で忙しなく荒い息を吐く。
片手にはトレードマークのニューカスタマイズハリセン。
日々頑丈な悟空の石頭を叩いて消耗が激しく、より材質強化を施した10代目だ。
とてもじゃないが信心深い信者には見せられない姿で。
殺人ビームでも放射する勢いで、三蔵は奇襲した家の中を睨んだ。
「おや?随分とお早いですねぇ…朝のお勤めはどうしたんですか?」
凶悪な空気をモノともせず、のほほんと穏やかな声が聞こえてくる。
この家の住人八戒が、にこやかな笑顔で三蔵を出迎えた。
もっともにこやかなのは表情だけで。
何故か緊張した身体からは力が漲り、組み敷いた身体を寝技で押さえ込んでいた。
「た…たすけ…っ」
同じく家主である悟浄は、何をしでかしたのかお仕置きの真っ最中。
八戒に関節技をキメられ、息も絶え絶え三蔵に助けを求めた。
そして三蔵は。
もの凄い形相で室内を見渡すと、悟浄の関節を締め上げている八戒に視線を落とす。
「おい、バカ猿来てんだろーが」
「はい?悟空がですか?いえ…今日はまだ来てませんけど」
「…何だと?」
三蔵の顔に困惑の色が浮かんだ。
ハリセンをしまうと、代わりに煙草を取り出し火を点けた。
何かを逡巡しながら眉間を顰める。
「一体どうしたんですか?まさか悟空が居なくなったとか?」
「………チッ」
図星を突かれて、三蔵は軽く舌打ちした。
どうやら他人に知れたことが気に入らないようだ。
しかし、早朝からこれだけ派手に大騒ぎしていれば、誰だって察しがつくだろう。
イライラと煙草をふかしている三蔵を見上げて、八戒はこみよがしに溜息を零した。
「んだ?テメェ…」
わざとだと分かっていても、今の三蔵は聞き流せる状態じゃない。
苛立ちを隠すことも忘れて、八戒をキツく睨め付けた。
「三蔵も少しは落ち着いて下さいよ。僕は貴方と悟空に何があったのか知らないんですよ?まぁ、大体の察しは付いてますけどね」
「ふん…余計なお世話だ」
「そんなこと言っていいんですか?貴方には悟空の消えそうな心当たりが僕らの所しかないんでしょう?何も状況を話して貰えなければ助言も出来ません」
真剣な表情で八戒に諭されると、三蔵はバツ悪げに視線を逸らす。
その視線の先では、相変わらずガタイのいい大人がジタバタと暴れていた。
「そのバカはさっきから何やってんだ?」
「眺めてねーでどうにかしろっ!」
涙目になって悟浄は三蔵に助けを懇願する。
しかし三蔵は冷たく一瞥しただけで、直ぐに八戒へ視線を戻した。
「アレ程エッチなビデオなんか買って無駄遣いしないでくださいね〜って何度もお願いしてるんですけどぉ〜悟浄ってばおバカさんだから言っても分からないみたいなんですよね♪」
「…いっぺん死なねーとソイツのバカは直んねーだろ」
あまりにも下らない理由に、三蔵も呆れ返る。
「ぐあっ…だっだから!アレは…ついつい5本1万円でいいって言われてだな…うぎゃあああぁぁっっ!!!」
ゴキッと鈍い音が聞こえた。
どうやらどっかの関節が外されたらしい。
「そんなにエッチなビデオが見たいなら、今度僕の秘蔵ビデオ貸して上げますよvvv」
「はぁ?八戒っ!んなビデオ持ってんのかよっ!?」
「やだなぁ〜。僕だって悟浄と同じオトコですから、まぁ人並みにはね?」
「へぇ〜。マジ?そんでどんなヤツ?お前だと巨乳モノとか?」
関節の外された腕をダラリと放置したまま、悟浄は興味津々に八戒を見上げてくる。

やっぱりコイツはバカだ。
それにいちいち乗る八戒も大バカだ。

三蔵はそう決めつけると勝手に拝借していた灰皿に煙草を押しつけ、不機嫌そうに家を出ようとした。
「あっ!ちょっと三蔵!悟空のコトはどうするんですか!?」
「あー、もういい。勝手にバカ漫才の続きやってろ」
「そんなこと言って…悟空の居そうな当てあるんですか?」
痛い所を突かれて、三蔵はグッと喉を詰まらせる。
「まぁまぁ、そう焦らないで。とりあえずお茶でもいれますから」
「なーってばっ!八戒の秘蔵ビデオどんなんだよぉっ!!巨乳じゃなけりゃ人妻?はっ!まさかロリータ物…」
八戒はニッコリ笑顔で悟浄の腕を捻り上げた。
「いっでえええぇぇーーーっっ!!!」
ゴキゴキッとまたもや鈍い音が聞こえる。
しかし。
「何騒いでるんですか。関節元に戻しただけですよ」
「戻したって…外したのもお前じゃねーかよっ!それに痛ぇモンは痛ぇのっ!!」
「…何なら今度は利き腕で体験してみますか?」
「ご…ごめんなさいぃ」
きちっと正座をすると、悟浄は八戒に向かって深々と頭を下げた。
「あぁ、三蔵お待たせしました。丁度コーヒー落としていたところなんですよ。今持ってきますから…っと?」
八戒が立ち上がろうとすると、身体がつんと引き戻される。
振り返ると、悟浄がエプロンの裾を握って上目遣いに見つめていた。
「…ビデオ、何?」
「………。」
しつこく食い下がる悟浄に、八戒も呆れて声も出ない。
額を押さえて大袈裟に溜息吐くと、悟浄の手を取って微笑んだ。
「僕の好み200%!とっても可愛らしいヒトの無修正本番ハメ撮り言葉攻め羞恥プレイモノですvvv」
「マジーッ!?八戒ソレ貸してっ!主演誰よ?」
「悟浄です」
「……………………………はい?」
「もうっ!会心の作品ですっ!!徹夜で編集した甲斐がありました〜。今度一緒に見ましょうねっ!」
興奮で頬を染めてウットリと見つめてくる八戒に、悟浄はサーッと血の気が引いた。

無修正本番ハメ撮り?
で、その主演が俺と。
ハッハッハッ!すげぇな〜、俺主演だってよ〜。

「じゃねーっっ!お前何時の間にんなモン撮ったんだよっ!出せっ!没収っ!燃やしてやるううぅぅっっ!!!」

悟浄は八戒の襟首を掴むとガクガクと揺さ振る。
しかし八戒は全く気にせず暢気に笑った。
「イヤですよぉ〜♪言ったでしょう?僕の秘蔵ビデオだって」
「肖像権の侵害だっ!」
「悟浄は僕の所有ですから、関係ありまっせ〜ん」
「お願いしますっ!頼むから破棄してくれええぇぇっっ!!」
「やっかましいわっ!この猥褻バカップルがっ!!」

バッシーーーンッッ!!!

忍耐強く我慢していたが、とうとうキレて三蔵のハリセンが唸りを上げる。
「何で俺なんだよぉっ!」
「テメェにこの変態を増長させる隙があるからだっ!!」
「…誰が?変態、ですって?」
室温が一気に氷点下まで下がった。
笑顔を浮かべる八戒の背後に極寒ブリザードの幻影が見える。
三蔵は身を翻すと、乱暴にダイニングの椅子に腰を下ろした。
「俺は貴様らの馬鹿馬鹿しい漫才を見に来たんじゃねー」
「あ、そうそう。悟空でしたよね?」
持ってきたマグカップにコーヒーを注ぐと、八戒が三蔵と悟浄に差し出す。
三蔵は一口飲むと、苛立たしげに髪を掻き上げた。
「一体何があったんですか?悟空が居なくなったなんて…いつから?」
「今朝…起きたときには居なかった」
「じゃぁ、朝早くに寺院を出たということですか?」
「いや…ベッドの感触だと夜中だな」
「そんな夜中に…」
話に驚いて八戒が目を見開く。
「チビ猿が夜中に飛び出すってことは。その前に何かあったんだろ?」
八戒と三蔵の遣り取りを聞いていた悟浄が、のんびりと口を挟んだ。
「それが悟空には時間なんか関係ねーほど、傷つくことだった訳だ」
やけに訳知り顔で話す悟浄に、三蔵は胡乱な視線を向ける。
探るような視線で睨まれて、悟浄は小さく肩を竦めた。
「お前ら見てりゃ誰だって想像つくっての。そんで?喧嘩の原因は何?」
「喧嘩なんかしてねー」
「え?そんな訳ないでしょう?それで悟空が飛び出したんですよ?」
「訳分かんねーんだよっ!」
三蔵は激昂すると、テーブルに拳を叩き付ける。
「いつもと…大して変わらねー言い合いだったんだ」
額を掌で押さえると、三蔵は小さく呟いた。

『なぁなぁ、三蔵!明日さ…』
『騒いでねーで、さっさと寝ろ』
『何だよっ!話ぐらい聞いてくれたっていいだろぉ』
『今日は疲れてんだよ…明日聞いてやるから』
『明日じゃダメなんだよっ!だから明日俺…』
『うるせー!テメェの声はギャーギャー頭に響くんだよっ!ガキは早く寝ろ』
『な…んだよ…っ!何で俺の話聞いてくれねーんだよぉっ!』
『悟空…だから明日ちゃんと聞いて…』
『明日じゃ意味ないんだよっ!三蔵のばかーーーっっ!!』

「で?悟空は泣きながら飛び出して行ったと?」
「後で寝たかどうか見に行ったら、ちゃんとベッドに入ってた」
三蔵は俯いたまま昨夜の状況を話す。
何であんなに悟空が拘ったのか。
いつもなら仕事で疲れている三蔵を察して、寂しそうではあるが大人しく引き下がるのに。
昨夜に限って、悟空はやたらと三蔵に絡んで来た。
一体悟空が何を言いたかったのか、三蔵には想像がつかない。
「悟空だって貴方が疲れていることは分かっていたはずですよ?ただの日常話ならそんなにも拘らなかったでしょうに。ほんの少し話を聞いて上げればよかったのに」
「三蔵サマも疲労困憊で頭回らなかったんだろ?」
「うっせー、河童」
的を得る悟浄の鋭い指摘に、三蔵は忌々しげに吐き捨てた。
八戒は仕方なさそうに苦笑すると、真っ直ぐ三蔵を見つめる。
「悟空にとっては大切なことなんですよ。三蔵、忘れてるんですか?」
「あぁ?何を…」
「今日…何月何日ですか?」
「何日って…」
すぐに気付いた三蔵の瞳が大きく見開かれた。

今日は4月5日。
悟空の誕生日だ。

どうしてあれだけ頑なに意地を張って三蔵に絡んできたのかが漸く分かった。
確かに自分は疲れを言い訳にして、最近悟空に気遣ってなかった気がする。

どんなに仕事があっても、この日だけは。
他の日は何も要らないし望まない、我が儘も言わないけど。
誕生日だけは、三蔵と一緒に居たい。
二人だけでずっと居たい。

自分の馬鹿さ加減に、三蔵は嫌悪した。
アイツは今頃たった一人で。
三蔵を想って泣いてるかも知れない。
椅子から立ち上がると、三蔵はドアへ向かおうとした。
しかし。
その腕を悟浄が掴んで引き留める。
驚いて振り返ると、八戒が笑っていた。
その視線が。
ゆっくりと動いて、リビングを出るドアへと向いた。

ガチャ。

三蔵の向けた視線の先で、そのドアが僅かに開く。
「さんぞ…」
散々泣いたのだろうか。
目の縁を赤く腫らした悟空が、ドアの向こうに立ち竦んでいた。
痛々しい姿に三蔵の表情が曇る。
三蔵の様子を勘違いしたのか、悟空はぶわっと瞳に涙を膨らませてドアにしがみ付いた。
「さんぞ…さんぞぉ…っ」
ポロポロと涙を零しながら、小さな声で三蔵を呼び続ける。
三蔵は小さく息を吐くと、腕を上げて悟空へと差し出した。
「来い、悟空」
悟空が眼を大きく見開いて、三蔵の掌を見つめる。
小さな身体を震わせて、その場から動かずに掌を見つめた。
「…悟空」
穏やかな、優しい声音。
悟空を呼ぶときだけの、三蔵の声。
丸みを帯びた頬に、涙がどんどん伝い落ちる。
「さんぞぉっ!!」
悟空は駆け寄ると、三蔵の胸に飛び込んだ。
法衣にしがみ付くと、堰を切ったように泣きじゃくる。
「ったく…何泣いてやがんだ」
「さんぞぉ…っ」
しゃくり上げる悟空の背中をあやしながら、三蔵は安堵の笑みを浮かべた。
八戒と悟浄は目を丸くして驚く。
三蔵は悟空を抱き込んだまま、八戒と悟浄を振り返った。
「…邪魔したな」
「いえいえ。仲直り出来て何よりです」
「これからはちゃーんとお互い話を聞いてだなぁ〜相互理解を深めて…」
「テメェが言える立場か?あぁ!?」
「本当ですよね♪」
「…八戒恐いって」
悟浄はガックリとテーブルに突っ伏す。
「あっ!ちょっと待って下さい!!」
ドアに向かう三蔵に、八戒が慌てて声を掛けた。
椅子から立ち上がると、キッチンへと飛び込んでいく。
すぐに戻ってきた八戒は手にした箱を三蔵へと手渡した。
「はい、コレ。悟空のバースデーケーキです」
「えっ!八戒作ってくれたの?」
悟空は驚いて声を上げる。
「ええ。本当は今日寺院の方へ届けようかと思ってたんですよ。まぁ、丁度良いですよね。二人で仲良く食べて下さいね」
「八戒ぃ〜ありがとぉっ!!」
八戒お手製のケーキと聞いて、悟空は満面の笑みを浮かべて喜んだ。
ところが三蔵としてはそれが面白くない。
視線を逸らして、チッと舌打ちした。
「食いモンで手懐づけやがって…」
「何かおっしゃりましたか?」
笑顔の八戒と三蔵は暫し睨み合う。
被害を避けて、悟浄はコソコソとリビングのソファの後へ非難する。
そのままコッソリ自室へ逃げようとすると、突然くるりと八戒が振り返った。
「悟浄?何逃げようとしてるんですかぁ?まだビデオのお仕置きは終わってないんですからね♪」
「うそぉー…」
ソファに撃沈する悟浄をとりあえず放置して、八戒は再度三蔵に視線を戻す。
「今日はお勤め…あるんですか?」
八戒の言葉に悟空の身体がビクッと強張った。
ぎゅっ、と三蔵の法衣を握り締める。
「コイツを探しに出たところで、はなっから仕事なんかする気ねーんだよ」
「さんぞ?仕事いいの?今日俺と一緒に居てくれるの?」
悟空が三蔵を見上げて縋り付いた。
ふっ、と。
三蔵は口元に笑みを浮かべる。
「…約束だからな」
「さんぞぉっ!すっげー好きっ!だぁ〜い好きぃっ!!」
悟空は嬉しそうに叫ぶと、三蔵の身体に抱きついた。
悟空からの熱烈ラブコールに、三蔵も満更ではないようだ。
「おら、しがみ付いてると歩けねーだろっ!帰るぞ」
「うんっ!八戒ありがとーっ!」
「いえいえ。今度は二人仲良く遊びに来て下さいね」
「分かったっ!」
元気な悟空の声に八戒は微笑んだ。
帰っていく三蔵と悟空を見送って、八戒は静かにドアを閉めた。
その後しっかり鍵も掛ける。
カチリという施錠される金属音に、悟浄の身体が跳び上がった。
「さてと。悟浄の言う通り、僕たちもじーっくり話し合って、相互理解を深めましょうか?」
「え…あのあのっ!?」
「さぁ、僕の部屋に行きましょうかっ!あぁ、昨日使ってませんから悟浄の部屋でもいいですけどねっ!心身共に深ぁ〜く相互理解しましょうっ!」
四つん這いで逃げようと慌てる悟浄の襟首を、八戒はガシッと掴んで引きずっていく。
少しすると。
「ぎゃあああぁぁぁっっ!!!」
断末魔の悲鳴が、早朝の爽やかな空気を引き裂いた。



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