あなたへの月 〜全ての僕〜





ぱさ。

「ほい、てんぽう」
「…うにゃ?」

お使いを済ませた猫の目の前に、綺麗にラッピングされた小さな袋が置かれた。
いつも買った物はこんな凝った袋に入れて貰ったことなどない。
スーパーやコンビニでよく見る普通のポリ袋へ、買った物を入れて渡されていたはず。
猫は可愛らしいリボンの付けられたその袋をまじまじと見つめた。

…一体何でしょうか、コレ?
僕こんなの買ってませんよねぇ??

そっと前足を伸ばして触ってみる。
そんなに重さのある物では無さそうだ。
不審気に袋を触ったり押したりしている猫を眺めて、悟浄はおかしそうに喉を鳴らす。
「そーんな変なモンじゃねーよ。ほら、今日ヴァレンタインだろ?本日お買い上げのお客様にささやかなプレゼントを配ってんのー」
「にゃぁっ!」

あぁ…そっか。
今日は14日でしたねぇ。
そういうことでしたら頂いちゃいましょうv

「まぁ、中身はニャンコ鈴にキャットニップのポプリなんだけどさ。八戒が日頃のご愛顧に感謝して、だって」
「うにゃ〜ん」
「いやいや。どういたしまして〜」
猫が律儀に頭を下げるので、悟浄もペコリと頭を下げた。
買った物と一緒に悟浄がまとめて愛用の風呂敷バッグへ詰めてくれるのを眺めながら、猫は真剣な顔で何やら思案し始める。

お菓子屋さんの前とか通れば気付いたんでしょうけど。
僕としたことが失念してました。
折角のヴァレンタインなのに、捲簾へ何も用意してませんよっ!
うわーんっ!僕のバカバカーッッ!!
多分きっと…捲簾は何か準備してますよね?
僕が今猫になってるから関係ないとか考えるような人じゃないし。
もっと早く気付いてれば…ネットでプレゼントとかチョコも注文できたのに〜っっ!
もうもうっ!何で悟浄もっと早く教えてくれなかったんですかっ!

ちょっと八つ当たり気味に猫が悟浄の腕をビシバシ猫パンチする。
「イテッ!何だよいきなり…ちゃんとバッグに入れたって」
「にゃにゃっ!」
「ん?違うの?んじゃ何なの??」
「うにゃー…」
振り回していた前足をタシッと落とし、猫は力なく項垂れた。
その哀愁漂う小さな姿に、悟浄は首を傾げる。
何でいきなり猫が落ち込むのか、さっぱり理由が分からない。
「てんぽう、どしたー?」
「にゃ…」
悟浄が半身をかがめて顔を覗き込むと、猫は力なく返事をした。
チラリと上げた視線はじっと一点へ注がれている。
「んー?アッチに何かあんのか…何もねぇじゃん」
「うにゃにゃっ!」
悟浄の振り返った先へ向かって猫がビシッと前足を突きつけた。

そこにあるのは、先日八戒が作ったヴァレンタイン用のディスプレイだ。
ハート型の小さな風船と赤やピンクの可愛らしいフラワーアレンジが飾ってある。
悟浄は猫へ視線を戻し、それからまたヴァレンタインディスプレイへ視線を向けた。
腕を組んでちょっと考える。

「あぁっ!捲簾にヴァレンタインのプレゼントかっ!」
「にゃっ!」
「そっかそっかぁ…でも用意し忘れてたんだな?」
「………にゃ」

ガックリ肩を落として俯く猫に、悟浄は苦笑いを浮かべた。
いくらてんぽうがちょっと(?)普通の猫とは違うと言っても、現実問題としてそう簡単にプレゼントを買いに行ける訳がない。
自分や八戒はすっかり慣らされ『てんぽうはそんなモンか』と今更気にしないが、世間一般の認識はあくまでも『猫』だ。
普通に考えて猫が買い物へ行くなど、ましてや人の言葉を正しく理解してなおかつ文字を操れるなんて誰も信じないだろう。
それを猫は分かっているから、こんなに打ち拉がれてるに違いない。

折角のヴァレンタインに、大切で大好きな飼い主へ何かプレゼントを贈りたかったはず。

寂しそうにディスプレイを見つめる猫を眺めつつ、悟浄は考えを巡らせた。
自分がてんぽうの替わりに何か用意しても意味がない。
モノじゃなくても、何か…てんぽうの健気な気持ちが伝わればいいはず。

何かねーかなぁ。

考えても考えても名案は浮かばない。
「あーっ!分っかんねぇっ!ヴァレンタインなんか貰うばっかで、あげたことなんかねーしっ!」
「うにゃ?」
「ん?あぁ、八戒?アイツはいーの。勝手に盛り上がって勝手にプレゼントくれて勝手にホワイトデーで俺に倍返しさせるから」
「にゃぅ〜?」
「そう…去年はエライ目に遭わされたさ…はははは」
ちょっと涙ぐんで遠くを見つめる悟浄へ、猫はポンポン叩いて慰めた。
猫に同情された悟浄は我に返って頬を赤らめる。
「俺はいーのっ!てんぽうだろっ!捲簾ってさ〜ヴァレンタインとかイベントに拘る方なの?」
「にゃ〜」
「そっか…結構意外かも。あんだけ激烈男前だと女共の殺気凄そうだから、返ってそういうの面倒臭がりそうなんだけどなぁ」

そんなもの本命相手なら話は別でしょうっ!
捲簾はヴァレンタインは勿論、ホワイトデーもクリスマスもお互いの誕生日も始めて僕達がお付き合いした日だって全部憶えていて特別のお祝いしてくれるんですっ!
あぁ…それなのに…僕は…僕はっっ!!

またしても色々思い出して暗く黄昏れる猫を見下ろし、悟浄はバツ悪そうに髪を掻き上げた。
何か名案がないだろうか。
こんなに真剣に悩んでいる猫を助けてあげたいのは山々だが。

「悟浄…2時に予約のお客さんまだ見えてません?」

トリマー室から顔を出した八戒に、悟浄と猫が視線を向けた。
「あ、悪ぃ。急用が入ったからキャンセルしたいって電話あったんだ」
「何だ…そうでしたか。それじゃ次の予約まで時間空いちゃいましたねぇ」
仕方なさそうに笑い、八戒が扉を開けて店内へ入って来ると、仄かにだが甘い匂いが漂ってくる。
それはこの時期良く嗅ぐ香りで。

「あぁっ!そっか〜その手があったっっ!!」
「うにゃっ!?」
「ど…どうしたんですか?いきなり叫んだりして??」
「八戒に頼みがあるんだっ!」
「え?」

きょとんと瞠目する八戒の目の前へ、悟浄は猫を机から抱え上げて差し出した。
猫の方も唐突な悟浄の行為に呆然とする。
「時間空いたんだろ?てんぽうに今日の特別メニューコースやってあげてくんねー?」
「はい?」
「カットじゃなくって、マッサージの…ほらっ!何だっけ?何か匂い使った…アレだよっ!」
「あぁ…アロママッサージですか」
「そうっ!ソレ!」
「別にいいですよ…でもてんぽうクンの方はそういう匂い大丈夫ですかね?いちおうペット用に薄めて香りを弱くはしてますけど」
「うにゃん?」
分からないうちにどんどん話を進められ、猫は八戒と悟浄を交互に見つめた。

一体僕は何をされるんでしょうか?

悟浄にぶら下げられたまま硬直している猫を見下ろし、八戒がクスクス笑う。
「もう…ちゃんと説明しないと。ウチってワンちゃんのカットの他に、ハーブとか使ったマッサージもやってるんですよ。それで今日はヴァレンタインなので、希望するお客様に特別コースで少し甘めのチョコレートの香りを使ったマッサージしてるんです」
「うにゃっ!?」
「だからさ…チョコが買えねーなら、てんぽうがチョコになればいいんじゃないかなーってさ」
「…あっ!捲簾さんにヴァレンタインのプレゼントってコトですか?へぇ〜てんぽうクン健気ですねぇ。そういうことなら勿論イイですよ」
「にゃあぁぁ…vvv」
悟浄の提案に、猫は瞳を輝かせて尻尾をブンブン振りたくった。
八戒と悟浄二人の心遣いが相当嬉しいらしい。
「それじゃ、てんぽうクン。あっちのお部屋に行きましょうか」
「にゃっ!にゃにゃんっ!」
猫は何度も何度も小さな頭を下げて二人へお礼した。
悟浄から猫を受け取って、八戒がトリマー室へ戻ろうとする。
「あ、八戒!俺のバイト代から…」
八戒は悟浄の言葉を遮って笑いながら首を振った。
自分が頼んだから、代金分をバイト代から差し引いてくれと言おうとしたのだが。
「今回は悟浄の『お友達』サービスですからね」
「………さんきゅ」
照れ臭そうにそっぽを向いて感謝する悟浄にニッコリ微笑むと、八戒は猫を連れてトリマー室へ入っていった。






今夜は月が綺麗な夜です。

「捲簾っ!けーんーれーんーっっ!!」
「もうちょっとだから大人しく待ってろ」
猫から人間へ姿を変えた天蓬が、先程からソワソワと捲簾の周りをウロウロしていた。
キッチンで夕ご飯の用意をしている捲簾は、妙に落ち着かない様子の天蓬に首を捻る。
仕事を終えてマンションに帰ってきてからずっとこの調子だ。
いや、正確にはペットショップから戻ってきてから、猫の時もそして今も捲簾にまとわりついている。
甘えてくること自体は別にいつものことだが、やたらと何やら物言いたげな視線をずっと向けてくるのが気になった。
かと言って捲簾に何かを強請ってくることもない。
とりあえず構って欲しがってるようなので、捲簾は夕飯の準備をいつも以上に手早く済ませた。
料理の皿を並べ終えると、チラッと冷蔵庫へ視線を向ける。

ヴァレンタイン用の手作りチョコはデザートの時にでも渡せばいっか。

捲簾はコッソリ笑みを浮かべた。
昼間『猫のてんぽう』がペットショップへ出かけてる間に、捲簾は事務所の近所にある金蝉の所のキッチンを借りて、天蓬に内緒でトリュフチョコを作っておいたのだ。

『天蓬』はまだ病院で眠っているけど。
それでも俺の天蓬は今ココに居るから。

捲簾はいつもと変わりなく、天蓬と二人でヴァレンタインらしく過ごしたかった。

「天蓬ぉ〜飯出来たぞ〜」
「あのっ!その前にっ!捲簾ちょっと…」
「あ?何だよ?飯冷めちまうじゃん」
「ちょっとだけですから、ね?」
リビングに正座して興奮気味にバタバタ腕を振り回しながら手招く天蓬に、訳も分からず捲簾が首を傾げる。
何だかあまりに必死な様子に、捲簾は肩を竦めて仕方なさそうに天蓬へ近寄った。
「何?どーしたんだよ??」
「ここっ!ここにちょっと座って下さいっ!」
「座ればいーのか?」
パンパンフローリングを叩く天蓬に言われるまま、捲簾は素直に腰を下ろす。

すると。

「…天蓬?」
いきなり抱き締められて、捲簾が目を丸くした。
首筋に擦り寄ってくる天蓬の頭を撫でて、くすぐったそうに喉を鳴らす。
「なーに甘えちゃってんだよ?何かあったのか?」
「…気付きません?」
「え?何を?」
「僕の…匂い」
「匂い?」
捲簾は少し考えてから、天蓬の髪へ顔を寄せた。
いつも使ってるシャンプーとは違う、僅かに甘い…でもよく知った匂いが鼻をくすぐる。

「あれ?チョコの匂いがする…何で?」

天蓬の髪や首筋、全身からほんのり甘いチョコの香りが匂ってくる。
「今日は…ヴァレンタインでしょ?だから…コレが僕から捲簾へのプレゼントです」
「え?」
「僕が…『全部の僕』を捲簾へ捧げます」
「てんぽ…ぉ?」
「まだ病院で眠ってる『僕』も、猫の姿をしている『僕』も、そして今こうして貴方の目の前にいる僕も…全て捲簾のために居ますから」
「あ…っ」
「勿論、貰ってくれますよね?」
天蓬が綺麗に微笑みながら捲簾の指先へ恭しく口付けた。

どれが本当の『天蓬』じゃない。
どの『天蓬』も全部自分だけのモノだ。

捲簾はキツく天蓬を抱き竦める。

「んなの…今更なんだよ。バァカ」
「あ、ヒドイですねぇ」
「お前は前も今も…これからも。ずっとずっと俺だけのモンなのっ!」
「それはそうなんですけどー」
「でも…お前の気持ちに免じて、『何度でも』有り難く貰ってやるよ」
「…嬉しいです」
視線を合わせて見つめ合うと、自然に唇が触れ合った。
何度も何度も口づけを贈って受け取って、次第に甘く濃密に混ざり合う。
思う存分望むだけ互いに貪り合い、淫靡な熱が燻る前に唇を解いた。

まだ、夜はこれからだ。

「でもさ…コレってお前の知恵じゃねーだろ?悟浄か八戒辺り?」
「えっ!と…違いますよっ!僕が考えたんですっ!」
「ふーん?」
「あ…ちょっと…まぁ、ちょこーっとだけですがっ!二人に協力して頂きましたけどね?」

しどろもどろに言い訳する天蓬に、捲簾は口端を上げる。
「まぁ、お前がヴァレンタイン憶えてただけヨシとすっか」
「勿論憶えてましたよっ!ええ、当たり前じゃないですかっ!!」
必要以上に力説する天蓬に、やれやれと首を竦めて捲簾が立ち上がった。
天蓬も捲簾の腰へ抱きついて付いていく。
「とりあえず飯食おうぜ?その後…オプション付きで俺もチョコやるよ」
「オプションッッ!?」
真っ赤な顔で興奮する天蓬に、捲簾は今度こそ楽しそうに笑った。



Back