St.Valentine's princess



ガンガンガンガン☆
チュイ〜ンチュチュチュイ〜ン!

職務をしているはずの午前中。
西方軍執務棟に平素ではありえない喧しい音が響いていた。
回廊を通る者はまず不思議そうに首を傾げ。
音の根源を発見してしまうと、慌てて視線を逸らして見て見ぬ振りで通り過ぎていった。
それは部下達のみならず、上官である司令官も同様。

…何だか分からないが、巻き込まれたくない。

ゾクゾクッと背筋を駆け抜ける悪寒と、胸中に湧き上がる底知れぬ不安感。
視界の先にある不気味な光景に誰もが無言で顔を引き攣らせたり、声を掛けようとした体勢のまま金縛りにあったり。
見るからに異様な雰囲気を醸し出していた。
あっという間にその噂は西方軍内に知れ渡ることになる。
誰もが気になっているが言い出せない言葉。

大将!今度は何をする気なんですかーっっ!!

東方軍から左遷…じゃなくって移動してきてすっかり慣れ親しんだ自軍の大将は、軍の執務棟玄関を占拠して何故か日曜大工に勤しんでいた。






下界の季節はすっかり冬。
寒さ厳しいこの時期、そんな寒波も吹き飛ばす熱いイベントが近付いていた。
元々は下界を行き来することの多い軍関係者の口コミによって、今では天界でも圧倒的に認知されているお祭りだ。

聖ヴァレンタインデー。

貞淑な女性が心に秘めていた愛を、慕っている男性へチョコレートと一緒に熱い想いを伝えるとされる日。
若干美しく脚色されているが、大筋で間違ってはいない。
たまたま地上へ兵士が出征していた時期が冬のヴァレンタインデー時期だったのか。
瞬く間に軍関係者の間で噂は広がり、その近親者の口から天界中へと瞬く間に浸透していった。
風雅で美麗な趣を好む天界人には、ヴァレンタインの風習は違和感なく受け容れられる。
自らの愛を恋い慕う相手に捧げる日と言うことで、色恋が盛んな天界人も俄然気合いが入った。
すっかり天界での暦として定着して早数年。
そのヴァレンタインデーが来週に迫っていた。
天界中が色めき立っているそんな頃。
ココにもヴァレンタインデーに想いを馳せて、ソワソワウキウキしている者が居た。

「んもぉぅっ!どぉ〜しよっかな〜vvv」

最重要機密地帯言わんばかりに頑丈な錠前で隔離されている自室のベッドで、愛用の黒ウサ白ウサを抱き締めバタバタ悶えている人物。

西方軍の捲簾大将だ。
精悍な美貌を誇る男前は頬をうっすら薔薇色に染めて、ベッドの上を右に左にゴロンゴロン転がっていた。
「ヴァレンタイン来週だし〜っ!ふ…ふふふふvvv」
嬉しそうに含み笑いを零すと、ベッド脇に堆く積み上げられた雑誌をウットリ見つめる。
それは全てチョコレート菓子の本だ。
来るべきこの日のために任務で下界へ下りる度、コツコツと買い揃えてきたモノだ。
その数はざっと100冊は超える。

捲簾が憧れていたヴァレンタインデー。

今までは超絶男前の宿命か、本人の意思に関係なく厭が応もなく強制参加してきた。
しかし捲簾の望みとは裏腹に、純情な乙女から手管に長けた妖艶な美女、匂い立つ色香を放った人妻まで愛を押し付けられてしまう立場で。
美人には分け隔て無く優しい色男は、ニッコリ微笑みながら『据え膳は美味しく頂きます♪』とばかりに食い散らかしてきた。
それでもヴァレンタインデーが訪れる度、捲簾の心はいつだって哀しい憂いを帯びて沈む。
ふと視界を向けた先で仲睦まじげに寄り添う恋人同士が居ると、しゅんと項垂れその場から足早に逃げた。
愛おしげに恋人を見つめる男と、頬を染めて嬉しそうに笑顔を浮かべる女。
子供の頃から憧れ続ける王子様はいつ自分を迎えに来てくれるのか。
夕暮れの脳内お花畑で、捲簾は俯きながら膝を抱えて泣いていた。
そんな哀しい想い出しか無かったヴァレンタインデーが。
幸せラブラブなヴァレンタインデーにっ!

今年は堂々と参加できるのだっ!!

長い年月待ち焦がれた運命の王子様が、ついに捲簾を迎えに来てくれた。
しかも片思いではなく、ラブラブアツアツの両思い。
清く正しい交際を始めたばかりだけど、捲簾は夢見るような幸せの絶頂に居た。

相手は自分の上司でもある天蓬元帥。

初めて逢った瞬間から恋に落ち、初恋に戸惑いながら捲簾は一生懸命天蓬へアプローチした。
なんせ出逢った王子様は、強力な魔女の呪いに冒されていた。
日々生存さえ脅かされるような魔窟の部屋に住んで、ともすれば最低限の生命維持でもある寝食を忘れてしまったりする。
漸く見つけた理想の王子様を、魔女の呪いなんかで奪われては堪らない。
それはもう懸命になって、捲簾は天蓬の世話を涙ぐましい努力で面倒看た。
その一途な恋心も漸く報われる時が来る。
ある日下界へのデートに誘われ楽しい一時を過ごした後に、捲簾は天蓬から愛の告白を受けたのだ。
勿論捲簾が頷いたのは言うまでもない。
こうして日々着々と天蓬とのお付き合いで愛を育み、待ちに待った今日を迎えることとなった。
お付き合いを始めて初めて恋人達のイベントを迎えることが出来る喜びは、周りが想像するよりも真剣で必死だ。
年が明けてからカレンダーに『×』を付け、一日千秋の想いで過ごしている。
そしていよいよ2月に入って、俄然捲簾の気分も盛り上がってきた。

「んー?どうしよっかなぁ〜。やっぱ本命には手作りが一番だよなっ!でも…何作ってやろうかな?」

捲簾は積み上げた雑誌を手に取り、パラパラとページを捲る。
家事の達人でもある捲簾にとって、お菓子作りは必要に迫られて習得した得意技だった。
自分の見た目からどうも甘い物が苦手と思われてしまい、なかなか口にすることが出来ない。
どうやら男の中の男、最上級色男の宿命か、そういった男性は皆女子供が好む甘いお菓子など嫌いに違いないと決めつけられていた。
ところが張本人の捲簾は、甘いお菓子が大好物だ。
お菓子を貰うこともない、ましてや買いに行けば何を面白可笑しく噂されるか分からない。
そうなると捲簾の取るべき方法はただ一つ。
自分自身が優秀なパティシエになるしか無かった。
おかげで捲簾は大抵のお菓子は上手に作れる。
上手どころかその辺の専門店にも負けないぐらい腕前も上達していた。
お菓子作りには絶対の自信を持っていた、が。
愛する恋人に作るなら、美味しいと言って貰いたい。
それも普段よりも手の込んだ、味も見た目も可愛らしいモノを天蓬へ贈りたかった。
「タダのチョコじゃつまんねーよなぁ。やっぱチョコレート使ったケーキなんかどうかな?こぉ〜可愛いハート型で…チョコクリームで花なんかデコレーションして。そんでそんでっ!ピンクのホワイトチョコに『天蓬スキv』とか書いちゃったりしてっ!!やだーっ!もぅっvvv」
捲簾は真っ赤に紅潮しながら、照れ隠しにウサちゃんズをギュウギュウと抱き締めて身悶える。

天蓬は甘い物好きだから、ケーキもちょっと甘めに作って〜。
ガナッシュをチョコスポンジで挟んで作るのもいいなぁ。
それをピンクの可愛い包み紙とリボンでラッピングして。
俺が渡したら天蓬喜んでくれるかなぁ…ん?渡す?

ベッドに転がっていた捲簾がパチクリと瞳を瞬かせた。
何かを思い立った捲簾が慌てた表情で身体を起こす。
「渡すって…どうやって渡すんだよっ!?」

…一体何を言い出すのか。

捲簾は気が付いた事実に顔面蒼白で呆然となった。
チョコを渡すのは手紙を添えて本人の部屋へ贈るか、直接手渡せばいい。
ところが捲簾はそんな簡単なことに頭を悩ませ始めた。
「チョコなんかどうやって渡すのが普通なんだ?貰ったことねーのに分かんねーよぉ…」
ガシガシと髪を掻き乱して、捲簾はガックリと肩を落とす。

そう。
捲簾は自他共に認めるモッテモテの美丈夫で、いつだってヴァレンタインデーの華だったが。
今まで一度としてチョコを貰ったことがなかったのだ。
ソレもまたしかり。
周囲の者は誰一人として捲簾が甘い物好きだとは思っていない。
相手に愛を告白して好きになって欲しいのに、愛する男へ嫌いなモノを贈り付ける浅はかな女が居るはずもなかった。
大抵愛の囁きと共に贈られるのは、捲簾の好みを考慮した身に着ける装飾品や香水など。
ヴァレンタインデーにチョコを贈られた経験が無い捲簾は、ひたすら打ちのめされてベッドへ突っ伏した。
「どぉすればいいんだ?あぁっ!もぅっ!!」
グッスンと鼻を啜り、枕を涙で濡らす。
このまま何か方法を思いつかないと、折角のヴァレンタインデーが台無しになってしまう。
捲簾は必死に考えた。
それこそ戦場に出ていてもここまで戦略を練ったことがないと言う程、真剣に考えて考えて。

「あ。確か…前に何か読んだ本で…チョコを下駄箱へ入れるってのあったよな?」

捲簾の瞳がキラリと輝いた。
なかなか勇気を持って告白できない乙女が、ヴァレンタインという特別な日を借りて大好きなヒトへチョコを贈りたいと決心する。
しかし面と向かって渡すのは恥ずかしい。
それなら必ずそのヒトが使用していて、絶対見つけて貰える場所へチョコを置いておく、と。

捲簾の恋愛教則本は、お花やお星様がキラキラ輝く少女マンガだった。

漸く浮かんだ名案に、捲簾は気分を一気に高揚させる。
ところが、そこには盲点があった。
下駄箱へ入れるのはいい。
いいけど。

「土足の軍棟に下駄箱なんかねーじゃんっ!!!」

本末転倒。
普段から軍靴を着用している兵士に、その靴をわざわざ脱ぐような習慣は無い。
しかし下駄箱が無ければ天蓬へチョコを渡せない。
捲簾は腕を組んで頻りに唸った。

天蓬へチョコを渡したい。
渡したいが肝心の下駄箱が軍棟には設置されていない。
そうすると天蓬へチョコを渡すことが出来ない。
さて、どうするか。

「あ、そっか…
無ければ作ればいいよな?そっかっ!作ればいーんだ♪」

ポンッと手を打ち、捲簾は満面の笑みを浮かべた。
幸い本番のヴァレンタインデーまで、まだ日数はある。
それまでに自分と天蓬用の下駄箱を作ってしまえば問題は解決だ。
さすがに捲簾でも西方軍全員分の下駄箱を作る気は無い。
かといって天蓬の分だけだと、下駄箱じゃなくタダの荷物入れにしか見えなくなる。
あくまでも下駄箱じゃなければいけない。
ヴァレンタインデー前に軍棟玄関へ設置して、天蓬に下駄箱の存在をアピールする。
そうして下駄箱を使うようにして貰えば、当然ヴァレンタインデー当日も開けるだろう。
すると、下駄箱の中には捲簾の愛を込めた手作りチョコレートケーキが。
いやんっ!俺ってばあったまイ〜vvvと、脳内お花畑で捲簾がバシバシ地面を叩いて照れまくった。
後は実行あるのみ。
「そうと決まれば材料調達しねーとっ!よぉ〜っし!頑張っちゃうぞーvvv」
捲簾は頬を染めて小さく気合い入れのガッツポーズを取ると、早速材料と機材を手に入れるため城下へ下りることにした。



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