The princess who dreams |
どよ〜んと。 執務室に重苦しい空気が立ち込めていた。 仕事をしている部下達がチラチラ視線を合わせては、コッソリ上司の方を盗み見る。 「………はぁ」 切なげな溜息と共また室内の澱みが一層濃くなった。 気まずくて仕方がない。 この場から席を外したいのは山々だが、生憎仕事があるのでそうもいかない。 部下達は互いに目配せすると、一人が立ち上がった。 「天蓬のバーカ…」 小さな悪態が空席になっている机に向かって呟かれる。 ちょうど天蓬が講習会に連れて行かれて6日が経っていた。 当初3日間の予定だったはずが、4日5日経っても戻ってこない。 やっと天蓬に逢えると朝からウキウキしていた捲簾の落胆は端から見ていても凄まじいモノだった。 明日は来るかな?と期待に高鳴る胸を宥めて仕事へ出てみれば、やっぱり席は空いたまま。 こうなると今度はさすがに心配になった。 捲簾は早速事情を知ってるはずの総司令官を訪ねる。 「何で天蓬仕事に来ねーの?」 「あぁ。観世音菩薩の使者から連絡があって、もう少々元帥を借りたいということだ」 「何ソレ?いいのかよっ!アイツはウチの軍師だぞ?軍の責任者なのに、そんな簡単に部外者が言うからってホイホイ承知してどーすんの?」 天蓬に逢えないと分かった途端、我慢していた不満が一気に爆発した。 涙目になって講義すると、総司令官は呆れ気味に溜息を零す。 「今は待機指令も出ていない。元帥がいない代わりに貴様が纏めれば問題もないはずだが」 「それはっ…そうだけど…」 敖潤から尤もな事実を冷静に返され、捲簾は言葉を詰まらせ言い淀んだ。 そんなことは分かってる。 仕事でも何でも、ただ。 天蓬がいなくって寂しい、それだけだった。 捲簾がしゅんと落ち込んで黙って項垂れると、敖潤が紅い瞳をチラリと上げた。 傍若無人な部下の常にない落ち込みように、何だか調子が狂う。 敖潤はペンを置くと、コホンッと小さく咳払いした。 「…とりあえず、こちらも業務上元帥をそう長く貸し出している訳にはいかないからな。早く戻して貰うよう私の方から観世音菩薩へ進言する」 「マジで!?」 ぱぁーっと捲簾の顔色が嬉しそうに華やいだ。 あからさまに喜ぶ捲簾へ、敖潤が再度咳払いをする。 「あくまでも業務上だ。分かったら早く職務へ戻れ」 「んなの何だっていーよ!おっしゃーっ!お仕事頑張っちゃおっかな〜♪」 訪れた時とは正反対に捲簾は上機嫌で総司令官室をスキップしながら扉へ向かった。 やれやれ。と、敖潤は額を押さえて溜息を零す。 すると、扉の間から捲簾がヒョッコリ顔を覗かせた。 「あ。ぜぇ〜ったい!観音に言ってくれよなっ!」 「分かったからさっさと仕事をしろっ!!」 「すぐだぞ?すぐっ!」 そう何度も念押しすると、勢いよく扉が閉じられる。 脳天気な捲簾の鼻歌が回廊から室内まで聞こえてくるが、次第に遠ざかって聞こえなくなった。 敖潤が背凭れへ深く身体を沈めて天上を見上げる。 「…何でウチの部下達はこうも騒がしいんだ」 毎回毎回騒ぎを起こしては周囲を巻き込んで大事にまでしてくれる部下達には、軍を統括する責任者として頭が痛かった。 特に捲簾大将が着任してからというもの、心穏やかに過ぎる日の方が少ない。 それでも毎回不可抗力で騒動に巻き込まれても律儀に対処してしまう敖潤は本当に人が良いと言うか。 姿勢を正して座り直すと、紙を取りだし何やら書き始める。 自ら署名して押印してから、次の間の方へ声を掛けた。 「…誰か居るか」 「御前に」 敖潤は慇懃に腰を折る書記官へ1通の封書を手渡す。 「これを観世音菩薩へ届けてくれ」 「御意」 恭しく一礼すると、書記官は静かに部屋を辞した。 扉が閉まるのを見届けて、敖潤は頬杖を付く。 「…これ以上騒がしいのは御免だ」 ポツリと本音を呟くが、すぐにいつもの冷静な総司令官の表情へ戻して残りの書類を手に取った。 それが昨日、天蓬が居なくなってから5日目で。 今日が6日目。 「何で帰ってこねーんだよぉ…敖潤のヤツ、ちゃんと観音へ言ったのかぁ?」 捲簾は深々と溜息を零しながら自分の机へ懐き、すぐ隣の机へと視線を向けた。 いつもなら書類や部屋から持ち込んだ書籍で壁になっていて殆ど見えない、机。 机上は綺麗に整頓され、革張りの椅子に持ち主は居ない。 天蓬はまだ帰ってこなかった。 「はぁ…」 切なげに双眸を眇めると、捲簾は指先をモソモソ動かす。 とてもじゃないが仕事をヤル気はしない。 かと言って何もしないで待つのは、物凄く長い時間に感じられて仕方なかった。 胸が張り裂けそうな程寂しくて。 ぼんやりと1日中天蓬の机を眺めるのが捲簾の日課になっていた。 「んだよ…アイツは俺に逢いたくねーっつーのかよ」 つい愚痴を零すと、ますます胸が寂寥感でいっぱいになる。 グズグズと机に半身突っ伏して落ち込む上司を、部下達が遠巻きに傍観していた。 捲簾に聞こえないよう部下達が顔を見合わせ、ヒソヒソ小声で話す。 「なぁ…アレってどういう意味なんだ?」 「さぁ…元帥の代わり?かなぁ」 「でも、アレじゃさ…何か…だろ?」 部下達の視線が一斉に天蓬の机に注がれた。 綺麗に整理され片付けられた机上。 その真ん中にちょこんとぬいぐるみが座っていた。 愛らしい黒いウサギのぬいぐるみ。 しかもそのぬいぐるみは天蓬と同じように白衣を着ていた。 ぬいぐるみが座っている前にはケーキやお菓子、それとティーカップに紅茶が注がれて置かれている。 部下達は机から視線を戻すと、また顔を寄せ合いヒソヒソと話し合う。 「何で机にぬいぐるみが置いてあんだ?」 「白衣着てるし…やっぱ元帥の身代わりなんじゃねーのか?」 「アレってさ…何か元帥にお供えしてるみてぇじゃね?」 「バッ…バカッ!縁起でもねーっ!!」 ポロッと本音を零した同僚を、部下達がベシベシ叩きまくる。 部下達の内緒話に捲簾は気付いていないようで、相変わらず机にへばり付いたまま暇そうにモソモソ指を動かしていた。 指先の動きが止まると傍らへ投げては、またモソモソと指先を動かす。 朝からずっとその繰り返し。 部下達は捲簾の様子をコッソリ盗み見ると、真剣な表情で顔を付き合わせた。 「なぁ…大将がずっと作ってるのって『折り鶴』だよな?」 「どう見たって鶴だろーよ。机に折り紙積んであるし」 「どれぐらいあるんだろ?百や二百じゃねーよな?」 「もっとあるんじゃねーの?にしても…何で大将鶴なんか折ってるんだ?」 「もしかして…元帥に千羽鶴とか?」 「おまっ!元帥は元気だぞっ!?さっきっから不吉なことばっか言ってんじゃねーよっ!!」 サーッと顔面蒼白になった部下達が失言を繰り返す同僚をガツゴツと突き倒す。 「ッデ!だ…だって大将がっ!」 「あぁ?大将がなんだってっ!?」 「ホラッ!」 あちこちからド突かれている同僚が捲簾を指差した。 それに釣られて一斉に視線が捲簾へ向く。 「………。」 「大将…何やってんすか」 「元帥入院してないでしょう…」 机一杯に積まれた折り鶴を、捲簾が針と糸で纏めだした。 本当に千羽鶴を折っていたらしい。 ガックリ脱力する部下達を余所に、捲簾は手際よく鶴を糸へ通す。 「大将、大将」 「あー?」 「その千羽鶴…どーすんですか?」 「ん?天蓬が早く帰ってくるように願掛け〜」 まぁ、千羽鶴に願いを込めるという意味では間違っていないが。 何だか激しく違うような気がする。 しかし捲簾の落胆振りに部下もおいそれと突っ込めない。 普段の快活で剛胆な武神将の姿は今の捲簾に無い。 それだけでも調子が狂い、更に仕事も滞っていた。 何よりも執務室の暗いどんよりした空気の中で仕事をするのは、物凄く憂鬱で気が重い。 どうしたものかと部下達は顔を見合わせ小さく唸った。 上司も部下達も限界でこれ以上はマズイ。 「こうなったら元帥を早く返して貰うよう、嘆願書を観世音菩薩へ出した方がいいんじゃねーか?」 「そうだな…その方がいいかもしれない」 「全く!元帥は大将がこんな状態なの知ってんのか?」 「さぁ?まぁとにかく実行するのは早い方がいいな」 部下達がコクンと頷いて確認し合っていると。 回廊の方からバタバタと騒がしい足音が近付いてきた。 「失礼しますっ!捲簾大将こちらにいらっしゃいますかっ!?」 息を切らせた同僚が執務室へ駆け込んで声を張り上げる。 「あー?何だぁ〜?」 昏い表情のまま、捲簾が声のする方へ顔を向けた。 部下は澱んだ空気に一瞬ビクッと身体を跳ねて後ずさるが、我に返ると慌てて室内に入る。 「大将っ!元帥が…天蓬元帥が今お戻りになりましたっ!」 「えっ!?」 驚いた捲簾が勢いよく椅子から立ち上がった。 耳を澄ませば。 カラッコ☆ カラッコ☆ カラッコ☆ 回廊の方から軽快な音が近付いてきた。 聞き慣れて馴染んだ、天蓬のトレードマークでもある便所ゲタの音。 「天蓬ぉー…っ!」 嬉しさに感極まった捲簾が瞳にウルウル涙を浮かべる。 執務室に居た部下達もほっと胸を撫で下ろして安堵した。 漸く今まで通りに仕事ができる、と。 しかし。 部下が考えている程現実は甘くなかった。 「けんれ〜んっ!ただいま戻りましたvvv」 久しぶりに現れた天蓬の姿を眺め、その場にいた全員が唖然とする。 瞠目した状態で誰もが声を出せず金縛りに遭った。 それでもやはりすぐ正気を取り戻したのは捲簾。 マジマジと久しぶりに逢う愛しい男を眺めて。 ………ポッvvv ほんのり桃色に染まった頬を掌で覆い、照れ臭そうにはにかんだ。 捲簾がもじもじしていると、出血大サービスとばかりに全開笑顔の天蓬が近付いてくる。 目の前まで来ると、天蓬は恭しく膝を折って嬉しそうに捲簾の顔を見上げた。 「捲簾…愛らしい貴方にコレを。僕が居ない間お仕事ご苦労様でした」 そう言うと、両手一杯に抱えていた薔薇の花束を捲簾へ差し出す。 その数は優に百本は超えているだろう。 淡い紫色は天蓬の瞳のようで美しい。 豪奢な花束をプレゼントされ、捲簾は喜びで瞳を潤ませた。 いつ見ても見惚れる程美麗な面差しに、華やかな笑顔。 そして洗練された所作でさり気なく花束を差し出すその姿はまるで。 天蓬ぉ…王子様みたいvvvv きゃーっ!こんなの…こんなのってっ!それじゃ俺ってばお姫様?みたいなっっ!!と、脳内お花畑で薔薇の花が舞い散る中、捲簾はエプロンを広げてクルクル舞い踊った。 ぽややーんと頬を染めてウットリしている捲簾を、天蓬は嬉しそうに見つめる。 「それと捲簾…ありがとうございました。差し入れのお弁当、とっても美味しかったです」 ニッコリと微笑んだ天蓬が、捲簾へ見覚えのあるお弁当袋を手渡した。 捲簾お手製の可愛らしい花柄お弁当袋。 あのお弁当はちゃんと天蓬に手渡されていた。 捲簾は照れながら小さく首を傾げる。 「ホントは直接渡したかったんだけど…天蓬出かけてるって聞いて、さ。迷惑じゃなかったか?」 「とんでもないっ!丁度お昼頃にお腹を空かせて戻ってきて、捲簾からお弁当の差し入れがあるって聞いてどれだけ嬉しかったか」 「そ…そっかぁ」 恥ずかしそうに頬を掻く捲簾に、天蓬の指先がそっと伸ばされた。 きゅっ。 捲簾の指を両手で包み込むと、双眸を笑みで和ませる。 「逢いたかったです…捲簾」 「俺も…すっげ逢いたかった…っ!」 執務室に充満する濃密なピンク色オーラに、部下達は一斉に窓際へ非難した。 重苦しい雰囲気も気まずいが、コレはコレで胸焼けする程居たたまれない。 最近二人が仲良く揃えばこんな調子だったコトを、部下達はすっかり失念していた。 「さっきね?総司令官閣下に今回の件でご挨拶しに行ったんですけど、今回貴方へ僕の仕事で負担を掛けてしまったからお休みを頂けるようお願いしたんです」 「え?でも…俺大丈夫だぞ?」 「いえいえ、貴方は気付いてないようですけど、何だか痩せてしまってますよ?で、僕としても心苦しいので、明日1日一緒にお休みを取って気分転換した方がいいんじゃないかなーって」 「天蓬も一緒に?」 捲簾はキョトンと目を丸くする。 それもそうだろう。 漸く仕事に復帰できる天蓬をおいそれと敖潤が休ませるのか、と。 しかし天蓬はニッコリ笑顔を浮かべる。 「大丈夫ですよ。総司令官閣下にはそれはもう気前良く快諾して頂きましたからねvvv」 部下達は総司令官閣下の胸中如何ばかりと、ひっそり手を合わせた。 「でも1日休みって…」 「とーっても素敵な場所を見つけたんですよ。明日は二人でピクニックへ行きましょう」 「ピクニック?」 「ええ。二人っきりでのんびり過ごすのもいいかなって…厭ですか?」 「そ…そんなことねーよっ!!」 寂しそうに問い返す天蓬に捲簾が慌てて首を振る。 漸く天蓬と一緒に過ごせるのに、厭なはずがない。 「じゃぁ、俺がいっぱい弁当作るからさ」 捲簾が胸を張って笑った。 折角だから天蓬の好きな物を作って、ゆっくり外でお昼ご飯を取るのも悪くない。 「本当ですか?嬉しいです〜vvv」 嬉しそうに頷く天蓬を見つめながら、捲簾は久しぶりの心からの笑顔を輝かせた。 |
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