Valhalla Egg




それは異様な光景だった。

討伐任務も待機命令もない、ほのぼのとした天界の午前中。
何ら変わりないいつも通り執務時間、のはずが。
明らかに昨日とは一変していた。

〜〜〜♪

どういう訳か執務棟全域に心が洗われるような美しい音楽が放送されている。
「何だろうな?コレ??」
「誰が流してんだ??」
就業時間に執務棟を訪れた部下達は一様に顔を見合わせて首を捻った。
派手さもなく穏やかな心地よい音色が、静かに環境に馴染んで流れている。
棟内全域に渡って流されているその音楽は当然最高司令官の耳にも入っていた。
司令官室の中にも極々静かに、その音色は空間に溶け込んでいる。
不思議と心落ち着く雰囲気を醸し出していた。

「一体誰がこんなモノを流しているんだ?」

敖潤は秘書官達に問い質すが、誰も何も知らないようで首を傾げる。
「音を消して参りましょうか?」
気を利かせた秘書官の一人が上官を伺うと、敖潤は軽く手を振った。
「これぐらいならかまわん。仕事に支障を来すとは思えんしな。誰が何の思惑があってこんな真似をしたのか分からない…が?」
そこまで言うと、敖潤の眉が僅かに顰められる。

誰が何の為に?

思案しようとした途端に敖潤は気付いてしまった。
深々と仕方なさそうに溜息を零し、自分の席へと腰掛ける。
「…今日、天蓬元帥と捲簾大将はどうしてる?」
「は、捲簾大将と天蓬元帥でしたら先程執務室へ向かわれているのをお見かけしました…こちらへお呼び致しましょうか?」
「いや…いい。執務中ならかまわん」
敖潤はぞんざいに手を振って秘書官を退かせた。
たかが音楽。
どうってことはない。
今のところはどうっていうことはない、が。
「あの二人…何も起こさなければよいが」
平素から突拍子もない騒動を巻き起こす二人の部下を憂い、敖潤は僅かに眉間を寄せた。

その頃、心配の種になっている二人と言えば。

「おはよーござい…ま…す?」

仕事のために執務室へやってきた部下達は、一様に挨拶の言葉を詰まらせた。
室内を注視して、目をまん丸く見開く。
「はよーっす」
「おはようございます〜」
部下達の挨拶に先に来ていた上司二人が挨拶を返した。
しかし、その姿は確認できない。
天蓬元帥だけならともかく、何故か捲簾大将までもが机に大量の本を山積みにしていた。
忙しなくページをめくる音と二人の唸り声が本の山の向こうから聞こえてくる。

「うぅ〜ん?胎教音楽だけじゃなくって優しく話しかけたりするのもいーらしいぞ?」
「この鳥は日差しが暖かい日中は自分の身体で暖めずにわざとタマゴを太陽光に当てて温度を上げるらしいですよ〜」
「寝るときもやっぱ抱えた方がいいんだろーなぁ。どんな格好がいいんだ?」
「この虫は葉っぱで揺りかご作るんですって〜」
「俺は虫なんか産んだ覚えはねぇっ!」
「勿論例えばですよ〜。有袋類はタマゴじゃないですし…でも状況から言ったらやっぱり一番無難ですかね?」
「だよな?様子が見やすいし。でもよ〜温度は一定じゃねーとマズイんだろ?」
「そうですねぇ…やはり個体の種類によって孵化に必要な温度って差がありますよ。この子の中身が分からない訳ですし」
「うぅ〜ん…俺らと同じじゃダメかね?」
「ちょっと低すぎると思いますよ」
「殻がプニプニしてるから熱伝導は良さそうだけど〜」
「まぁいくら本を読んで悩んだところで前例がありませんからねぇ」
「だよなぁ…」

天蓬と捲簾はそろって溜息を漏らした。
聞いている部下達は何が何だかさっぱり分からない。
一体自分たちの上司はさっきから何を悩んでいるのか。
「あのー?元帥に大将?」
「あ、俺らちょい忙しいから適当に仕事始めちゃって」
「こちらで処理する書類があれば後で回して下さい」
「承知しました…けど。一体お二方何をお調べになってるんですか?」
部下達が二人の机へと近づいて、山積みされている本のタイトルへ視線を走らせた。
積み重なっている本はどれもこれもジャンルが統一されているが、それぞれが微妙に異なる。
「元帥が『動物の生態』に『昆虫の世界』…それに『ペットの育て方』と。何か飼われるんですか?」
「大将…何で『初めての出産・育児』とか『初心者ママの本』とか育児本なんか読んでるんですか?まさかっ!とうとうっ!?」
「どこぞの女官でも孕ませちゃったんですかっ!?」
「大将もいよいよ年貢の納め時…なんですねぇ」
「バァ〜カ。孕ませられちゃったのは俺の方だっての!」
「はぁ??」
部下が声を裏返らせて驚くと、捲簾がスクッと立ち上がった。
そのあり得ない上司の姿に部下達は仰天する。
「たっ…たたたたたた大将っ!?」
「そのお腹どーしちゃったんですかっ!?」
「え?ええっ!?大将が妊娠っ??」
部下達が驚くのも無理はなかった。
引き締まったスレンダーな捲簾の身体は、どういう訳かお腹がポッコリと膨らんでいる。
いつもは窮屈なのが気に入らないとばかりに全開されている軍服の前は襟元まできっちり閉じられ、余計に腹部の膨らみが強調されていた。
いくら暴飲暴食をしたからって、たかが数日でこんなに腹は膨らまないだろう。
ましてや日々身体を動かし鍛えている捲簾に限って、身体のラインが崩れるまで何もしないで放置しないはず。

と、なれば。
自分たちの知識で考えつく原因と言えば、見たそのままの状況で。

部下達が捲簾の腹部を呆然と眺めていると、突然天蓬が大声で笑った。
「あっはっはっ!ヤですね〜違いますよ〜」
「ま、妊娠じゃねーわな」
「え?だって…じゃぁそのお腹は??」
「捲簾のコレは妊娠じゃないです」
「そ。もう出産しちまったし」
「しゅっさあああーーーんっっ!?」
「見る?」
そう言うと捲簾は襟元まで止めていた軍服を寛げて開く。
「???」
覗き込んだ部下達は同時に顔を顰めた。
意味が分からない。

「大将…何っすか?その袋…バッグ??」

捲簾の首からはふわふわなフェルトのような生地で作られたショルダーバッグがぶら下がっていた。
そしてそのバッグは膨らんで明らかに何かが入っている。
「だから、コレ」
捲簾はそっと袋の口を開いて見せた。
部下達が身を乗り出して袋の中を覗き込めば。

「……………タマゴ?」

コロンとしたつやつやなタマゴが一つだけ入っている。
しかも結構大きい。

「何でタマゴなんか入れてるんですか?」
「俺が産んだから」
「いやぁ〜捲簾は頑張りましたよvvv」
「はああぁぁいいいぃぃ〜??」

部下達は一斉に天蓬を見て捲簾を見て、そしてまじまじとタマゴを見つめた。
いったい何で上司がこんなタマゴを産む羽目になったのか。
「あ…まさか」
一人の部下が何かを思い出したらしい。
困惑した視線を上司達へ向ける。
「もしかして…先日の…妖獣の毒が原因ですか?」
「多分、な」
「それ…サンプル解析したヤツらが騒いでたあのホルモンバランスとかを狂わせる毒ですか!?」
「原因がソレしか考えられませんからね〜。何せ僕も捲簾もたーっぷりとケロッピ毒を被っちゃいましたから」
その時の状況を思い出して捲簾が思いっきり眉間へ皺を寄せた。
「僕は雄の。捲簾は雌の毒を浴びてしまって、帰還してからすぐに検査受けたんですけどね。結果を待たずして出ちゃいました。ってことです」
天蓬がニコニコしながら捲簾のぶら下げている袋を撫でる。
「じゃぁ、そのタマゴを大将が産んで?」
「当然現状から間違いなく父親は僕です〜」
「大将と元帥のタマゴ…」
部下達が信じられない思いで一斉に視線をタマゴへ向ける。

ぽわわわ〜ん。

「…何か色が変わりましたが?」
「うっすらピンク?」
「ダメですよっ!そんな皆さんで見ちゃうとこの子照れちゃいますからね〜♪」
「え?このタマゴ外のこと…見えてるんですかっ!?」
「んー?どうだろうなぁ?いちおう殻に入ってるから見えてるんじゃなくって、気配とか音とかを感じてるみてーよ?」
「そういうのは動物でもヒトでも同じでしょう?」
「へぇー…じゃぁ感情があるんですね?」
「そうらしいです。褒められたり楽しかったり嬉しかったりすると、こんな風に可愛いらしいピンク色になるんです」
「え?じゃぁ他の色にも変わるんですか?」
「昨夜ちょっとコイツと口論になったら、みるみるブルーに変わっちまって焦った」
捲簾が困ったように苦笑すると、部下達が口々に感嘆した。
かなり不思議なタマゴに間違いない。
「何か凄いですねー」
「どんな子が出てきますかね?」
「元帥と大将の子供ならすっげ〜頭が良くて美人ですよねっ!」
「とーぜん」
「僕は捲簾似の子がいいなぁ…捲簾に似てるなら男の子でも女の子でも絶対可愛いですよっ!」
「えー?俺はお前に似た美人さんがいーなぁ〜」
「そんなぁ〜捲簾にそっくりなラブリーな子が良いですって!」
「いやいや、お前そっくりなら将来有望っ!傾城の美姫になるって!」
「捲簾似の子がいーですっ!」
「天蓬にそっくりな子がいーのっ!」
「ヤですよ、僕みたいな子なんてっ!」
「俺は天蓬似の子が欲しいんだよっ!」
言い合っているうちにエキサイトした二人は、互いに睨み合って譲らない。
すると。

しゅうううぅぅー…。

「げっ…元帥っ!」
「大将っ!タマゴ!タマゴがっ!?」
「ああっ!一気にブルーへ変わっちゃってっ!?」
「ヤベ…えーっと…俺はお前との子だったらどっちでもいーかなぁ〜」
「そ、そうですよっ!僕らの子供ならどちらに似ても間違いなく可愛いですしっ!」
焦って二人はタマゴを撫でながら前言撤回する。

「あ…白くなった」

落ち着いたのか、タマゴは不安の色から元の色へ戻った。
天蓬と捲簾は小さく安堵の溜息を零す。
捲簾はタマゴを冷やしたらマズイと思い、また懐の中へ戻して軍服を正した。
「何か…今から子育てしてる気分ですね、元帥も大将も」
「ま、産んじゃったからな。俺らの子に間違いはねーから、きっちり責任持って育てねーとさ」
そう言って微笑む捲簾は何だか母性に満ち溢れ、部下達はちょっと頬を引き攣らす。
しかし。
「元帥!大将っ!俺らも出来ることなら協力しますからっ!」
「タマゴの子育てはよく分かりませんけど、何でも言って頂ければ力になりますからっ!」
部下達は顔を見合わせ力強く頷いた。
尊敬する上司達の子供なら、例えタマゴから産まれようと大事にしなければならない。
「お前ら…」
「その時はお願いしますね?」
「御意っ!」
前代未聞、未知なるタマゴの子育てに西方軍は一致団結した。




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