I will be with you


はらはらと風に舞う桜吹雪。
まるで散り急ぐように、絶望の楽園に降り注ぐ。
空に、大地に。
そして、消え逝く身体に。



「は…っ…はぁっ…」
呼吸を荒く乱して、捲簾が桜の元に現れた。
傾く身体を引きずりながら、桜の幹に身体を預ける。
空気が抜けるようにヒューヒューと喉が鳴っていた。
どうやら肺をやられたらしい。
押さえ込んでいる鳩尾辺りも赤黒く濡れていた。
足元からはポタポタと命の流れる音が聞こえてくる。

もう。
あんまり持たねぇなぁ…。

幹に凭れ掛けていた背中が、脱力して崩れ落ちた。
霞む視線を天に向ければ、薄紅色の嵐。
消え逝く魂を送るように舞い荒れていた。
震える指先を開くと、花びらが吸い寄せられてくる。
真っ赤に濡れる掌を見つめて、捲簾が口端を綻ばせた。

もう充分だ。
残していく小さな無垢の魂は気になるけど。
きっと大丈夫。
アイツがどんなことをしてでも守り抜くだろうから。
だから、俺は笑って逝ける。
神に背く大罪人として。
「ざまぁみろ」って大口叩いて、ケツまくってやるさ。

捲簾が身体を丸めて大きく咳き込む。
赤黒い血が派手に口から吐き出された。
頭を上向けて空を見上げる。
身体から熱が奪われていくのを感じた。
刀剣で切り付けられ貫かれた傷口からは血が溢れ、漆黒の軍服を濡らしていく。
最期に花に看取られ、一人で逝くなんて。
自分らしすぎて笑いが込み上げてきた。
「これで酒と美人が揃えば…最高なんだけどなぁ…」
呟く声からも力が奪われていく。

早く。
早く側に来い。
もうすぐ、逝かなきゃならないから。
俺の最期の願いを叶えるために。

近くから降りしきる桜を踏みしめる音がした。
ふいに感じた気配に、捲簾はゆっくりと顔を向ける。

「随分とやられちゃいましたねぇ…」

静かな声が頭上から聞こえてきた。
捲簾の傍らに天蓬がしゃがみ込む。
いつもと変わらない、秀麗な微笑み。
よれよれの汚れた白衣に便所ゲタ。
形のいい白い指先が、血に汚れた捲簾の口元を辿っていく。
「てん…ぽ…」
捲簾の頬に淡い笑みが浮かんだ。
「ぐっ…う…ゲホッ…」
肺に入った血が逆流する。
身体を屈めて捲簾が咳き込んだ。

ただ、静かに。
天蓬は捲簾をじっと見つめている。
どんなことでも。
捲簾の全てを最期まで見逃すことが無いように。
瞬きもせずに。

「血が…止りませんね」
「あぁ。も…長く…ね…なぁ」
「そうですね…これで僕も安心して無茶ができます」
「てめぇは…いつも…だろ…バァカ」
「貴方ほどじゃないでしょう」
天蓬が、さも心外だと言わんばかりに肩を竦めた。
「俺より直情型が…何言って…やがる…っ」
捲簾が毒づくと、目の前にすっと何かが差し出される。
「貴方が飲みたいと思いまして…」
酒瓶を掲げて天蓬が微笑んだ。
「へぇ…気が利くじゃん」
つられるように捲簾も口端に笑みを刻む。
「美しい花に酒があればいい…貴方の口癖でしょう?」
「それと、美人な…」
「僕では役不足ですか?」
「…充分すぎ」
手にした湯飲みに天蓬が酒を注いだ。
ふわっとした酒気が鼻腔を擽る。
「へぇ…随分イイ酒…奮発した…な」
「貴方と飲もうと思って…置いてあったのを思い出したんですよ」
「…もっと早く…思い出せよ」
減らず口を叩く捲簾の腕を、天蓬がそっと掴んだ。
すでに感覚が無いのか、腕はピクリとも動かない。
天蓬は酒を口に含むと、捲簾へと近づいた。
「っん…ぅ…」
上向いた頭を引き寄せ、天蓬が口付ける。
口移しで注がれる液体が喉を焼いた。
「…鉄の味しかしねぇ」
捲簾が嫌そうに眉を顰める。
「こんな上等な酒が味わえないなんて、残念で仕方ないでしょう?」
「うっせ…もっと…寄越せ…っ」
苦しげに呼吸を乱して捲簾が吐き捨てた。
もう一度口に酒を含んで、天蓬が捲簾の唇を塞ぐ。
口腔から身体に染み渡る馴染んだ熱。
捲簾の喉が小さく鳴った。
飲み下して息吐く間もなく、天蓬の舌が口蓋を舐め上げる。
「んっ…ふ…ぁ…っ」
誘うように触れてくる舌に、捲簾は夢中になって絡ませた。
引き寄せ、吸い上げ、舐り合って。
より深く、もっと深く。
何度も角度を変えながら、互いの口腔を貪り尽くす。
飲み下しきれない互いの唾液が混じり合って、捲簾の口端から漏れ零れた。
「う…げほっ…」
捲簾が大きく咳き込むのにつられて、天蓬が漸く唇を外す。
ドロッとした血の塊を捲簾が吐き出した。
天蓬は唇に着いた捲簾の血を、舌先で舐め取る。
「…酒が消毒になったでしょう?」
「メッチャクチャ…滲みたっつーの」
頭を幹に預けて捲簾が苦笑した。

もう、そろそろかな。
結構退屈しねぇ一生だったよ。
思い残すことは無い、何て全然思えねーけど…仕方ない。
俺は少し先に行ってるから。
次に産まれる時は、もうちょっと静かな生活を…って、ぜってぇムリだな。

周囲の喧噪からそう遠くは離れていないのに。
ここは静かで。
風と桜が舞狂う音しか聞こえない。

「おい…てんぽ…う…っ」
「何ですか?捲簾」
傍らに膝を着いたまま、天蓬が静かに答えた。
「お前…は…ちょっとばかし…来るの遅くて…いいぞ…」
「さぁ、どうでしょうかねぇ」
「お前が来ない間…に…俺は思う存分っ…酒池肉林満喫すんだ…から…」
「本当に貴方は…いつまで経っても懲りないですねぇ。見つけたらお仕置きですよ」
「ふ…てめぇに見つけられ…かよっ」
「…見つけてみせますよ」
掠れた声音に、捲簾が瞳を上げる。
天蓬は不敵に微笑んでいた。
瞳に狂気の孕んだ淫猥な光を静かに湛えている。
捲簾の背筋にゾクリと震えが駆け上がった。

この瞳に犯されながら死ねたら、どんなにいいだろう。

「ち…お前来るの…遅ぇ…よ」
「貴方がチョロチョロ動き回ってるからでしょう?僕だって天帝の見張りを撒くのに結構苦労したんですからね」
「ったく…俺の夢は腹上死だ…っつの」
「僕は全然構いませんけど?」
「俺が…も…ムリなんだよっ…この変態絶倫ヤロー」
「本当に最期まで失礼ですねぇ」
天蓬は可笑しげに笑いながら、捲簾の首に掌で触れた。

随分と…熱が失われている。

確実に弱くなる命の輝きに、天蓬は眉を顰めた。
「俺…も…逝く…から…っ」
「…ええ」
「俺がいないから…て…部屋…本で籠城すんなよ…」
「どうでしょうかね?」
「ちゃんと…寝て…メシ食って…風呂も自分で…入れよ…な」
「そんなに心配なら、さっさと生まれ変わって僕を見つけることですね」
「探すのは…てめぇの方…だ…バァカ」
小さく肩を震わせ、捲簾が笑う。
震える手を腰元に差し込んでから、天蓬に向かってその手を差し出した。
手の中には黒い鞘の短刀が。
「コレ…で…お前が…終わらせろ」
「けんれ…ん…っ」
天蓬の瞳が驚愕で見開かれる。
「お前の手で…送って…くれよ」
「捲簾…どうしてっ!」
悲痛な叫びが風に掻き消された。
捲簾はただ、静かに微笑む。
「俺は…あんなクソッタレ共にヤラれっぱなしで…逝くなんて…真っ平なんだ…っ…それに」
短刀を握った拳が、天蓬の胸元に突き付けられた。
「それに…これは…お前に…お前の魂に刻みつける大罪…俺をその手で殺す…お前も死んでから…意地でも俺を捜しだして…土下座しやがれ…っ」
「捲簾…貴方ってヒトはっ!」
天蓬は短刀ごと、強く捲簾の身体を掻き抱く。
捲簾の全てをこの腕に、身体に、記憶するように。
強く、抱き締めた。

「捲簾…っ!!」

ずっしりと掌に重い、肉の感触。
輝く刃が、捲簾の腹部に吸い込まれた。
飛び散る鮮血が桜と共に風で舞い上がる。

「…じゃぁな」

突然吹き荒れる桜吹雪に捲簾の魂が攫われて逝く。
たった今まで、腕の中にあった存在。
跡形もなく消え失せた腕の中を、天蓬はただ呆然と見つめる。

「捲簾…」

あんなに激しい突風が、嘘のように治まった。
後は、静かに桜が降り注いでいる。
残された天蓬の身体に、何事もなかったかのように。
転がる短刀を拾い上げ、鞘に収めた。
血に汚れる凶器を強く握り締める。
天蓬は立ち上がって、天上をゆっくりと見上げた。
「…もう、貴方はいないんですねぇ」
鮮やかな笑みを浮かべる。

貴方は人一倍寂しがり屋だから、どうせ我慢出来ないでしょう?
きっとすぐに僕に逢いたくなる。
僕は貴方を殺めた大罪を、貴方にもう一度出逢うことで昇華できる。

「そんなに僕を愛していたなんて、知りませんでしたよ」

そうまでして来世を望むほどに。
約束、なんて不確かなモノでなく。

「まぁ、貴方が先に逝ってくれたおかげで、僕も安心して追いかけられますね。浮気性の貴方を残してなんて、ムカついて死ぬに死に切れませんから」
天蓬は溜息混じりに笑いを漏らした。
先程よりも喧噪が大きくなっている。
「さて。天才軍師、最期の戦略をご披露しましょうか」
一度だけ空を見上げ、天蓬は振り返りもせずにその場を去っていった。

輪廻の予定調和は、500年後にもう一度重なる。