恋愛集積回路
緋神 翼矢sama as GRAND CANYON



冬は嫌いだ。

 空気が澄んで、電波が通りやすくなる。
 年始早々軍部の会議に呼び出され、仕方なく部屋から出たら、足元にぽたりと水滴が落ちてきた。
 開け放ってある廊下の窓から外を見ると、空はどんより曇って今にも降り出しそうだった。
 雨が降ったら、余計にうるさい。
 出来るだけ意識から遮断するように努めて、電波の海の中を急ぎ足で会議室まで泳いでいくと、背後から物凄い騒音が聞こえてきた。
 ピーンとかキューンなんて可愛いもんじゃない。
 例えるなら、渾身の力を込めた和太鼓。
 ドン!と音が振動を持って脳髄に響いてくるような、この波動の持ち主は僕の知る限り一人しか居ない。
「よ、天蓬。」
 ぽん、と肩を叩かれて、嫌々ながら振り返ると、そこには諸悪の根源である捲簾が立っていた。
「なんだ、機嫌悪そうだな。」
「お陰様で。」
「俺、何かした?」
「さあ?」
 わざとらしくにっこり微笑んでやると、捲簾は僅かに首を傾げた。
 恐らく、自分がここ最近行った悪行の数々でも思い出しているんだろう。
 元気よく新年の挨拶をしてきた部下達と捲簾が入り口で立ったまま話をしている間に、天蓬はさっさと自分の席に腰を下ろした。
 天蓬の席は奥まった場所にあるので扉からは死角になっているのだが、こうしている今も、捲簾の電波が纏わり付いて離れない。
 ちりちりと首筋に絡みつくそれに、天蓬はきつく拳を握り締めた。



 僕はいわゆる受信体質という奴で、人の思念や強い感情が頭の中に音や衝撃として直接響くことが有る。
 正式には何なのか判らないが、心の中が覗けたり精神感応が出来たりというような超心理学的なものではなく、例えるなら念のようなもので、それは具体的なものから曖昧なものまで様々だ。
 性別や年齢に関係なく、全く電波を発さない人も居れば、常に何かしら発信している人も居る。
 響く強さも人によって違うようで、精神力が強い人の方がより大きい音になるかというと別にそういうわけでもなく、特に特徴といえる程のものも無い。また、音そのものも鈴のようなものから布団を叩くような音、馬が駆けるような音や風の音に似たようなものまで多種多様で、これも個人差があるようだ。
 普通は、壊れたラジオみたいなピーンとかキューンとか言う音が一瞬頭の中に響いて、それで終わり。
 物心付いた頃からこんな体質なので、最近ではすっかり慣れてしまって、その程度の電波は騒音と同じでうざったくはあるが十分遮断できる。
 いわば頭の片隅で対処出来る範囲の事柄だったはずなのだが、これが何故か捲簾に対しては一切通用しない。
 捲簾の電波は特殊で、波長も音量の大きさも衝撃も何もかもが他の人とは桁違いだ。
 おまけに、響いてくるのが音だけならまだ可愛いものだが、捲簾の電波は驚くべき事に方向性を持っている。
 例えるなら、『こっちを見ろ』という呼び掛けが、声ではなく音の塊として直接脳に響いてくるような感じだ。
 今もまた、捲簾の電波がひっきりなしに呼びかけてくる。

『こっち向けよ。なぁ。天蓬。』

 鼓膜を震わさず、頭の中に直接響いてくる騒音。
 ついに堪り兼ねて、天蓬はバン!と持っていた書類を机の上に叩き付けた。
「ちょっと捲簾!いい加減にして下さい!」
 勢いのままに怒鳴りつけると、書類から顔を上げた捲簾が眼を丸くしてきょとんとした表情を見せた。
 その顔にようやく我に返って辺りを見回すと、その場に居合わせた者全員があっけにとられたような顔をして天蓬を見詰めていた。
 無理も無い。
 天蓬は普段、人前で誰かを怒鳴りつける事など殆ど無い。
 それがいきなり、会議中に声を荒げて怒鳴れば、誰でも驚くだろう。
「…元帥、どうかしたのか。」
「あ、いえ、…失礼しました。」
 一足先に冷静さを取り戻した上司がいつも通りの調子で訊ねてくるのに感謝して、天蓬は再び何食わぬ顔をして席に着いた。



 やはり、捲簾は厄介だ。
 何とかしなければ、いつか自分の身を滅ぼす。
 でも、一体どうやって。

 会議の終了を告げられた途端、誰よりも早く退室した天蓬は、廊下を早足で歩きながらぐるぐると思考を巡らせていた。
 最初は、こんなじゃなかった。
 初めて会った時も、なんて強い波動を持っているんだろうとは思っていたけれど、その程度ならきっとまだ聞かないように意識して無視する事は可能だった。
 でも、今は違う。
 何処に居ても、何をしていても、望むと望まざるに関わらず、捲簾の持つ独特の波動が天蓬の意識を惹きつける。
 それでいて、本人は全く無自覚で、『話しかけろ』という強い波動を感じて、何ですか、と声をかけると呼びかけた覚えは無いと言うし、『見ろ』というから見たら、こちらに背を向けて部下達と談笑していたりするのだ。
 聞こえてしまうのは体質だから、捲簾が悪いわけじゃないと思いはするのだが、捲簾一人に自分だけがこうも振り回されているという事実を考えると、なんだか無性に腹が立って仕方が無い。
 こうしている今だって、追いかけて来ている捲簾の撒き散らす、台風のような電波の波をびりびり感じているというのに。



 自分の部屋に戻った天蓬がソファーに座って懐から出した煙草に火をつけていると、轟音と共に扉が開いた。
 本の散乱したけもの道を一冊も踏むことなくやってきた捲簾は、向かいのソファーに行儀悪く腰を下ろすなり、いきなり確信をついてきた。
「で、今日のアレは何な訳?」
「なんのことですか?」
「ばっくれんなよ。」
「貴方には関係な…」
「無いわけないよな?」
 普段の低音よりも更に低い声音に顔を上げた天蓬の視線が、捲簾の瞳とぶつかって止まる。
 まっすぐに見詰めてくる琥珀に、捕らえられる感覚。
「話せ」
 ぴたりと正面に見据えたまま、言い放たれた言葉に、天蓬はぐっと唇を噛んだ。
 これは、命令だ。
 確固たる意志の力。
 他者を膝まづかせ屈服させようとする強力な支配と、頭を押さえつけられるような圧倒的な強制の力を感じる。
 視線だけで人を従わせる事の出来る、王者の眼。
 こんな目をして、こんな口調で話す時の捲簾に、逆らえる者などきっと誰も居ない。
 屈する屈辱と、支配される悦びに、天蓬は諦めたように細く息を吐いた。
 このまま、黙秘を続けても埒が明かない。
 捲簾の言いなりになるのはかなり不本意だったが、話さずに居て事態が進展するはずもないことは誰よりも自分が一番よく判っていた。



 最初は意図的に無視することが出来ていたはずの電波が遮断出来なくなったのは、いつだったか、共に出陣した戦場で捲簾の姿を見てからだ。
 最前線で返り血と汗と埃に塗れて剣を片手に戦っている捲簾の姿。
 戦場を自在に暴れまわるその姿は、まるでその為に産まれた野生の獣のようだった。
 総指揮官として戦場全体が見渡せるよう、高台から見詰める天蓬の視線の先で、突破口を切り開いた捲簾が一声、高らかに吼えた。
 どんな混戦の中でもよく通る、揺ぎ無いその声。
 後方でタイミングを計っていた部下達が一斉に飛び出すのを確認して、ちらりと見上げてきた捲簾の口元に浮かんだ笑み。
 見上げる捲簾と見下ろす天蓬の視線がほんの一瞬だけ交錯する。
(あ。)
 その眼に宿る光。
 瞬間、受ける衝撃の予感にどくん、と心臓が鳴った。
 大きく息を吸い込んで上げた捲簾の勝ち鬨の声が、戦場に木霊する。
 その時、天蓬の全身を貫いた波動は、声というよりはまさに衝撃波と呼ぶべきものだった。
 普段感じているような電波とは、質からして全く違う。
 頭の先から足の先まで全身に稲妻が走ったような。
 とてつもなく巨大な大気の渦に飛び込んだような。
 全身がばらばらになりそうな衝撃に押されて、天蓬は無意識のうちによろめいた。

 こんなの、有り得ない。
 この衝撃は何だ。 

 一瞬の空白。
 ここが戦場だということを今更のように思い出し、天蓬がはっと我に返って体勢を立て直した時には、捲簾は既に違う場所に移動していた。




 あれ以来、一層強力になった捲簾の電波が僕を苛んで放さない。

 天蓬のさほど長くも無いが決して短くも無い語りを捲簾は黙って聞いていたが、語り終えた天蓬の手元から新しい煙草の煙がゆらゆらと天井へ立ち上るのを見てようやく話が終わった事を悟ったのか、捲簾は少しだけ困ったような顔をして頭を掻き、視線を部屋中に巡らしてから、再び天蓬に視線を戻した。
「なぁ」
「何ですか?」
「それって、告ってんの?」
「はあ?なんでそんなことになるんですか!」
 捲簾がかなり自己中心的で自信家でおまけに男にも女にもやたらモテることは知っているが、なんでもかんでも自分に都合よく解釈しないで欲しい。
 ろくでもない男。
 こんな男を相手に真面目に語った自分があんまり馬鹿らしくて、苛立ち紛れにまだ長い煙草をテーブルの上の灰皿にぐりぐり押し付けていると、向かいから伸びてきた腕にその手をやんわりと捕らえられた。
「ちょっ…!」
「気になるんだろ?俺のこと」
 怒鳴りつけてやろうと思って取り出した言葉が、喉で止まる。
 目の前でいつもと同じように笑う捲簾は、楽しそうな表情を浮かべてはいるものの、眼が全く笑っていない。
 それどころか、殺気にも似た、凄みのようなものさえ感じさせる。
 凪いだ海のように雰囲気はあくまで穏やかなのに、何故かそこから眼を逸らすことが出来ない。
 捕らえられた手首からじりじりと這い登ってくる指。
 逃れようと思えば容易く逃れる事が出来るほど甘い拘束なのに、体は全く言う事を聞かなかった。
「教えてやるよ」
 耳元に直接注ぎ込まれた低音に、ぞくり、と鼓動が跳ね上がった。
 項を掴んで引き寄せられて、唇が重ねられる。

 熱い。

 重ねた唇や、触れている首筋から、捲簾の熱が流れ込んでくる。
 冷え性の自分よりも捲簾の方が基礎体温が高いのは確かだが、それにしても、触れた指先が熱を持つような、この熱さは一体何だろう。
 ただ単純に体温が高いというよりも、捲簾の体を流れている血の温度が他人とは根本的に違うような気さえする。
 絡まった舌を強く吸い上げられて、天蓬の唇からは思わず吐息が零れた。
 自分達の周囲に、電波がびりびりと火花のように帯電しているのが判る。
 あれほど煩いと思っていた電波の渦に取り巻かれているのに、何故か不思議と気にならなかった。
 むしろ、気になるのは。
 何処もかしこも熱い、捲簾の体。
 唇でこれなら。
 この体の中は、一体どうなっているんだろう。
 そう思った時、捲簾の唇がふっと離れた。
「試してみるか?」
 挑むような目をして、にっと笑った捲簾に誘われるように、天蓬はテーブルを乗り越えると、うっすらと開かれた唇に噛み付くように口付けた。





 床の上に直に座り込んで、ズボンだけを身に着けた姿で煙草をふかしながら、捲簾はふと背後を振り返った。
 もたれている背中のソファーには、白衣を脱いだ天蓬が丸くなって眠っている。
 眠りに落ちる直前、触れた指先から電気のようにびりっと伝わってきた思考。
『…もしかして、捲簾、僕の事好きですか?』
 深々と吸い込んだ煙をふーっと天井へ吐き出すと、その額をコン、と小突く。
「ばぁか。気付くのが遅ぇんだよ。」

 あれだけはっきり意識してやってんだから、さっさと気づけ。この天然。

 俺が、触れた相手の念を読み取ることが出来るって言ったら、コイツはどんな顔をするだろう。
 その時の天蓬の顔を想像して、捲簾は喉の奥でくくっと楽しそうに笑った。



はいっ!鼻血拭いて〜っ!!
GRAND CANYON の緋神翼矢さんにお年賀で頂きましたよっ!
フリーで転載オッケーということで、緋神さんの気が変わらぬうちに速攻DL!
どうよ、この捲簾の男前っぷりと言ったらっ!!(悶)
もうもうっ!緋神さんちの捲簾が好きだああぁぁっ!!
それにしても…天蓬の念を今後むやみに読んじゃったりしたら、エライ目に遭うのでは?と心配です。
だって、頭の中身じゃ修正は掛からないだろうしねぇ。←いらぬ心配
緋神さん、お年賀ありがとうございました♪
緋神さんの素敵サイトへはリンクページからどうぞ。


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