無限の空


パタパタパタ

軽快な足音が回廊を走り込んでくる。
「こんぜーんっ!ただいまっ!!遅くなってゴメ…あれ?」
おやつの時間に少し遅れ慌てて帰ってみれば、執務室に保護者の姿は無かった。
悟空は呆然と入口に立ち尽くすが、我に返ると別の部屋まで走っていく。
「金蝉?こんぜ〜ん??」
全ての部屋を探し回るが、金蝉の姿は何処にも見当たらない。
悟空は肩を落としてポテポテと執務室に戻ってきた。
いつも金蝉が仕事している机の前までくると、椅子の上によじ登る。
机の上は整理され、山積みになっているはずの書類は全て無くなっていた。
「金蝉ドコ行っちゃったんだろ…お姉ちゃんのトコロかなぁ」
いつも金蝉は観世音菩薩から仕事を回されている。
その書類の決裁が済むと、また菩薩へと返していた。
しかし、悟空はその菩薩の部屋から戻ってきたのだ。
「…金蝉」
悟空は不安げに呟くと、部屋の外へと出た。
そこに世話係の女官頭が茶器を持って通りかかる。
「あら?どうなされました?」
穏やかに微笑みながら、女官頭が悟空の目の前に膝を折った。
悟空は泣きそうな表情で女官頭を見つめる。
「あのね…金蝉がいないの」
声に出すと益々不安を募らせるのか、悟空が小さくしゃくり上げた。
宥めるように女官頭が悟空の頭を撫でる。
「金蝉様なら菩薩様のところに書類を届けに行かれましたよ?その後悟空ちゃんを捜してからこちらにお戻りになるって」
「金蝉…俺のこと探しに行ったの?」
「ええ。いつもの時間に帰ってこられなかったから、金蝉様もの凄く心配なさってましたよ?」
「俺、お姉ちゃんトコロで遊んでて遅くなっちゃったの」
「あら…それじゃ金蝉様と入れ違いになってしまったのね」
「どうしよう…」
悟空はオロオロしながら困り果てた。
愛らしい様子に、女官頭は小さく笑みを零す。
「お部屋で待ってたほうが宜しいでしょう。金蝉様もすぐお戻りになると思いますよ?」
「うん…でもぉ…」
悟空はしばし逡巡した。
「でも早く金蝉に会いたいから、俺探してくるっ!」
ニッコリ笑うと、悟空はもの凄い勢いで回廊を駆け抜けていく。
「あっ…悟空ちゃん!?」
女官頭が声掛ける間もなく、悟空の小さな身体はあっという間に回廊の端から見えなくなった。
あまりの早業に呆然と女官頭は見送ってしまう。
「困ったわ…金蝉様がお戻りになられたら、どう説明しましょう」
女官頭は所在なげに茶器を抱えて、重い溜息を零した。






「あ?金蝉ならさっき戻ったぞ?」
「本当?お姉ちゃん」
悟空は真っ先に観世音菩薩の私室に戻ってきた。
優雅に脚を組み替えると、観音は悟空の顔を楽しげに覗き込む。
「チビが帰ってすぐ書類持って来てな。お前が戻ったところだって伝えたら慌てて出てったぞ?」
「えーっ!俺…金蝉に会わなかったよ?」
ガックリと肩を落として悟空がぼやいた。
くくっと観音が喉を鳴らす。
「どうせチビのことだから、まっすぐ帰らねーだろうってキレてたな、アイツ。途中でチビが寄り道しそうなところ探してんじゃねーの?」
「…そうなの?」
「…じゃねーの?」
観音が口端でニッと笑うと、悟空はヨロヨロと立ち上がった。
「ま、チビだったら、ドンくさい金蝉なんてすぐ探せるだろ?」
観音の言葉に悟空は眼を見開くと、すぐに全開の笑みを浮かべた。
「うんっ!俺金蝉のこと追いかけるっ!!」
元気に返事をすると来た時同様、慌ただしく部屋を走り去っていく。
茶器を手に取ると、観音は可笑しそうに肩を震わせた。
「ふ…数ヶ月であそこまで手なづけるとは大したモンだな」
「それだけ金蝉殿はあの御子を大切になさってるんでしょう」
傍らでニコニコと二郎神が頬笑む。
「まぁ〜ちょーっとばかし過保護みてぇだけど?」
偏屈な甥っ子の変わり様に、菩薩は肩を竦めて苦笑した。






観音の私室を飛び出してから、悟空はひたすら回廊を走り抜ける。
目指すは軍の宿舎。
悟空の遊び先と訊いて、真っ先に思い出したのは天蓬の部屋だった。
通い慣れた回廊を悟空は全速力で走る。
勢い余ってそのまま走り去ってしまいそうになるのを、踵に力を入れて急停止した。
そのまま飛び込むように扉に突進する。
「天ちゃぁ〜んっ!!」
バンッと勢い良く開かれた扉の蝶番がギシギシと悲鳴を上げた。

はたしてソコには。
金蝉は居なかった。

代わりに返事を返すのは、悟空も見知った精悍な美丈夫。
「ん?小ザルちゃんどうした〜?」
もの凄い勢いで飛び込んできた悟空に、捲簾はまん丸く眼を見開いた。
一方部屋の主、天蓬はと言えば。
ただいま墜落睡眠の真っ最中。
ソファに転がり、捲簾の膝枕で気持ちよさげに眠っていた。
「あのね?金蝉来てない??」
「あ?金蝉?俺昼から居っけど、今日は見てねーなぁ〜」
捲簾は手にした耳かきでポリポリと頭を掻く。
「そうなんだぁ…」
またもや当てが外れて、悟空はガックリと項垂れた。
「何?金蝉のこと探してんのか?」
「うん…」
「そうだなぁ〜アイツもそうテリトリーが広い訳じゃねーから、ここじゃなきゃ観音のトコロじゃねーの?」
「お姉ちゃんトコにはいなかったの」
「へ?そうなん??」
「うん。だから天ちゃんのとこかなーと思ったんだけど…」
悟空はソファに近寄ると、その場にペタリと座り込む。
「んー?観音のトコロでも此処でもない。他にアイツが行きそうなトコロって…」
無愛想で徹底した人嫌いの金蝉。
行動範囲などたかが知れている。
それでも見つからないとなると、さすがに悟空も途方に暮れた。
「ドコ行っちゃったんだろ…金蝉」
悟空は小さく溜息を吐く。
あまりの落胆ぶりに、捲簾も真面目に考え込んだ。
「コイツがもしかしたら何か訊いてるかもしれねーけど…」
「天ちゃんが?」
捲簾は持っている耳かきで、天蓬の頬をつんつん突っつく。
「ただなぁ〜、コイツ本部に缶詰状態で3日間寝てなかったらしくってさ。今朝方戻ってきて、さっき漸く寝入ったところなんだけど…」
「天ちゃんお仕事して疲れてんだ…じゃー、いっぱい寝ないとダメだよっ!」
「…悪ぃな」
捲簾は苦笑して、悟空の頭をガシガシ撫でた。
「ケン兄ちゃん…その棒なぁに?」
見慣れないモノに悟空は首を傾げる。
棒の先にはふわふわの白い毛。
初めて見る不思議なモノを、悟空は興味津々で見上げた。
「ん?コレか。コレは耳かきっつって、耳ん中掃除するモンだ」
「耳をお掃除するの?」
悟空はピンッと耳を引っ張ってみる。
「何だ…金蝉にやって貰ったことねーの?」
「うん。初めて見た」
「ふ〜ん…コレはな。こーやって〜」
捲簾は膝の上で眠る天蓬の耳を引っ張り、手にした耳かきでゴソゴソと中を引っ掻いた。
棒の先についた垢を手の甲に乗せ、悟空へと見せる。
「これが耳のゴミ。放っておくと耳に溜まるから、こうやって掃除すんだよ」
捲簾は天蓬の耳にフッと息を吹き込んだ。
「んっ…」
もそもそと身体を動かして、天蓬は寝入ったまま捲簾の太腿に頬を擦り付ける。
そのまま動きを止めると、すぐに気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
「何か…天ちゃん気持ちよさそうだね?」
「コイツの場合は、小汚くしすぎ。そりゃ、スッキリして気分いいだろうよ」
捲簾は背凭れに肘を突くと、肩を竦めて溜息吐いた。
指先で耳かきを器用に回すと、悟空の方へと差し出す。
「ほい、コレやるよ」
「えっ!?」
捲簾は口端でニッと笑った。
「コレ金蝉に渡してさ『耳かきしてvvv』って可愛く頼んでみな」
「でも…貰っちゃっていいの?」
手渡された耳かきを、悟空はじっと見つめる。
「かまわねーよ。俺の部屋にもあるし」
「ケン兄ちゃんありがとうっ!」
悟空は嬉しそうにニッコリ頬笑んだ。
捲簾も満足そうに笑い返す。
「それにしても…その金蝉はどこほっつき歩いてんだろうなぁ?」
「あっ…そうだ」
突然ここに来た理由を思いだし、悟空はしゅんと寂しそうに俯く。
「う〜ん…」
腕を組んで捲簾が考え込んだ。
「予想だけどな…金蝉は悟空を探してるんだろ?だったら、案外悟空が遊びに行きそうな場所を探してるんじゃねーの?」
「俺が遊びに行く場所?」
「そ。いつもどこに遊びに行って何をしたかって、金蝉には話してるんだろ?」
「うん。おっきな木を見つけたから登ってみたとか…綺麗なお花畑で花摘んだとか。いつも金蝉には言ってるよ?」
「じゃぁ、その辺り探してみたらどうだ?それぐらいしかもう探すところねーだろ」
「そっかぁ…分かった!俺探してみる!!」
悟空は元気良く立ち上がると、先程ブチ破って蝶番のバカになった扉から、来た時同様もの凄い勢いで飛び出す。
後にはキィキィと軋みを上げて開けっぱなしの扉が揺れた。
「熱烈愛されてるねぇ…金蝉パパは。それにしてもどーすんだ?この扉」
この分だと、ネジを締め直したぐらいでは戻りそうもない。
「ま、応急処置だけして、修理代は保護者さんに請求書回すか」
捲簾は苦笑を漏らすと、天蓬の頭を乗せたままソファに身体を沈めて瞳を閉じた。






「金蝉…ドコ行ったんだろ」
悟空はトボトボと回廊を俯いて歩いた。
いつも遊んでいる大きな桜の木や、真っ赤で甘い実のいっぱいなっている木のある場所にもいなかった。
金蝉からあまり遠くへ出歩かないよう言われているので、悟空自体の行動範囲もそう広くはない。
遠出する時は大抵天蓬か捲簾が一緒の時ぐらいだ。
「どうしよ。他に行く所なんて…」
最後にいつも花を摘みに来る草原へと向かう。
そこにいなければ、もう悟空には金蝉を探す当てなど無かった。
言い知れぬ不安が悟空の小さな身体を走り抜ける。
何だか金蝉に永遠に会えなくなるんじゃないかという焦燥感に、心臓が押し潰されそうだった。
何かに突き動かされるように、悟空は走り出す。
観音の敷地の中で南の端。
そこには真っ白く可憐な花が咲き誇る草原が広がっていた。
純白で清楚な白い花。
そのイメージが金蝉と似ているので、悟空には一番お気に入りの場所だ。
懸命に走ると、視界に白い色が入ってくる。
穏やかな風に吹かれて、白く霞む風景が幻想的だった。
一面見渡す限りの純白に、悟空は泣きそうになる。
「ここにもいない…金蝉…っ」
涙で歪む風景をボンヤリ眺めていると、ふいに強い風が通り抜けた。

舞い上がる花弁と共に、輝く金糸が閃く。
見る見る悟空の大きな瞳から涙が零れ落ちた。
「こんぜーんっ!!」
大声で叫びながら、悟空が走り寄る。
輝きの元に辿り着くと。
悟空が探し続けたヒトが、身体を横たえていた。
「こんぜ…ん?」
慌てて側に座り込むと、胸に耳を当てる。

トクン…トクン…

規則正しい暖かい鼓動が聞こえてきた。
悟空は安堵のあまり、グッタリと力が抜けてしまう。
「よかったぁ…」
どうやら金蝉は、悟空を待ち伏せている間に寝入ってしまったようだ。
穏やかな呼吸が聞こえてくる。
「金蝉。こんぜ〜ん?」
悟空は金蝉の顔を覗き込んで呼んでみた。
余程深く眠っているのか、金蝉はピクリとも動かない。
「金蝉ってば〜もうっ!」
ポンポンと身体を叩いても、返事は返ってこなかった。
「どうしよう…」
悟空は困り果て、腕を組んで考え込む。
先程から動き回っていたせいかお腹も減ってきた。
今時分、普段なら金蝉とおやつを食べている時間だ。
「あっ!そうだ!!」
唐突に何かを思いだしたのか、悟空の顔に笑みが浮かぶ。
寝入っている金蝉の顔を覗き込むと、そのままゆっくりと顔を近づけた。

唇に柔らかく、暖かい感触。

悟空は金蝉に小さく口付けると、直ぐに離れて様子を伺う。
突然パチッと金蝉の瞳が瞬くと、もの凄い勢いで起き上がった。
そのままの勢いでグルッと悟空の方へと視線を向ける。
「あ、金蝉おはよー♪やっと起きてくれたぁ〜」
悟空は嬉しそうにニコニコと頬笑んだ。
「おい、悟空」
「なぁに?金蝉??」
「今のは…何だ?」
「今の??」
きょとんと瞳を丸くして悟空は首を傾げる。
「だからっ!今お前何したんだ!?」
「んー?金蝉探しに来たの!」
「そうじゃねーっ!!」
「えっ?ええっ??」
いきなり怒り出した金蝉に、悟空はオロオロと困惑した。
何で怒られているか分からない悟空は、涙を浮かべてグスッと鼻を啜る。
はっと我に返り、金蝉はバツ悪そうに頭を掻いた。
「いや…だから…怒ってる訳じゃねーよ」
「だって…金蝉…っ」
「あーっ!悪かった!つい驚いたせいで…」
「え?何に驚いたの??」
悟空はじっと金蝉の顔を見上げる。
見つめていると、次第に金蝉の頬が紅潮してきた。
金蝉は舌打ちすると、クルッと視線を逸らす。
悟空がもそもそとその視線の先に回り込むと、金蝉は口元を押さえて真っ赤になった。
「えと…金蝉…顔が真っ赤だよ?」
「うっせー、バカ猿っ!」
「もうっ!サルじゃないってば〜」
ぷぅっと頬を膨らまして、悟空は金蝉の胸をポカポカ叩く。
「いてーよ!ムキになって叩くな」
「あ、ごめん…」
悟空はしゅんとして項垂れた。
小さく溜息を零すと、金蝉が悟空の頭を撫でる。
その優しい掌の感触に、悟空は瞳を和ませた。
きゅっと金蝉の服の裾を小さな手で握り締める。
「なぁ…何でさっきどなったの?」
「え?ああ…あれは…」
金蝉が逡巡して口籠もった。
「さっき…お前がいきなりキスなんかするから…」
「何で?いつもしてるじゃん」
不思議そうに悟空は眼を見開く。
「いつもは…お前からなんかしねーだろ」
「…金蝉ヤだったの?」
悟空の声が不安げに震えた。
金蝉は腕を伸ばすと、悟空の身体を胸に抱き込む。
「ヤじゃねーよ。ただ…寝ている時に不意打ち喰らって驚いただけだ」
「…よかったぁ」
溜息と共に囁くと、悟空は金蝉の胸に甘えた。
「でも、何だっていきなりあんなコトしたんだ?」
「だって、天ちゃんの絵本に載ってたもん」
「はぁ?」
「前に天ちゃんに借りた本にね?眠ったまま全然起きないお姫様が、王子様にチュウされたら起きたから。金蝉も起きてくれるかなーって」
「…ま、確かに起きたけどな」
子供らしい単純な理由に、金蝉は小さく肩を落とした。
まだまだ子供の悟空に、金蝉が望むような大人の恋愛を期待するのは無理がある。

相手が欲しいから。
愛しいからいつでも触れたい。
奪いたい、与えたい。

悟空がそんな感情を自分に持つ日が来るのだろうか?
見下ろすと、腕の中で嬉しそうに悟空が見上げている。
まぁ、そんなに焦ることもないか。
ずっとこの先、悟空を手放す気はないのだから。
金蝉は口端に小さく笑みを刻んだ。
ふと、見下ろした悟空の手に何かが握られている。
「おい、その手に持ってるのは何だ?」
「あ、これね。ケン兄ちゃんに貰ったの〜♪」
「…捲簾に?」
心狭い金蝉の額に、怒りの青筋がピキッと浮かんだ。
「ねーねー、金蝉!これね耳かきって言うんだって」
「それぐらい知ってる」
憮然とした表情で金蝉が答える。
「ほんと?じゃぁ金蝉っ!これで俺に耳かきしてvvv」
「………あ?」
金蝉が返事をする前に、悟空はコロンと金蝉の太腿に頭を乗せた。
「おい、何のつもりだ?」
「だから耳かきして!ケン兄ちゃんも天ちゃんに耳かきしてたの!そしたら天ちゃんスッゴイ幸せそうで気持ちよさそうだったの!!」
「………。」
何とも言えない表情で、金蝉は渡された耳かきを持ったまま硬直する。
何時までも動かない金蝉を悟空は見上げた。
「耳かき…ダメ?俺にするのヤダ?」
「ヤな訳じゃない…ないけどな…」
金蝉は内心でオロオロ戸惑う。
他人に膝枕ももちろんなら、耳かきなど一度もしたことがなかった。
どうすればいいか分からなくて、金蝉は思いっきり焦っている。
『こんな小っちぇー耳を、硬い棒なんかでほじくって大丈夫なのか?』とか。
『間違って刺してしまったらどうしよう』等々。
無表情を装いつつ、背中には冷たい汗が滲んできていた。
「…こんぜーん」
寂しげな悟空の声に、金蝉はハッと我に返る。
『あーっ!もう俺は知らねーっっ!!』
やはり顔には出さずキレながら、金蝉は意を決して悟空の耳を摘み上げた。
「うひゃっ!くすぐって〜」
「コラッ!動くんじゃねー!危ねーだろーがっ!!」
真剣な面持ちで耳かきを掴み直すと、恐る恐る悟空の耳に挿入する。
力を入れず細心の注意を払って、内耳を耳かきの先で引っ掻いた。
「ん…」
悟空はウットリと溜息を零す。
どうやら気持ちいいらしい。
「…結構汚れてんな」
「だってぇ…耳かきなんかしたこと…ないもぉ〜ん…」
あまりの心地よさに、悟空の舌が甘えたように縺れた。
ダラリと力を抜いて懐いている悟空の姿に、金蝉が苦笑を漏らす。
慣れてくると、金蝉はしばらくそのまま耳かきに熱中した。
ふっと息を吹きかけて、耳の中を確認する。
大分綺麗になったのを見て、金蝉が満足げに頷いた。
「おい、悟空。今度は逆側だ…悟空?」
返事を返さない悟空に、金蝉は眉を顰めて顔を覗き込む。
「…寝てやがる」
相当気持ちが良かったのか、悟空は無邪気な表情ですっかり寝入っていた。
小さく規則正しい呼吸が、金蝉の脚に掛かっている。
金蝉は後ろ手に付いて上背を反らすと、小刻みに肩を震わせた。
見上げた先には、いつもと変わらない澄んだ空。
それが何故だか美しく感じる。
花の美しさも、空の雄大な広さも。
今まで見ていたはずのモノが、あらゆる色で瞳に飛び込んでくる。
悟空に教えられて、素直にソレが美しいと感じる自分。
不快でしかなかった柔らかい他人の温度が、こうまで幸せに満ち足りて感じる自分が可笑しくて。
視線を戻すと、金蝉は柔らかい大地色の髪を優しく撫でた。

「…脚が重てぇんだよ、バカ猿」

微笑みながら金蝉もゆっくり瞳を閉じる。
小さくて暖かな温度と鼓動を感じながら。