The princess who dreams



もうすぐ昼になろうかという長閑な時間。
西方軍の執務棟で部下の一人が書類を抱えて回廊を歩いていた。
手にしていたのは元帥決裁の必要な書類。
3日間観世音菩薩主催の講習会へ参加しているらしい天蓬の元へ承認印を貰う為、部下は通り慣れないきらびらやかな回廊を足早に通る。
「はぁ…全くもぉっ!大将はドコへ行ったんだか」
部下はブツブツ独り言ちながら、深々と溜息を零した。
それもそのはず。
普段ならたかが一兵卒、観世音菩薩が住まう上級神の宮など、自分のような下級士官がおいそれと入れるような場所ではない。
部下が携えている書類は責任者印が必要なモノで、大将の承認でも別段構わない。

その肝心の大将が。
どういう訳か執務棟のドコにも見当たらなかった。

今日捲簾大将の予定は午前中に執務室で書類の整理、午後は訓練棟で天蓬元帥の作った戦闘シミュレーションを実施することになっている。
確かに朝捲簾は執務室へ顔を出し、自分も挨拶を交わした。
席について厭そうに書類の山を眺める上司を宥めて、お茶を出したところまでは執務室に捲簾はきちんと居たから、その後他の部下達が仕事に集中している間にコッソリ抜け出したのだろう。
捲簾は決して事務的な作業が苦手な訳じゃないし処理をするのも手際よく早いが、何せじっとしているのが嫌いだった。
集中力が保つのもせいぜい1時間程度。
流れ作業のような事務仕事の時は問題ないが、大がかりな時間を要する仕事となると大抵逃走を企てて姿を眩ましてしまう。
その場合は天蓬が仕方なさそうに捲簾の分を元帥権限で処理するのだが、今回はその天蓬も居なかった。
今回の書類は次の出征に向けての備品類の補充購入に関する。
勝手に自分達で印を押して処理できる類のモノではなかった。
とりあえず総司令官閣下へお伺いを立てれば一瞬不快そうに眉を顰め、次いで額を押さえながら大きく息を吐き出す。
「全く捲簾大将は…アレ程釘を刺したのに」
総司令官殿は何かしらの事情を知っているのだろうか。
部下は少し興味を惹かれたが、直ぐに表情を引き締めた。

絶対何か良からぬコトに違いない。

総司令官閣下の苦渋する表情を見れば一目瞭然。
天蓬元帥は元からおかしかったが、ここ最近の捲簾大将の豹変振りはおかしいを通り越して突飛過ぎる。

あの、勇猛果敢と誉れ高い捲簾大将が。
匂い立つような男っ振りで、視線が合っただけで女を失神させてしまうという噂の捲簾大将が。

何故か最近、乙女チックだ。

以前から周囲への配慮や貴賤分け隔て無く面倒見が良いのは確かだが。
それは豪快で大らかな捲簾の気質だと西方軍の部下達は思っていた。
ところが。
捲簾が生活面でだらしないどころか崩壊している天蓬を構いだした途端、何だか妙な雰囲気に変貌し始める。
捲簾は上級士官にも係わらず、自分のコトは全て自分で何でもこなしていた。
通常上級士官は部屋付きの従者がついて、生活面の世話は全てその従者がする。
しかし捲簾は家事全般が得意で趣味だと言い切り、掃除洗濯炊事まで自分でしていた。
結局捲簾付の従者は、秘書的な雑務を任されている。
まぁ、独身生活も長いし、趣味はひとそれぞれ。
家事が得意でも感嘆するが、別段異様だとは思われない…が。

天蓬に係わる捲簾は
ちょっとおかしい。

部下達は口にこそ出さないが、それぞれ『何か変だな』と感じていた。
天蓬に対するちょっとした言動に、趣向など。
どういう訳か捲簾の為らしいウサギさんグッズを大量購入しに下界への降下命令を天蓬から厳しく言い渡された記憶は、強烈なダメージとして未だトラウマになっている。
変だな?まさかな?と言う疑心暗鬼は、すぐに決定打を見せつけられた。

下界ゲート前でご披露された天蓬と捲簾の熱烈濃密なキスシーン。

どうやら自分達の上官は親密なお付き合いをしているという事実。
天蓬へ対する捲簾の奇妙な言動も、驚愕の一言に尽きるが納得した。
でも出来るなら。
捲簾大将には自分達憧れの豪快な男前で居て欲しい。
部下達の切なる願いは、全く以て叶いそうもなかった。

自分達の境遇を思い出してちょっと黄昏れてしまったが、直ぐ現実に引き戻される。
「その書類は緊急のはずだろう?」
諦めきった声音で、総司令官が部下を見遣った。
総司令官直々に決済が下りれば何の問題もないが、詳細な申請内容は現場を指揮する上官でないと判断できない。
決済権限を持つ大将が居なければ、必然的に責任者の元帥へ頼むしかない。
「仕方がない。天蓬元帥が講習会で観世音菩薩の宮に居る。宮の従者へ面会を申し出て決済印を貰ってこい」
溜息混じりの命令に部下は敬礼して部屋を辞すると早速執務室へ戻り、誰が行くかで揉めに揉めた挙げ句『あみだくじ』で負けた部下が代表になり、こうして恐る恐る観世音菩薩の宮まで足を運ぶことになったのだ。






慣れない回廊を物珍しそうに眺めて歩いていると、視界にチラッと何かが見える。
それは白亜の宮殿に鮮明だった。
しかも何だかやけに見慣れた色。

「………。」

立ち止まって部下が目を凝らした。
部下の居る場所からは遙か前方、回廊の角から何かがヒラヒラはためいている。
どうやら服の裾らしい。
しかもそれに部下は見覚えがありすぎた。
ふと視線を自分へ落とす。
「…まさか、なぁ?」
どうも回廊の角から覗いて見える裾が、自分の着ている軍服と似ているような気がした。
自分は用件があってこの場所へ居るが、上級神中の上級神、観世音菩薩の住まう豪奢な宮へ一介の軍人が勝手に出入り出来るはずがない。
部下は首を捻りつつも、裾がはみ出して見える回廊の角へゆっくり近付いた。
歩いていくと疑問が確信へと変わる。
見えるのは間違いなく軍服の、それも西方軍の軍服の裾だ。
何故こんな場所で?と不思議に思ってどんどん回廊の角まで近付いていけば。

「???」

立ち止まった部下は瞠目してその場に固まる。
回廊の角に西方軍の軍服を着た人物がしゃがみ込み、その先にある部屋の様子を息を顰めて窺っていた。
それだけでも充分不法侵入者として怪しいことこの上ないが、部下が驚愕したのはそうじゃない。
その人物の出で立ちが奇妙だった。

頭には真っ赤な頭巾。
その背中には大きなウサギのぬいぐるみが背負われている。

部下は唖然として疑視していたが、我に返ってコホンと咳払いした。
しゃがみ込んでいる広い背中には見覚えがあり過ぎた。
「大将…こんな所で何してるんですか!?」
「しいいいぃぃーーーっっ!!」
赤頭巾ちゃん大将はクルッと振り返ると、物凄い形相で部下を黙らせる。
迫力に押されて口を噤んだ部下の腕を掴んで、捲簾が自分の側へ無理矢理しゃがみ込ませた。
「大将どうしたんです?」
部下が挙動不審の上司へ小さな声でヒソヒソ声を掛ける。
行方を眩ませていた上司が何だってこんな場所でしゃがみこんでいるのか。
捲簾の背後から顔を覗かせると、視線の先にはこれといって何もない。
あるのは部屋の扉だけだった。
「大将大将?あの部屋に何かあるんですか?」
部下が興味津々で尋ねれば、捲簾がコクンと頷く。
「あの部屋に天蓬が隔離されてんだよ」
「隔離いぃ〜??」
「バカッ!でっけぇ声出すんじゃねーっっ!」
捲簾の大きな掌で口を塞がれ、部下は苦しそうに藻掻いた。
「いーか?絶対デカイ声出すなよ?」
何度も部下に言い聞かせて承知させると、捲簾は漸く手を離す。
「はぁ…自分は総司令官殿から元帥はこちらで講習会とかを受けていると伺っていますが?」
「…らしいな。明後日まで」
「それが何で監禁なんです?随分穏やかじゃありませんね?」
「だってよぉ…敖潤のヤツ、天蓬に逢いに行っちゃダメだって俺に言うんだぜ?」
「そうなんですか?」
「おぅっ!天蓬は集中講座を受けてるから、俺が逢いに行くと気が逸れて集中できないって」
「そんな大変な講義を元帥は受けてるんですか?此処で??」
部下の疑問は捲簾の疑問でもあった。
天界に於いて観世音菩薩は上級神の中でも更に統括管理者。
そう言う意味で全く軍と無関係とは言わないが、直接軍の士官を管理する立場ではない。
その観世音菩薩が直々に天蓬へ講義するというは、どうもピンとこなかった。
実際伝えられた敖潤も詳しい内容は聞かされてないらしい。
「…何してるんでしょうねぇ?元帥」
「それは俺の方が知りたいっつーの」
捲簾は悔しそうに唇を噛みしめ、天蓬が監禁されているらしい部屋の扉をじっと睨んだ。
暫く身を潜めて部屋の様子を伺っていたが、ふいに捲簾が振り返る。
「そーいや。お前は何でココに居んの?」
「あっ!そうでしたっっ!!」
「しいいいいいぃぃぃーーーーーっっ!!!」
またもや口を塞がれジタバタと藻掻く部下が、涙目になって持っていた書類を捲簾へ差し出した。
「あ?何だよ…書類??」
捲簾の言葉に部下が必死に頷く。
「ぷはっ!もぉ…少しは手加減して下さいよ大将ぉ。息できませんって」
漸く解放して貰った部下が荒々しく肩で呼吸を繰り返すと、バツ悪そうに捲簾が片目を瞑った。
「悪ぃ悪ぃ。で?その書類がどーしたっての?」
「ですから…午後イチで大将の決済が必要なのに、すっかり忘れて逃走したのは何処の誰ですか?」
「あ…そんな書類あったっけか?」
「はぁ〜頼みますよぉ。大将が居ないから総司令官殿の指示で、自分は元帥に決済印貰う為こちらへお伺いしたんですよ」
「チッ…天蓬の印が必要〜とか言って乗り込む手があったか」
ブツブツと愚痴を零す大人気ない上官を眺め、部下が諦めたように肩を竦めた。
恋は盲目とは良く言ったモノだ。
「大将が元帥に逢いたいのは分かりましたけど…その格好は何ですか?」

何たって上官は赤頭巾にウサギさんを背負っている。

コッソリ忍び込んだ割りには悪目立ちし過ぎだ。
部下の疑問に捲簾はキョトンと瞳を瞬かせる。
「だってコレ被ってれば顔隠れるから俺だって分からねぇだろ?」

分からなくたってソレだけ目立てば直ぐにバレますって!

すかさずツッコミを入れたい絶叫を部下は無理矢理飲み込んだ。
しかも。
「じゃぁ…その…背中のモノは?」
上官の背中へ視線を向ければ、真っ白いフワフワした可愛らしいウサちゃんのつぶらな瞳とバッチリ合ってしまった。
ガタイの良い、それこそ闘神に匹敵すると誉れ高いしなやかに締まった男らしい身体に、何故か可憐なウサちゃんが。
きっと捲簾と出会せば、誰もがあまりのミスマッチに振り返るだろう。
何でその自覚がないのか部下は頭を抱えた。
部下の心配に気付くこともない上官は、嬉しそうに背中のウサギを見遣る。
「あ、コレ?可愛いだろ〜?ウサちゃんリュックvvv」
「リュック…なんですか?」
「おうっ!天蓬に昼飯の差し入れ作ってきたから入れて持ってきたんだ…けど」
捲簾はうっすらと頬を紅潮させ、キャッと照れ臭そうに掌で顔を覆った。
「そー…でしたか…ははは」
頬を染めて恥じらいながら
『手作りのお弁当v』を持ってきたと白状する上司に、部下は乾いた笑いを漏らすしかない。
書類を抱えて途方に暮れていると、目の前の扉が音を立てて開かれた。
捲簾と部下は慌てて身体を隠そうと身動いだが。

「あら?どうかなされたんですか?」

どうやら宮付の女官に気付かれたらしい。
目を丸くしてこちらを覗き込むと、しずしず近寄ってきた。
捲簾は部下を楯にするとその身体をドンッと女官目がけて突き飛ばす。
「うわわっ!?」
勢いよく飛び出した部下を、女官は臆することもなくにこやかに見遣った。
「こちらへどのような御所用でしょうか?」
さすが、観世音菩薩の女官。
あからさまな不審者に対峙しても肝が据わっているのか態度を硬化させることもない。
床へ這い蹲った部下は急いで立ち上がり、慇懃な態度で女官へ一礼した。
「こちらへいらっしゃる天蓬元帥へお目通り願いたいのですが…」
壁の向こうに隠れている捲簾の視線が期待を込めてブスブス突き刺さる。
部下から謁見の許可を申し込まれると、女官が申し訳なさそうに頭を下げた。
「確かに天蓬元帥様はこちらで二郎神殿の講義をお受けになっていらっしゃるんですけど…生憎今は野外講義で外にお出かけ中なんです」
「えーっっ!天蓬居ねーのっ!?」
驚いて勢いよく飛び出してきた捲簾を眺めて、女官は目を見開いた。
それでも虚を突かれたのは一瞬で、すぐに女官は捲簾へ腰を折る。
「はい。お戻りの時間もこちらでは把握しておりませんの。折角お出で頂いたのに申し訳ございません」
深々と頭を下げて謝罪する女官を見下ろし、捲簾は寂しそうに肩を落とす。

せめて一目だけでも逢えれば。

そう期待していただけに、捲簾の落ち込みようは大きい。
端で見ている女官や部下も同情してしまう程、捲簾は泣きそうな顔で哀しそうに俯いた。
「何か…天蓬様へ言伝をお伺いしましょうか?」
女官が気を利かせて捲簾に声を掛ける。
黙って項垂れていた捲簾が、背負っていたウサちゃんリュックを下ろして中を探った。
「コレ…天蓬へ渡してくれる?」

差し出したのは可愛らしいお弁当袋。
中身は捲簾特製の愛情タップリお弁当だ。
天蓬の為に早起きして、好物ばかりを作って詰めてきた。

女官は差し出された花柄の可愛いお弁当袋を受け取って、ニッコリと笑顔を向ける。
「承知致しました。捲簾様からと確かにお渡し致します」
「ん…頼むよ」
捲簾は小さく口元へ笑みを浮かべると、ウサちゃんリュックをヨイショっと背負い直し、とぼとぼ回廊を歩き出した。

哀愁漂う赤頭巾ちゃん大将の背中で愛らしいウサちゃんがフワフワ揺れる。

「え?あれ?大将何処へ行かれるんですか??」
部下が声を掛けても捲簾は振り返らない。
「そちらの方のご用件は?」
今度は残っている部下に女官が尋ねるが。
「いえ。自分の方は大将が居れば大丈夫なので…えっと…失礼しますっ!」
「え?あのっ!?」
「ソレを!大将からの…元帥へ大将からだと必ずお渡し願いますっ!」
女官に念を押して敬礼をしてから、部下は踵を返して悲壮感漂わせて帰って行く上官の後を慌てて追いかけた。



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