The princess who dreams |
サラリと、紙を捲る音が室内で静かに聞こえる。 その日捲簾は執務机について、溜め込んでいた書類の決裁をしていた。 モクモクとペンを動かしてサインしてはペッタンと押印する作業の繰り返し。 いつもなら嫌気が差してフラリと抜け出して適当にサボるのだが。 「はぁー…vvv」 何だか切ない吐息を零して、蕩けきった視線が宙を彷徨う。 初デートから帰ってきて3日。 捲簾の脳内お花畑は小春日和だった。 「楽しかったよなぁ〜vvv」 ふとした瞬間に蘇る、デートでのあれこれ。 しょっちゅう想い出しては、ふふふーvvvと含み笑いを零していた。 今まで経験したことがなかった、大好きなヒトとの甘い時間。 下界での買い物は出征の度に繰り出していたが、大抵一人か部下を引き連れての集団行動。 自分が本当に行きたい店や買いたいモノを探して、満足に回れた試しなど皆無だった。 コッソリ街へ出かけて捲簾垂涎の可愛いモノを探していても、同じように買い物へ繰り出していた部下達に絶対見つかる。 『えー?大将は何買うんですか〜』と突っ込まれて、まさか正直に『可愛い雑貨や甘いお菓子、それとお裁縫用の生地や編み物の毛糸』とは言えない。 適当に笑って誤魔化すと、何となく部下達を引き連れての買い物になり、いつもの如く地酒や適当な日用品に服などを買ってしまっていた。 それも必要だけど、自分が本当に買いたいモノとは違う。 天界でも可愛らしい雑貨や生地が買えないことはないが、下界の種類の豊富さには敵わない。 捲簾にとって出征後の買い物は、ドキドキワクワクするほどスペシャルな楽しみだった。 それが。 憧れ続けていた念願の可愛らしい雑貨屋とかお洒落なカフェに。 密かに想いを寄せる天蓬から不意打ちでデートに誘われ、心行くまで堪能することが出来た。 欲しいだけ可愛い雑貨を選んで買って。 念願の大好きな甘いデザートを好きなだけ食べて。 まるで夢のような一時だった。 天界へ戻る時は、楽しかった気分が何となく物悲しく思えて。 脳内お花畑の捲簾は『まるで12時になったら魔法が解けて帰らなきゃなんねーシンデレラじゃん』と、自分には穿けないガラスの靴を想像してグッスンと涙を啜ってみたり。 だけど捲簾はシンデレラとは違った。 王子様を魅了した可憐で豪華なドレスも、約束となるガラスの靴も持ってはいないけど。 飾る必要もない捲簾の魅力を、天蓬はちゃんと分かっていた。 夢なら覚めれば終わりだけど、今この瞬間という現実は終わることなくどこまでも続いている。 勿論天蓬は今日をただの楽しかった想い出だけにするつもりはない。 ここからが二人の始まりにするつもりだ。 天界へのゲート地点まで戻ると、天蓬はしゅんと俯く捲簾の手を握りしめる。 「今日はありがとうございます。捲簾とデートできて物凄く楽しかったですよ」 「あ…俺も。久々にのんびり買い物とか出来たし、すっげぇ楽しかった」 照れ臭そうに微笑む捲簾に、天蓬がさり気なく身体を寄せた。 捲簾の手を両手でシッカリ握りかえすと、不安そうな顔で首を傾げる。 「また…お誘いしてもいいですか?今度はゆっくり…二人っきりで温泉とか出かけて1泊するのもいいですよねぇ」 「えっ!?」 それってば婚前旅行!? 驚いている捲簾の頬が、見る見る真っ赤に染まった。 何と言って返事をすればいいか分からず、捲簾はひたすらパクパクと口を開いて絶句する。 もぉ〜捲簾ってば恥ずかしがり屋さんで可愛いですねvvv 羞恥で真っ赤になって固まる捲簾に天蓬はいたくご満悦で、嬉しそうにニッコリ極上笑顔で捲簾を見つめた。 捲簾はますますパニック状態。 そ…そんなまだ出逢ったばっかでお付き合いもしてねーしっ! ましてや二人っきりで温泉でお泊まりなんてっ! 俺は軽はずみなオトコじゃねーもんっ!やっぱ純潔は結婚するまで取っておくって決めてるしーっっ!! お泊まりした場合の色んなコトを想像して、捲簾は羞恥で気が遠くなった。 ヤダーッ!もうっ!捲簾ってばエッチ!不潔よーっっ!!と、脳内お花畑で転がりながらひたすら悶えまくる。 今まで来るモノ拒まず、それこそ数え切れない程の夜に痴態と睦言を繰り広げて過ごしたことのある女性達が聞いたら『一体何がどう純潔なの?』と、呆れて突っ込みを入れただろう。 捲簾にとって女性達との目眩く官能の一夜を過ごした全ては、オスとして本能的な行動というだけで。 愛しているヒトに身も心も捧げて添い遂げる、ということは別次元だった。 まぁ確かに求められて抱かれる点で言えば、捲簾は『純潔』に間違いない。 どうしよぉ…。 脳内お花畑で捲簾はひたすらグルグルと考える。 ここで拒絶したら、もう天蓬とはこれっきりになってしまうかも知れない。 でも『喜んでvvvv』な〜んてあからさまに即答すれば、誰とでもヤッちゃう軽はずみなヤツだって勘違いされてしまう。 捲簾は惚れた相手にはどこまでも真っ直ぐで純真だった。 故にここまで煩悶して、とうとう泣きそうになってしまう。 天蓬に嫌われたくない。 でも誤解もされたくない。 困り果てて黙っていると、小さな溜息が聞こえてきた。 ピクンと捲簾の身体が小さく震える。 「ごめんなさい…そんなに捲簾を困らせるつもりじゃなかったんですけど。僕も浮かれすぎてましたよね。ちょっと性急でした」 捲簾はそんなことないと、頭を振った。 「でもね?僕はもっともっと捲簾のことが知りたいんです。下界でだけでなく天界に戻っても。こうして捲簾といっぱい過ごしたいなーって思ってるんですけど…厭ですか?」 弱々しく探るような声音に、捲簾が慌てて顔を上げる。 「そんなことないっ!俺だって…天蓬のこと…すっげぇ知りたい。でも…」 「でも?何でしょうか?」 天蓬が問い返すと、捲簾は視線を逸らせて言い淀んだ。 暫し考え込んでから、恥ずかしそうに意を決して口を開く。 「でもさ…天蓬は何で?そんなに俺のこと…」 ドキドキと鼓動が昂ぶって、心臓が破裂しそうだ。 何となく期待はしているけど、違っていたらどうしよう。 捲簾はギュッと目を瞑って、天蓬からの言葉を待った。 しかし。 「え?あれ?僕…捲簾に言ってませんでしたっけ??」 聞こえてきたのは間の抜けた声。 欲しかった言葉を貰えなくて、捲簾は意気消沈してガックリと項垂れてしまう。 甘い言葉を貰えるんじゃないかとほんの少し期待していただけに、結構ショックは大きかった。 何だよぉ…俺の勘違いって訳ぇ? 暗雲立ちこめる脳内お花畑で、捲簾はブチブチと花を千切ってどんより落ち込む。 暫くは寂しい夜を、独り枕を涙で濡らして過ごすことになりそうだ。 口から魂が抜けそうな程沈んでいると、突然天蓬が捲簾を引き寄せた。 予想外の展開に捲簾は驚いて目を丸くする。 間近に天蓬の真剣な表情を見遣って、捲簾の身体が竦んだ。 てっ…ててててて天蓬何すんのっっ!? カッと頬を染めて硬直する捲簾にもお構いなしで、天蓬は壊れ物を扱うように優しく抱き締める。 きゃーっ!いやああああぁぁぁーーーんっっ!!! いきなり抱き竦められた捲簾は失神寸前。 まっピンクに染まった脳内お花畑を全力疾走で駆け回った。 「僕ってバカですねぇ…肝心なことを捲簾に伝えていなかったなんて。それじゃ貴方が不安になるのも当然ですよね」 「へ?何…をっ!?」 緊張も極限状態で、聞き返す捲簾の声も思いっきり裏返る。 密着した身体をほんの少し離した天蓬は、真っ赤な顔で涙目になっている捲簾をじっと見つめた。 「僕は捲簾、貴方が好きなんです。貴方と初めて出逢った瞬間から恋に落ちてしまいました。僕とこれからもお付き合いして頂けますか?」 ぽん☆ ぽぽぽぽぽぽぽぽん☆ 「○▲□★×◇■◎♪▽●☆〜〜〜〜〜〜っっっ!!!?」 もはや言葉にもならない絶叫を捲簾が上げる。 脳内お花畑には盛大にお祝いの祝砲が鳴り響き、天上には色取り取りの花火がこれでもかと派手に打ち上がった。 感極まった捲簾は、咲き乱れる花に埋もれてピクピクと痙攣する。 「………捲簾?」 「あ…う…えっと…そのっ…」 「僕とじゃ厭ですか?」 「全然っ!ちっとも厭なんかじゃねーっっ!!」 不安げに問い返す天蓬に、捲簾は速攻で否定した。 天蓬に抱き締められたまま真っ赤な顔でぜーぜーと息を切らす捲簾に、天蓬は小首を傾げる。 「捲簾は僕のことどう思ってます?」 「どっ…どどどどどーってっ!?」 「僕のこと少しでも好きになって貰えますか?」 「何言ってんのっ!?少しどころかメチャクチャ好きだってのっ!!」 勢いで本音を告白して、捲簾はあっ!と慌てて口を噤んだ。 思いも寄らぬ熱烈な絶叫に、天蓬は目を見開いた。 そして直ぐに。 嬉しそうにとっておきの鮮やかな微笑みを浮かべて捲簾を見つめる。 「じゃぁ、これからは恋人として僕とお付き合いしてくれますね?」 「あ…うん…っ」 「良かったぁ…すっごく嬉しいですvvv」 「お…俺も」 恥ずかしそうに目を伏せると、捲簾の顔に影が落ちた。 暖かい感触が唇を掠める。 「え…?」 「捲簾があんまりにも可愛いので、我慢出来なくなっちゃいましたvvv」 ウットリと愛おしそうに蕩けるような眼差しで微笑まれ、捲簾はおずおずと唇へ指をやった。 今のはもしかして? 「もっとキスしてもいい?」 「ーーーーーーーーーーーーーーっっ!!?」 漸く天蓬に口付けられたと頭が認識すると、一気に理性がショートした。 捲簾の身体から急激に力が抜ける。 「えっ!捲簾…どうしたんですかっ!?けんれーんっっ!?」 告白→めでたく両想いでお付き合い→初めてのキス、と目まぐるしい展開に付いていけず、捲簾は今度こそ天蓬の腕の中で失神してしまった。 「もぅ俺ってば…天蓬に心配かけちゃって。帰ってからずっと俺が気が付くまでずっと側にいてくれたんだよなぁvvv」 ほぅ…と甘ったるい感嘆の溜息を零しながら、捲簾は無意識に書類へハートマークを描きまくる。 天界に戻ってからは仕事がお互い溜まっていて、1日中ベッタリと一緒に居ることは出来ないが、時間を見つけてはいそいそと天蓬の執務室へ顔を見に行っていた。 まさにこの世の春。 ラブラブ蜜月中で、二人の周囲からは胸焼けする程ピンクの空気がダダ漏れしていた。 今日も仕事がある程度終わったら、天蓬の部屋へ出かけて一緒に夕食を食べる約束をしている。 こうして仕事をしていると、時間の経つのが遅く感じて仕方がない。 それでもサボる訳にはいかないので、捲簾は押印しながらペッタン『天蓬好きっvvv』ペッタン『天蓬すっげー好きぃ〜vvv』と、リズムをとって書類を捌いていった。 ちょうど書類が半分に減った頃。 扉を控え目にノックする音がした。 「おー、開いてるぞ〜」 扉へ向かって声を掛けると、礼儀正しい声が聞こえてきた。 「失礼します。捲簾大将に下界便が届いています」 「あっ!やっと来たか〜」 捲簾は椅子から立ち上がると、嬉しそうに扉へ駆け寄る。 先日のデートで、下界から送っておいた地酒が着いたらしい。 扉を大きく開けて顔を覗かせると、台車には大きな箱が載っていた。 配送してきた部下が、台車から重そうに箱を持ち上げる。 「あ、そこらへんに置いといていーぞ」 「承知しました」 部下は扉脇に重く大きな箱を置いて、その上にもうひとつ箱を積んだ。 「それではこちらに受け取りのサインお願いします」 伝票を差し出されて、捲簾は首を捻る。 「あ、コレは俺が送るように手配したヤツだけど…コッチは何?」 もう一つの箱は捲簾に全く覚えの無い物だ。 長方形の箱で長さは50cm程だろうか。 部下の扱いから見て、重いものでは無さそうだ。 捲簾に聞かれて、部下が伝票を確認する。 「えーっと…こちらの方は天蓬元帥からのようです」 「へ?天蓬から??」 「はい。天蓬元帥が大将へ渡すように手配したようです」 「そっか…」 首を傾げながら、捲簾はとりあえず伝票へ受け取りのサインをした。 部下は一礼すると扉を閉めて退室する。 室内に残された箱。 天蓬からは何も聞いていなかった。 「…何だろ?」 捲簾は箱を手に取ると、小さく振ってみるが中で何かがぶつかる音がした。 更に何かの箱が入ってるようだ。 手にした重さは物凄く軽い。 「とりあえず開けてみるか〜」 捲簾には内緒で天蓬が何かを贈ってくれたらしい。 天蓬から初めてのプレゼントに期待でドキドキしながら、捲簾は鼻歌交じりに隣の寝室へスキップしていった。 |
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