The princess who dreams



最近の元帥はいつもよりも変だった。

「はあああぁぁぁー…」
深々と溜息を零しながら、執務机に突っ伏す。
その横にドッサリと決裁待ちの書類が積まれていたが、わざと無視して麗らかな窓の外を眺めた。
年中常春の天界は今日も良い天気。
平素の天蓬ならこれ幸いと、日の当たる窓辺でのほほんと読書に耽っているだろう。
しかし大好きというかもはや中毒と言っても過言でない程無類の本好き天蓬が、今現在心の大半を占めているのは別のことだった。
コト、というよりヒト。
天蓬の優秀な脳みその中は、最近晴れて両想いに結ばれた可愛いヒトのことでいっぱいだ。

実際は結ばれた、と言うには語弊がある。

「あああぁ〜何で上手くいかないんですかねぇっ!」
天蓬は苛立たしげに頭をガシガシ掻き回した。






天蓬の天下無敵それはそれは愛らしい恋人、捲簾はただいまお仕事で下界へ出かけている。
下界に駐留している情報部へ赴き、警戒している妖獣の繁殖データーを検証して分布域の視察をしてくる任務なので、3日程の予定だった。

たかが3日、されど3日。

蜜月熱愛中の二人は、その3日間離ればなれになることすら身を引き裂かれるように辛くて寂しい。
捲簾と数人の部下達がゲートから下りるのを、勿論天蓬は見送りに出た。
ウルウルと瞳に涙を浮かべる捲簾の手を、天蓬がそっと優しく握り締める。
「捲簾…一人で無茶をしてはいけませんよ?仮に警戒区域で不測の事態が起きたとしても、貴方達だけで動いちゃダメですからね?ちゃんと天界に戻って、僕と作戦を立て直してから一緒に出かけましょうね?」
「ん…分かってる」
天蓬の手に指を絡ませ、捲簾はコクリと頷いた。
俯いたままで居る捲簾の濡れている瞳からは、今にも涙が溢れ落ちそうだ。
「通信はオープンにしておきますから、1日に3度は報告して下さいね?」
「そんなのヤダッ!」
「捲簾…いちおう状況を僕は聞いて、司令官閣下に報告しないといけないんですから。言うこと聞いて下さい、ね?」
憤ることなく天蓬が困ったように優しく諭すと、捲簾はフルフル首を振った。
「違う…そうじゃなくって。天蓬の声が3回しか聞けないのがヤなのっ!」
「捲簾ってば寂しがり屋さんですね…もぅvvv」
二人の周囲にパステルピンクの空気が漂い始める。
側に控えていた部下達は一斉に視線を逸らし、慌てて口元を押さえ込んだ。
甘ったるいパステルピンクのオーラに当てられ、頭痛と胸焼けがしてくる。

自分達の上司はいつからこんな状態になってしまったのか。

天蓬元帥が可笑しいのは前からだが、転任してきたばかりの大将までもがこんなになるなんて。
しかも、どう考えて見たって自分達の上司は『デキて』いるらしい。
これだけ盛大に目の前でイチャつかれれば、厭でも分かってしまう。

見目だけは麗しい、そこらの美姫よりも清廉な美貌を誇る天蓬元帥と。
色事の浮き名も華々しく、自他共に認める超絶男前の捲簾大将。

一体どっちがどっちなんだ?

下世話だとは思いつつ、天蓬と捲簾の会話に聞き耳立てている部下達の頭には『?』が盛大に飛び交っていた。
部下達の煩悶も無視して、上官二人はイチャイチャベタベタつかの間の別離を嘆いている。
「じゃあね?捲簾がお話ししたい時にコールして下さい。僕は何時でも出ますからね」
「ホントか?すっげぇ呼ぶかもよ?」
「貴方からのラブコールなら全然構いませんから」
「そんなっ!んじゃねーもん…っ」
捲簾は真っ赤に頬を染め、恥ずかしそうに天蓬の手をギュッと握り締めた。
満更でもない反応に、天蓬はニコニコ上機嫌だ。
「じゃぁ、僕がいっぱい貴方へラブコールしますからねvvv」
「…寝る時もしてくれる?」
チラッと上目遣いに可愛いことを強請られ、天蓬の理性がピキッと軋む。
「勿論ですよ。捲簾が欲しいだけ、ずーっとしてあげます」
「そっか…」
涙を拭って照れくさそうにほんわか笑顔を浮かべる捲簾に、天蓬の笑顔が僅かに強張った。

平常心…平常心ですよ〜っ!頑張れ僕っ!!

自分を叱咤激励しながら、グラグラ揺れる理性をどうにか寸での所で持ち堪える。
まさかこんな場所で押し倒す訳にもいかないだろう。
折角可愛らしく懐いてくれてるのに、手も出さない内から嫌われたら元も子もない。
限界ギリギリで頭もアソコもいっぱいいっぱいになりながら、天蓬は何食わぬ顔で捲簾の手を引いてゲート前へエスコートした。
歪んで渦を巻いていた空間が徐々に焦点を合わせ、目標地点の映像が目の前に浮かび上がってくる。
「…天蓬ぉ」
いざ下り立つとなるとやっぱり寂しいのか、捲簾の瞳にまた涙が浮かんできた。
天蓬の白衣の裾を震える指で掴んで、じっと天蓬を見つめてくる。

僕を試しているんですか捲簾っ!!

プツッと天蓬の意識が一瞬真っ白に弾け飛んだ。
無意識に身体が動いて、捲簾を強く抱き締める。

「うわああああぁぁぁーーーっっ!!!」

ゲート前で大絶叫がこだました。
が、決して捲簾ではない。
「んぅ?ん…っvvv」
部下達の目の前で。
自分達の上官が熱烈なキスをご披露していた。
部下達はただ唖然としてその場で金縛りに遭う。
天蓬が何度もチュッチュと音を立てて唇を啄んでいると、捲簾の腕が背中へと回った。
恥ずかしそうに頬を紅潮させそれでも天蓬へ嬉しそうに縋り付いてくる捲簾に、天蓬の忍耐力も呆気なく瓦解する。

あーっ!もう我慢出来ませんっ!!
この可愛らしい唇を割り開いて、ビロードのようにしっとり滑らかな舌を思いっきり絡ませて啜りたいですーーーっっ!!!

限界点を超えた天蓬の情欲に、ポチッとスイッチが入ってしまった。
抱いていた捲簾の腰を思いっきり引き寄せ、誘ってるとしか思えない薄く開いた唇を強引に舌先で割り開こうとする、が。

「いやあああぁぁっ!!ダメええええぇぇぇっっ!!!」
「ぐぅっ!?」


耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴と共に、鈍く重い音が聞こえた。
天蓬の身体がその場へゆっくりと崩れ落ちる。
傍らでは真っ赤な顔をした捲簾が大きく息を喘がせていた。
泣きそうな表情で、ムキになって唇を手の甲で拭っている。
「た…大将?」
部下の一人が恐る恐る声を掛けた。
声に反応した捲簾が、殺気の籠もった鋭い視線で部下達を睨み付ける。
あまりの恐ろしさに部下達は息を飲んで硬直した。
捲簾はグルンと首を返して、昏倒している天蓬を見下ろす。
倒れ伏す天蓬はピクリとも動かない。
じんわりと捲簾の瞳に涙が滲んだ。

「天蓬の…天蓬の…馬鹿あああぁぁっっ!!」

大声で叫ぶと、捲簾は踵を返し下界の目標地点へ部下達を置き去りにしたままゲートを超えて降下した。
「ちょっ…大将っ!?」
慌てて部下達も追おうとするが、倒れている天蓬をそのまま放置する訳にもいかない。
「どうするよ?早く大将に追いつかないと!」
「分かってるって!でも誰か呼ばねーと…おーいっ!誰かっ!!」
部下達総出で叫んでいると、通りがかった同僚が走ってきた。
「あれ?どうした?まだ行ってなかったのかよ?大将は??」
「置いてかれたんだよっ!悪いんだけど救護班呼んできてくれねーか?元帥が…」
「え?元帥?って…うわっ!?」
足許に丸くなって倒れている天蓬に気付いて、部下が跳び上がって驚く。
そーっと近付いて様子を確認すると、部下の表情が見る見る蒼白になった。
「元帥に何があったんだよっ!何かマズイぞ!白目向いて泡噴いてんじゃねーかよっ!?」
「だから…色々あって…と、とにかく頼んだぞっ!」
残された部下達も我先にとゲートを潜ろうと走り出す。
慌てたのは呼ばれた同僚だ。
こんな状態の天蓬を運び込んだら、全く状況の分からない自分が何を詰問されるか。
「おいおいっ!説明していけってのっ!冗談じゃねーぞっ!俺が何か言われたらどーすんだよぉっ!」
この状況説明させようと、緊迫した顔でゲートを潜ろうとした部下の一人を引き戻した。
たまたま通りがかって呼ばれただけの自分が、災難を被るのは真っ平御免だ。
しかし。
「理由は…元帥が正気に返ったら、ご自分で説明して貰えよっ!じゃぁな〜」
「てめーっ!!」
強引に同僚の腕を引き剥がして、捲簾のお供の部下達は遅れて下界へ降下していった。
ぽつんと悶絶する天蓬と取り残された部下は、サーッと顔色を変える。
「何だよぉ〜どうしろってんだよぉ〜」
部下は情けない顔でガックリとその場へ膝を付いた。
とにかく急いで天蓬元帥を助けなければ。
何だかビクビクと奇妙な痙攣までし始めていた。
かなりマズイ状態かも知れない。
「げ…元帥!ちょっとお待ち下さい!すぐに救護班呼んできますからっ!!」
部下は天蓬へ声を掛けてから、猛ダッシュで執務棟へと走っていった。






「ふぅー…。あの時はさすがにもうダメかと思いましたねぇ」

天蓬はだらしなく机に突っ伏したまま、ぷかーっと煙を吐き出した。
捲簾渾身の蹴りのおかげで、危うく不能にされかけたのだ。
最悪の事態は回避できたが、丸1日は何とも言い難い激痛に苛まれて寝込んでしまった。
その間、勿論地上への定期連絡は出来ず終い。
魘されて寝込んでいる天蓬の元へ、通信係の部下が申し訳なさそうに訪れた。
「あのー、元帥?大変申し上げ難いのですが…1度で構いませんので、下界への定期連絡に出ることは無理でしょうか?」
「どうか…しましたか?」
苦痛に顔を歪めて項垂れる部下を見上げると、困ったように視線を漂わせる。
何か下界で起こったのだろうか?
捲簾の身に何か!?
そう思って部下を問い質すと、案の定捲簾のことだった。
但し、天蓬の杞憂とは違っていて。
「何でも大将が落ち込んじゃって大変らしいんですよ。ずっと通信機の前にしゃがみこんだまま飲まず食わずで動かないそうで。せめて休んで下さいって何度もお願いしたそうですが、全然聞き入れて下さらないそうです」
天蓬の瞳が驚きで真ん丸くなった。

もしかしたら、捲簾は。

「元帥からの連絡をお待ちになってるそうなんです。元帥の事情を説明しても『待ってる』の一点張りで。調査も進まないし、一緒に行った連中も困り果ててどうすることも出来ないって連絡が入ったんです」
「そうですか…捲簾が」
あれほど捲簾を怒らせてしまったので、どうやって宥めるか天蓬は魘されながらもそれだけを思案していた。
早急な自分に呆れ果てて幻滅したかも知れない。
もしかしたら嫌われてしまったかも、と。
そればかり考えて、頭を悩ませていた。
無論、今更幻滅されようが嫌われようが捲簾を手放す気は更々無い。
元から天蓬の頭にはどうやって捲簾のご機嫌を取って仲直りできるか、それ一点のみ。

ところが。
当の捲簾はやっぱり天蓬と離れて寂しがってるらしい。

痛みで唸りながらも思わず顔がにやけてしまった。
「分かりました。夜の定期連絡には何とか出るようにします」
「元帥…申し訳ございません」
恐縮して部下は頭を下げる。

別に部下達困ってるのを見かねた訳ではない。

可愛い僕の捲簾が寂しがっているっ!

天蓬は医者に無理を言って強めの鎮痛剤を打って貰い、自室の方へ通信機を持ち込んで下界へ連絡した。

「捲簾…連絡が遅れてごめんなさい」
『………遅ぇよ』
通信機越しに聞こえる捲簾の不機嫌な声は、微かに震えている。
相当寂しい想いをさせてしまったようだ。
「ちょっと寝込んでしまっていて…医者がなかなか解放してくれなかったんです」
『えっ?天蓬何かあったのか?大丈夫なのかよっ!』
捲簾が心配そうに畳み掛けてくる。

…捲簾に股間を思いっきり蹴られたのが原因なんですけど。

さすがに天蓬は事実を言えない。
「もう大丈夫ですよ?それより、部下達にあまり心配させたらダメでしょう?」
『だって…』
しゅんと項垂れる姿が目に浮かび、天蓬の頬が自然と綻んだ。
そんなに自分に逢いたがってると分かって嬉しくないはずがない。
「本当はね?捲簾怒ってもう通信にも出てくれないと思ってたんです」
『え?何で??』
「捲簾に嫌われちゃったかなーって。僕がキスしたら泣いちゃったでしょう?」
『あれはっ!だから…その…っ』
「そんなに僕に触れられるのは厭ですか?」
『ヤじゃねーよ。全然ヤじゃねーし…天蓬に触られたり抱き締めたりされるのは好き…だぞ?』
きっと通信機の前で捲簾は真っ赤になっているに違いない。
「でも…」
『だからっ!あんなトコですんのがヤなんだってばっ!人前だし…ムードなんかまるっきりねーしっ!!』

…ムード満点ならいいと?

「ごめんなさい…あまりにも捲簾が可愛らしくて我慢できなかったんです」
『………もういいって』
「許して貰えますか?」
『………ん』
恥ずかしそうに返事をする捲簾に、天蓬はほっと胸を撫で下ろした。
その後とりとめのない話を少ししてから、お互い名残惜し気に通信を切る。
天蓬は通信機を眺めながら、腕を組んで暫し考え込んだ。

ムードと言われても、全く想像がつかないんですけど。

どんな雰囲気なら捲簾は天蓬に身も心も全て許して捧げてくれるのか。
「うううぅぅ〜ん?」
天界随一と誉れの高い明晰な頭脳でも、答えが出てこない。
夜が過ぎ、朝になっても答えは一向に浮かんでこなかった。
それもそのはず。
生憎天蓬には純情可憐な処女とお付き合いしたことが無かった。
即物的な身体の関係しか今まで無かったので、乙女を口説き落とすためのマニュアルが思いっきり欠如している。
経験値も知識も無いのに考えたって分かるはずがない。
これには天才軍師もお手上げ状態。
「困りましたねぇ〜。この先の僕の出方次第で捲簾はあの無垢な身体を僕に『優しくしてねvvv』と恥ずかしそうに委ねてくれるかも知れないというのにっ!!」
今更経験はどうにもならないが、知識がないなら仕入れればいい。
「こんな弛んでる場合じゃありませんねっ!どこかに『タイプ別必ず落とせるオンナの口説き方』とか『恋人が喜ぶテクニックあれこれ』とか『彼女を喜ばせる100の方法』とかっ!そんな本無かったでしたっけねっ!!」

俄然やる気を出した天蓬は、仕事をそっちのけで本棚へ突進していった。




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