The princess who dreams



最近の大将はちょっと変だ。

「…お前見た?大将の部屋」
「…見た見た」

西方軍施設内の食堂で喧噪の中、部下達が顔を鬱陶しく付き合わせてヒソヒソと話している。
しかし表情は皆真剣だった。
緊張した面持ちで話し込んでいるのは、天蓬元帥直下の部下達だ。
それぞれ先鋭の猛者達が、大きな身体を無理矢理縮こまらせて小声になる。
「俺昨日、書記官から備品の申請書類に大将の印が必要だって言われて、届けたんだよな。そしたら…」
「そ…そしたら?」
ゴクリと一斉に息を飲んで先を即した。
「あの、大将のスタイリッシュで機能的な執務室に通されたら…何かすっごい違和感があってさ」
「違和感?」
捲簾の些細な変調をまだ目の当たりにしていない部下達が、同時にググッと首を傾げる。
話し始めた部下は、言おうか言うまいか心の中で葛藤しているらしく、顔を顰めて神妙になった。
ますます何事かと緊張が昂まる。
暫し逡巡していたが、決意して視線を上げると漸く重い口を開いた。
「大将の部屋に…似つかわしくないって言うか、あり得ないモノが…あったんだよ」
「何だソレ?」
「勿体ぶんなよっ!」
周り中から散々小突かれ、話していた部下が小さく息を吐く。
「いいか?驚くなよ?」
「だから何だってっ!?」
「大将の執務室…部分的…局部的にかな?やけにファンシーになってて」
「ファンシー???」
状況が今ひとつ飲み込めない部下達は、一斉に声を裏返らせた。
もう1人状況を知っている部下が訳知り顔でうんうん頷いている。

「「ウサギのマグカップ!」」

二人が顔を合わせて声を揃えた。
他の部下達はぽかーんと口を開けたまま呆然とする。
「ま…まさかぁ?大将がウサギのマグカップぅ??」
「誰かに貰ったんじゃねーの?ほら、大将モテるからオンナからとか」
にわかには信じられない事実に、他の部下達が一様に顔を引き攣らせた。
「でもよ?普通惚れてるオトコにマグカップなんかプレゼントするか?」
「引越祝いとかなら分かるけど」
「まぁ…そうだよなぁ。でも大将がウサギのマグカップ使ってるのは本当だし」
「そうそう。こ〜乙女が喜んで使いそうな可愛いオレンジ色の」
「ホントかよぉー?」
「ホントだってっ!」
部下達は『ホント!』いやいや『信じられない!』と次第にエキサイトして言い合う。

あの男前の捲簾大将が。
スタイリッシュで色で例えるなら『黒』が似合いのクールな捲簾大将が。
可愛らしいウサギのマグカップを愛用してるなんて、どう考えたって似合わない。

「だからさ〜きっと誰かに貰って使ってるんじゃねーの?」
「誰かって誰だよ」
「例えば…誰かの娘さんが大将に懐いてるとか?」
「う〜ん。ありえない線じゃねーな、確かに」
部下達が納得して頻りに頷いた。
実際捲簾に一目惚れした同僚の娘達が、父親に会わせて欲しいと泣きついて困ってるらしい。
「大将チビッコにもモッテモテだし。幼女から熟女まで全年齢対象で惚れられるのもスゲェよ」
「ソレを言ったら性別も問わず、じゃねー?」
「でも大将、根っからのオンナ好きじゃん。ウチに来たんだってソレが原因なんだろ?」
「あぁ。東方軍で寝取ったって話?アレってマジなの?」
「らしーぜ?士官学校の同期が東方軍にいるけど、言ってたから。ソッチ関係の武勇伝も凄かったって」
「さっすが一級品の武神はオンもオフも最強って訳だ」
「いいなぁ…」
一斉に溜息を吐いて羨ましがる。

そんな最上級にカッコイイ大将が。
オンナは勿論オトコさえ憧れる男前の大将が。

「ウサギのマグカップは全然似合わねーよなぁ〜アッハッハッ!」
ドッと食堂で笑いが起こった。
ちょうどその時。
フラリと食堂から立ち去る人影があった。

「に…似合わねーって…っ」

捲簾は顔面蒼白になってグッタリと壁に縋り付いてしまう。
たまたま用事があって食堂に立ち寄れば、見知った部下達が談笑していた。
いつものように気軽に声を掛けようとした捲簾の耳に、それは突き刺さるように入ってくる。

ウサギのマグカップは全然似合わない。

要するに可愛いモノが捲簾には似つかわしくないと、笑い者にされていた。
捲簾はショックでそのまま逃げるように食堂を出るしかなくて。

そんなことは捲簾自身が一番分かっている。
だけど…だけどっ!

「似合わなくたって…好きになるぐれぇイイじゃねーかよぉ」

辛くって哀しくってジンワリと涙が浮かび上がった。
捲簾は慌てて手の甲で涙を拭う。

脳内お花畑は真っ暗闇。
独りぼっちで捲簾がへたり込む。
捲簾の心は哀しみに沈んでいた。






「あっ!捲簾お帰りなさい。お塩貰えましたか?」
部屋で待っていた天蓬が戻ってきた捲簾に声を掛けた。
しかし。

「…捲簾?」

天蓬が眉を顰めた。
何だか捲簾の様子がおかしい。
塩の袋を抱き締めたまま、天蓬を見ることもせず俯いて立ち竦んでいた。

捲簾に何があったのか。

部屋を出る前はいつも通りだったのに。
昼になって捲簾は天蓬のために昼食を作りに来てくれていた。
調理をしている途中で捲簾が小さく声を上げる。
「あっ!」
「どうかしましたかぁ〜」
「塩…切れちまってるっ!どーしようっ!」
味付けをしようとしてから、捲簾は塩を切らしていることに気付いた。
キョロキョロと周囲を探すが、塩の買い置きは見当たらない。
「天蓬どーしよぉっ!」
一旦コンロの火を止めて、キッチンスペースから捲簾がヒョッコリ顔を覗かせた。
「う〜ん…食堂で分けて貰ってはどうですか?」
「あっ!そっか♪」
天蓬の提案に捲簾は頷く。
「んじゃ貰いに言ってくるから待ってろよ〜」
「早く戻ってきて下さいねvvv」
そうして天蓬は捲簾を見送ったのだが。

…食堂か向かう途中で何かあったんですねぇ。

俯いて動かない捲簾に天蓬がそっと近付いた。
「捲簾…どうしたの?」
驚かさないように天蓬が優しく声を掛ける。
「天蓬ぉー…」
漸く顔を上げた捲簾は、ウルウルッと瞳にいっぱい涙を浮かべていた。

ピキッ。

天蓬が物騒な表情で双眸を眇める。
ぐしぐしと涙を拭っている捲簾の肩を抱き、ソファへと連れて行った。
捲簾を座らせると、天蓬は『ちょっと待ってて下さいね』と言い頭を撫でる。
「てんぽ…」
「すぐ戻りますから」
不安げに見上げる捲簾に微笑んで、キッチンへと消えていった。
すぐにマグカップを二つ持って、天蓬が戻ってくる。
カップからは甘いイイ匂いが漂う。
「はい。コレ飲んで」
天蓬はいれてきたカフェオレを捲簾へ差し出した。
受け取ったマグカップは、捲簾愛用のウサちゃんの絵柄。
部下達の嘲笑を思い出してしまい、捲簾の瞳からはポロポロと涙が零れた。
「どうして泣いているの?」
哀しそうな表情で泣いている捲簾を見つめると、天蓬は心臓が締め付けられる思いがする。
余程のことがあったのだろう。
豪胆で傍若無人な捲簾がショックを受けて泣いてしまうような何かが。
まずは捲簾の哀しみを取り除かなくてはならない。
何度も優しくあやして理由を問い質すと、捲簾は漸く重い口を開いた。

食堂へ塩を貰いに言った時、部下達が自分の噂話をしていたこと。
自分が愛用しているウサギのマグカップが似合わないと大笑いされていたこと。
それがショックで泣きたくなくても涙が止まらないこと。

「どうせ…俺だってこんなナリだから可愛いモン似合わねーことぐらい分かってる。でも俺が知らないところで笑われてたんだって思って、何かすっげぇ辛くて…さ」
「え?捲簾は似合ってますよ?」
「…嘘だ」
「何で僕が捲簾に嘘をつかなくてはならないんですか?」
きょとんと不思議そうに首を傾げられ、捲簾は目を見開いた。

本当に?
天蓬はそう思ってくれてるんだろうか?

「でも…」
「僕の言うことが信じられない?」
捲簾は困惑しながら、瞳を揺らす。

信じたいけど。
もし天蓬が自分の知らないところで、捲簾になんか可愛いモノが似合うはずがないって笑っていたら?
死にたくなるほど哀しい。

俯いて黙り込む捲簾の肩を抱いて、天蓬は仕方なさそうに微笑んだ。
「僕は何て可愛いヒトなんだろうって、捲簾のことが好きになったんですよ?だからこそ可愛らしい貴方を本気で欲しくて堪らなかった。僕は冗談や酔狂で貴方に告白なんかしたりしない、絶対」
「天蓬ぉ…っ」
「嬉しそうに甘いお菓子を食べる貴方も、可愛らしい小物を選ぶ貴方も、それが哀しいって泣いちゃう貴方も、全て何もかもが僕には可愛くてしようがない」
熱烈な愛の言葉に、捲簾は頬を薔薇色に染めて恥じらう。

寒くて暗い脳内お花畑に、明るい光が差し込み始めた。

「だからね?貴方はそのままで充分可愛いんです。ありのままの貴方でいいんですよ?」
天蓬に優しく諭された捲簾が漸く笑顔を見せる。
小さく頷くと、天蓬の肩へ嬉しそうに擦り寄った。
「………あっ!」
突然小さく声を上げる天蓬に、捲簾が視線だけ上げる。
「やっぱり、捲簾あんまり可愛くなって貰わなくてもいいです。そんな可愛らしい貴方を見たら今でさえモテモテなのに、どんなケダモノが貴方へちょっかいを掛けてくるか心配で気が気じゃないですっ!」
「何だよ…ソレぇ〜」
天蓬の嫉妬に捲簾はおかしそうに笑った。
的外れな嫉妬をされるのも天蓬からなら嬉しい。
照れ笑いして天蓬に抱きつくと。

きゅ…るるるるー。

「あ?」
「ん?」

情けない音が聞こえてきた。
「…すみません。お腹空いちゃったみたいですぅ」
「もぉー何だよっ!ムードねーぞ?」
捲簾はプクッと頬を膨らませて、わざと怒った表情を作る。
一度だけ天蓬を抱き締めると、ソファから立ち上がった。
「すぐにメシ作っから。待ってろよ」
「はいvvv」
天蓬はニッコリ微笑みながら、捲簾の腕を自分の方へ引き寄せる。

チュッ。

「あっ!?」
「待っていますからねvvv」
不意打ちで天蓬にキスされて、捲簾の頬が見る見る真っ赤に染まった。
恥ずかしそうに慌ててキッチンへ逃げる姿を、天蓬は楽しそうに眺める、が。
捲簾の姿が目の前から消えると、途端に表情が変わった。

冷酷無比なもう一つの天蓬の素顔。
過酷な最前線に立つ孤高な軍神、天蓬元帥の表情。

誰だか知りませんけど、僕の可愛い捲簾を泣かせるなんて
極刑に値しますねvvv

天蓬の身体から禍々しい暗黒オーラが噴出する。
酷薄に口元を上げると、周囲が唯ならぬ雰囲気に包まれた。
「…天蓬?」
勘の良い捲簾は異様な空気に気付いて、ひょっこりキッチンから顔を出す。
「お腹空いちゃって倒れそうです〜」
コロッと刺々しい空気を霧散させ、天蓬が情けない顔で捲簾を見つめた。
あれ?と捲簾は首を傾げる。
気のせいだったのか?
「もーちょっとだからっ!そこで倒れるなよ?」
「はぁ〜いvvv」
上機嫌に甘えた声で返事をすると、捲簾は上機嫌でキッチンへ戻っていった。



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