ココロの行方 |
「あーあ…つまんなぁい」 悟空は小さな声で呟くと、足下の小石を蹴った。 広大な野原を駆け回ったり、近くの森を探検したりもしたが、一人では何をするのも退屈ですぐに飽きてしまう。 仕方なしにとぼとぼと観世音菩薩の宮の近くまで戻ってきた。 相変わらず金蝉は仕事に追われ忙しい。 それでも構って欲しくてまとわりつけば、げんこつをグリグリ食らって執務室から追い出されてしまった。 それならと天蓬の部屋へ遊びに行けば、部屋付きの女官から軍議に出かけたと告げられる。 必然的に捲簾も一緒ということで。 ナタクも昨日から下界へと討伐に出かけてて、まだ帰ってはいない。 ガックリと気落ちしながら回廊を歩いていると、前方からものすごい勢いで歩いてくる観世音菩薩と二郎神に出くわした。 「あ、お姉ちゃ〜ん!」 悟空が嬉しそうに近づくと、菩薩は苦笑しながら悟空の頭をポンッと叩く。 「おう、チビ!悪ぃな、ちょっと急いでるんだ。後で遊んでやるよ!」 そう言ってニッと笑うと、あっという間にすれ違ってしまう。 遠くから『あんのクソジジィどもがぁっ!』と言う罵声と必死に宥める二郎神の声が聞こえてきた。 「やっぱお姉ちゃんと金蝉って似てるよなぁ…」 つい変なところで悟空は感心してしまう。 さて、いよいよ遊び相手がいなくなってしまい、結局一人で出かけたのだが。 「んーっと…あっち行ったことないんだよなぁ」 悟空が住む観世音菩薩の宮からは裏手の方向にある小さな森。 『あそこには近付くんじゃねーぞ、チビ』 優雅にカップを口に付けながら観世音菩薩が忠告する。 『何で?お姉ちゃん??』 リスの様に口いっぱいにお菓子を頬張りながら悟空は首を傾けた。 『どー言う訳か知らんが、あの森は磁場が悪くてな…時空が不安定なんだよ』 菩薩はじっと目を眇めながら遠くの森に目を向ける。 『じば…じくう??』 『お、悪ぃ悪ぃ。早い話が危険だってコトだ。何が起こるか俺様でも見当がつかねーんだよ。いきなり10年前に飛ばされちまったヤツとか、森から出られなくなっちまったとかな…チビがそんな目にでも遭ったら金蝉がウルセーだろ?』 くくく、と喉で笑って悟空を見下ろした。 悟空はむぅ、と考え込む。 『んと…金蝉にげんこつ喰らっちゃうかな?』 行ってはいけない不思議な場所と聞くと、ついむくむくと好奇心が頭をもたげてしまう。 その後に金蝉の強烈なげんこつをしこたま喰らうことを考えながら、悟空の中で天秤がグラグラと揺れた。 『そうだなー…げんこつにおやつ抜きってとこか?』 楽しげに菩薩が眉をひょいっと上げる。 『えー!?おやつも〜!?じゃぁ…行かない』 食欲に天秤が傾いた様だ。 悟空の悄気方に菩薩はゲラゲラと笑う。 『そうしたほうがいいな。それに金蝉に心配はかけたくねーだろ?』 え?と悟空が眼を上げた。 『金蝉…心配してくれる…かなぁ』 悟空は膝をかかえて顔を載せる。 自分が天界でどういう存在なのか、自分でも分かっていた。 そのことで金蝉がいわれのない陰口を囁かれていることも。 これ見よがしにわざわざ悟空に聞かせる者までいた。 自分が言われるのはかまわない。 でもそのことで金蝉を傷つけようとするのは許せなかった。 自分がいなくなれば金蝉はイヤな目にあったりしないのに。 もしかしたら、金蝉もその方がいいのかも、と。 でも… 金蝉と離れるのはいやだ。 グルグルと悟空は考え込んでしまう。 一緒にいたいだけじゃダメなのかなぁ…。 『居たきゃ居ればいーだろ?』 穏やかな菩薩の声にはっと悟空は我に返る。 どうやら考えていたことを声に出していた様だ。 悟空は菩薩を見上げながらクシャっと顔を歪ませる。 『でも…でもさ、金蝉にはメイワク…なんだよね?俺がいるといっぱい悪口言われるし、いつも金蝉のお仕事のジャマばっかして、俺怒られてばっかで…』 懸命に泣くのをガマンしようと悟空は口をへの字にして耐えた。 菩薩は手を伸ばすと俯く悟空の頭を撫でる。 『それで…金蝉はチビに出ていけ、と言ったことがあるのか?』 悟空は緩く首を振った。 『ううん、言わない』 『お前が居て迷惑だと、言ったか?』 『ううん…』 悟空はそっと顔を上げる。 『アイツはな、自分の感情を表すのがヘタクソなんだよ。それにあんなでもチビを大切にしていると俺には見えるが…そーゆーヤツが心配しねー訳ねーよな?』 菩薩は自分の甥の不器用さを思い出して苦笑した。 『そっかな…でも…さ』 何かを思いだし、悟空はぷくっと頬を膨らませる。 『ん?どーした』 『だってさ…俺は毎日いーっぱい!金蝉に大好きだってゆってるのに、金蝉は何にもゆってくれないんだもん。』 『ほぅ…そんなにいっぱい言ってんのか?』 楽しげに菩薩が問い返した。 『うんっ!数え切れねーぐらい、いっぱい!い〜っぱい!!だって金蝉大好きだし。でもさ、俺が言うと金蝉フンッて顔逸らすんだもん…』 『…ぷ』 とうとう耐えきれなくなったのか、菩薩は豪快に笑い出す。 一体チビの告白にあの仏頂面の甥がどんな顔をしているのか。 想像するだけで笑いが止まらない。 『お姉ちゃん、どーしたの?俺なんかヘンなこと言ったか?』 突然の大爆笑に悟空はきょとんと目を丸くした。 『や…悪ぃ。そっか、金蝉はなぁ〜んにも言ってくれねーか』 『…うん』 しょんぼりと悟空が項垂れる。 金蝉が自分のことを大事にしてくれてるのは分かってる。 それでも… 『やっぱ、言葉が欲しいか?』 思っていることを口に出され、悟空は驚いて菩薩を見上げた。 口端に笑みを刻んだまま菩薩は何事かを思案している。 『おい、チビ。ちょっと手ぇ出しな』 『て?…これでいいの??』 悟空は首を傾げながら菩薩の方へと右手を差し出した。 悟空の手を取ると菩薩は口元へ指をやり、何事かを呟くとその指を悟空の腕へと押しつけた。 『熱っ!』 押しつけられた指のあまりの熱さに、悟空は声を上げる。 ふとその腕を見ると何かの文字が浮かび上がり、すうっと吸い込まれる様に消えていった。 『ふん…こんなもんだろ』 文字が消えるのを確認すると、掴んでいた悟空の腕を下ろしてやる。 『お姉ちゃん、今のなに?』 痛みはなかったが悟空は何となく腕をさすった。 『今のか?まぁ、迷子札のようなモンだ』 悟空は迷子札と聞いてぷぅっと頬を膨らませる。 『もうっ!お姉ちゃんまで何だよっ!俺迷子になったりしねーもん』 『ははは、落ち着けって。別にチビが迷子になるからやった訳じゃねーよ。さっき言ったろ?あそこは危ねー場所だって』 菩薩が顎で窓の外を指す。 その先には鬱蒼と緑濃い小さな森。 『あの森にはな、心の深淵を映し出す泉があるんだよ』 『いずみ?』 『ああ。泉自体穢れを取り除く…浄化する作用があってな。それと同時に泉に念じながら覗き込むと知りたいことの真実を見ることが出来る。ただし、見ることが出来るのは魂に穢れのない、純粋な者にしか泉は真実を見せないがな』 菩薩の言葉を聞きながら悟空はぼんやりと考え込んだ。 『そんじゃ…俺が金蝉のコトが知りたいってお願いすれば見せてくれるの?』 縋る様に悟空が菩薩を見つめる。 菩薩は笑みを零すと悟空の頬へと手を伸ばした。 『それが、チビの本当に知りたいことならな』 「金蝉の気持ち…」 森を眺めながら、菩薩の言葉を思い出す。 遠くに見えるのは危険な森。 『さっきのはな、もしチビが時空の歪みに落ちたとしても、どこにいるか分かるまじないみてぇなモンだ』 悟空はそっと腕をさすった。 コワイ。 恐いけど、それでも… 「金蝉の本当の気持ちが知りたいよ…」 小さく呟くと、悟空は遠くに広がる森へと走り出した。 |