The princess who dreams



それは嵐の前触れの予感だった。






朝の陽射しが柔らかに差し込む執務室で、忙しなくペンを走らせる音と紙を捲る音が聞こえている。
本日もいつも通り書記官達は執務室で仕事に追われていた。
討伐で使用不能になった装備の補充要請の書類や、地上からもたらされる要注意妖獣の生態報告書のチェック等々。
各人がそれぞれ机に着いてこれら大量の書類を次々に整理し、上官の決裁を求めるために纏め上げられていった。
討伐任務に携わる実働部隊と同じように、文官でもある書記官は日々雑務に忙殺されているのだ。

それも当たり前の日常に、ある日ソレは起こった。

黙々と職務に取り組んでいた書記官全員の手が、一斉にピタリと止まる。
そして一様に顔を見合わせると、重苦しい溜息を同時に吐きだした。
「…またか」

また?

書記官達の視線がすーっと入口の扉へと集中する。
じっと耳を澄ませば、回廊の奥から物凄い地鳴りが響き、こちらの方へ向かっていた。
書記官達は各々席から立ち上がって、静かに扉を少しだけ開く。
騒々しい軍靴の全力疾走がどんどん大きく勢いよく近付いてきた。
扉から顔を覗かせ回廊の奥へ視線を懲らすと、点で見えた黒い疾風が猛スピードで走り込んでくる。

「うわあああぁぁあああぁぁ〜〜〜んっっ!!!」

泣きそうな表情で顔を真っ赤にした捲簾大将が、小脇に白ウサぬいぐるみを抱えて目の前を走り去っていった。
一種異様な光景だが、それも今更だ。
捲簾が実はウサラーでウサギグッズ収集家だという事実は、天蓬元帥からニッコリ笑顔で自分達の進退を楯に脅し…いやいや教え込まれている。
初めは『あんな男前の大将がっ!闘神に匹敵すると褒め称えられている軍神がウサちゃんマニアっ!?』とあまりの違和感に呆然としたものだが、今じゃすっかり見慣れてしまった。
まぁ、ヒトの趣向は色々あるんだなというぐらいで、別段気にもならない。
それはそれで構わないのだが。

ガコガコガコガコガコーーーッッ!!!

捲簾大将が走り去ってから数秒後、今度は回廊の奥からやかましい便所ゲタの全力疾走が近付いてきた。
物凄い勢いで部下達が顔を出している執務室まで向かって来る。
「…元帥必死だな」
「…何で便所ゲタであんなに走れるんだろうか?」
部下達が顔を見合わせている目の前を。

「けんれーんっ!一体何でですかああぁぁああぁぁああ〜〜〜っっ!!!」

天蓬元帥が必死の形相で大絶叫しながら、小脇に黒ウサぬいぐるみを抱えてあっという間に通り過ぎていった。
喧しい喧噪が回廊の先でプツリと途絶える。
一瞬で静まり返った回廊を前に、部下達は揃って首を捻った。

こんな状況が最近ではほぼ毎日起きている。
しかも原因が何だか誰も知らなかった。

「別にケンカしてる…ってことじゃねぇしなぁー」
「そりゃ元帥が謝り倒して直ぐ仲直りしてんじゃねーの?」
…明らかにこの原因の非は天蓬にあると誰もが思い込んでいる。
しかし部下の一人が緩く首を振った。
「いや。ケンカしてたら、いくら何でもあんな風にイチャイチャベタベタしねーだろ?」
「そーいえば…そうだよなぁ」
部下達は一斉にコクコク頷く。
上司達の追い駆けっこが繰り広げられた後、執務室へ仕事で戻ってくる二人は、それはもう見てる方が胸焼けする程仲が良かった。
お互いの机をピッタリとくっつけ、捲簾お手製らしいお昼のお弁当を嬉しそうに『あ〜んv』とか言い合って食べさせっこしている。
『もぅっ!天蓬おべんと付いてるじゃねーかv』とか甘い声音で叱りつつ、捲簾は頬を染めて天蓬の口元に付いた米粒をひょいひょい取ってたり、それはもう気不味くて思わず視線を逸らさずには居られないイチャつきっぷりだ。
上司達が熱烈ラブラブのお付き合いをしているのも周知の事実で、発覚した時は誰もが驚愕したが、『まぁ、あの天蓬元帥だし』と妙に納得できた。
第一、その奇人変人な天蓬元帥を甲斐甲斐しく世話してつき合えるのも大将しか無理だと皆分かっていたので、どちらかと言えば非難するどころか『頑張って下さい大将っ!』と応援ムードの方が色濃い。
さすがに狭い室内でデカイ野郎二人にイチャイチャベタベタされるのは鬱陶しいが、天蓬も捲簾も人並み以上に見目麗しいので、嫌悪する気持ちは全く浮かんでこなかった。
とりあえず才能溢れる上官が仲良ければ仕事も円滑に進むし、彼ら二人の下に付く自分達は気苦労も多いが、良くも悪くも迷声…いやいや名声高い西方軍の士官としての誇りを持っている。
そんな部下自慢の上司達の仲が、最近何だかちょっと変だった。

上手く言い表せないが、二人の間を流れる空気が微妙に変わっているような気がする。

「誰かこの追い駆けっこの理由、知らねーの?」
一人が疑問を口にすると、同僚達はみんな首を横に振った。
仲違いをして険悪な雰囲気にでもなっていれば、何とか理由を聞き出して取りなそうと考えるが、あんな追い駆けっこの後執務室へ戻ってくる上司達は、生憎といつも通り熱々ラブラブ仲良しさんだ。
聞き出すタイミングが無い。
しかし自分達の上司は懲りることなく、ほぼ毎日大絶叫しながらの追い駆けっこを展開していた。
ただ単にイチャついてるようでも無いらしい。
逃げる捲簾も追いかける天蓬も、そりゃもう泣きそうな顔で必死に駆け抜ける。
しかも小脇には何故か白ウサ黒ウサぬいぐるみを互いに抱えたまま。
「………。」
暫し考え込んだ部下達は、お手上げという感じで首を捻った。
「何だよぉ〜誰も訊いてねーのか…」
「いや、俺一度だけ大将に訊いてみたんだけど」
「何ぃっ!?」
バッ!と同僚達の顔が一斉に一人へ向けられる。
理由を聞いた同僚へ皆がじりじりと真剣な表情で詰め寄った。
「何だって?大将なんて言ってたんだよっ!?」
「やっぱ元帥の破壊的性格が原因かっ!?」
「それとも一途な大将の恋心を裏切って、元帥が浮気でもしたかっ!?」
「どーなんだよっ!!」
「落ち着けってのっ!」
あちこちから質問攻めに遭い、同僚が後ずさって悲鳴を上げる。
「勿体ぶんねーで吐けっ!」
「だからっ!訊いたよっ!訊いたことは訊いたんだけど…」
「だけど?」
部下達はゴクリと息を飲んだ。
「…教えて貰えなかったんだよ」
「何だよそれーっ!?」
「何でもっと食い下がって訊かなかったんだっ!?」
「しょーがねぇだろっ!お前らな〜、大将が恥ずかしそうに頬を染めて『…言えねぇ』って視線逸らすんだぞっ!机の上でグリグリのの字書いてだぞっ!それ以上訊けるか?あぁっ!?」
「大将が…」
「恥ずかしそうに…」
「頬を染めて…」
「のの字…」
何だか頭の中にぽやや〜んとピンク色の靄が広がる。
部下達は顔面蒼白になって必死に頭を振った。
「そ…それは突っ込めねぇな」
「た…確かに。大将の口から元帥との濡れ場なんか訊きたくないっつーか」
「バカッ!まだ元帥と大将の濡れ濡れエロエロの卑猥な性生活だって決まってねーだろっ!」
「でも…そうなんじゃねーの?」
「だって大将はウチへ移動になった理由が理由だし、元帥に至っては表だって噂にならないけど、相当遊んでたって聞くし」
「いい年した大の大人が付き合ってて何もしねーはず無いだろ?」
「んじゃあの追い駆けっこの原因って…性生活の不一致?」
「元帥がすっげぇ変態的なプレイを強要するとか?」
「つーか…元帥と大将って
アンアン喘いじゃうのはどっちなんだろ?」
「―――――っっ!?」
ダラダラと厭な汗を噴き出しながら、部下達は目眩がする程頭を振りまくる。
できるなら男同士の、それも自分達の尊敬する上官達のそういう部分は知りたくなかった。
部下達は顔を見合わせると、互いに強く頷く。
「やっぱそういうことは当事者の問題だしな」
「俺たちは暖かぁーく傍観しよう」
「とりあえずケンカしてる訳じゃないんだしな」
「そうそう」
要するに。
傍迷惑な痴話喧嘩程度なら放っておこう、と結論付けた。

その頃。
部下達に散々噂されている張本人達は。

「捲簾っ!捲簾ってばっ!どうして逃げちゃうんですかあああぁぁっ!!」

黒ウサぬいぐるみをブンブン振り回して、天蓬が必死になって捲簾を探し続けていた。
捲簾の素早い逃げ足に振り切られ、あっという間に見失う羽目に陥る。
広い中庭をグルリと見渡して、天蓬はチッ!と悔しそうに舌打ちした。
天蓬自身も何で毎回毎回捲簾に逃げられてしまうのか分からない。
分からないからこうして追い駆け、問い質そうと躍起になっているのだが。
真剣な眼差しで黒ウサの顔を睨んでいる天蓬が、大きく息を吐き出す。

さっきまではとってもイイ感じだったのだ。

捲簾は毎朝ニコニコと天蓬の部屋を訪れ、二人で仲良く和やかな雰囲気で朝食を食べた。
ゆっくりと食後のコーヒーを楽しんで、さぁ出勤しようと捲簾の肩を抱いて扉まで即した時。
ふと視線が合った。
見つめられ恥ずかしそうに視線を逸らす捲簾に、天蓬の理性がピキッと軋む。
怖がらせないよう優しく引き寄せると、捲簾は頬をほんのり染めて瞳を閉じた。
思い込みでも勘違いでもなく、この時確かに天蓬は捲簾から求められていたはず。
嬉しさのあまり舞い上がる気持ちで、捲簾の可憐な唇を何度も啄んだ。
次第に捲簾は天蓬を受け容れるように、その唇を恐る恐るだが綻ばせる。
「ん…んぅ…っ」
天蓬は歓喜に興奮しながら震える舌先を優しく吸い上げ、甘やかな口腔を思う様舐った。
辿々しく天蓬に応える捲簾の舌が絡んでくると、背筋にゾクゾクと快感が走る。
ガクンと膝から力が抜ける捲簾を扉へ押し付け、天蓬は心ゆくまで甘く濃密な口付けに酔いしれた。
「あ…んっ…てんぽ…おぉ」
激しい口付けの合間に、捲簾の悩ましい喘ぎが天蓬の耳を擽る。
気分は最高潮。
これはもう行き着く所まで突っ走るしかないっ!と、天蓬は心の中で握り拳を突き上げ、大胆に開いた軍服の胸元へ手を差し入れようとした、が。

「ダメええええぇぇぇーーーっっ!!!」

捲簾の絶叫と共に、天蓬の身体が勢いよく押し返された。
突然のことに訳が分からず硬直して唖然とする天蓬を、涙目になった捲簾が震えながら睨み付けてくる。
「あの…捲簾?」
「ダメっだったらダメなんだ…っ!」
真っ赤な顔で頭を振る捲簾を注視して、性急過ぎたかと内心舌打ちする天蓬だったが。
「捲簾…こんなことをする僕を嫌いになりましたか?」
「違うっ!そうじゃねぇ…けど…けどっ!」
どうやら天蓬とキスするのが厭な訳じゃないらしい。
それなら何で?と天蓬はコクリと首を傾げた。
捲簾は恥ずかしそうに開いた胸元をかき寄せ、何だかちょっと前屈み気味だ。
後ろ手で扉を開くと、天蓬からじりじり後ずさっていく。
「捲簾?一体どうしたんですか??」
その場をどうにか和ませようと、天蓬が捲簾の持ってきた白ウサ黒ウサのぬいぐるみを手に可愛らしく問い質してみた。

しかし。

物凄い勢いで白ウサを取り返すと、捲簾はクルリと踵を返す。
「俺の…俺のバカバカああああぁぁ〜〜〜っっ!!!」
「え?ちょっ…捲簾っ!?」
何故か自分へ罵声を飛ばしながら、捲簾が天蓬の部屋を飛び出していった。
予想外の行動に呆然としてしまう天蓬だったが、はっ!と我に返ると慌てて捲簾を追い駆ける。

最近いつも捲簾はこうして天蓬の前から逃走してしまう。

それも天蓬を責めるのではなく、自分を責めて。
部下達同様、何が何だか分からないのは天蓬もだった。
今日こそは理由を聞こうと必死に追い駆けるが、さすが天下の武神将。
逃げ足も速く、またもや見失ってしまった。
こうなると暫くは捲簾も姿を見せない。
天蓬は黒ウサを抱えたままガックリと項垂れ、とぼとぼと執務棟へ戻るしかなかった。
そんな天蓬が立ち去るのを捲簾は桜の木の上へしゃがみ込み、息を顰めて静かに見送る。

「天蓬…ゴメン」

溜息の安堵と共に、捲簾が申し訳なさそうに小声で謝った。
捲簾は連れてきた白ウサをギュッと抱き締め、切なげに紅潮した顔を歪める。

天蓬は悪くない…全然悪くないけど。

天蓬に触れられた唇を噛みしめ、先程までの淫靡な熱を思い出すとダメだった。
カーッ!と全身が熱くなって、身体の奥底が何だかムズムズしてしまう。
天蓬に優しくされて愛されて、捲簾がウットリ夢心地で口付けを受け容れていると。
そんなつもりはないのに、身体は捲簾の意思と関係なく勝手に反応した。

初めての恋人、初めての恋愛。
自分は初めての恋に心震わせる純情な乙女なのに。

「…何で勃っちゃうんだよぉ…っ!」

捲簾は泣きそうな顔でグシグシと白ウサへ顔を埋めた。
それは男としてはごく当たり前の変化だが、それが捲簾にとっては死にそうになる程恥ずかしくて仕方ない。
はしたない反応をする身体に堪らなく嫌悪さえしていた。

「こんなっ…こんな
エッチで淫乱な身体だって天蓬にバレちまったら嫌われるかもしれねぇじゃんっっ!」

いや、あの元帥のことだから返って喜ばれるんじゃ?と内心で突っ込みしつつ、たまたま回廊を通りがかった部下達が木の上で叫ぶ上官を呆れて見上げる。
しかし、上官達の妙な修羅場に巻き込まれたくないのが偽らざる本音だ。
部下達は何も聞かなかった見なかったことにして、その場を足早に立ち去った。
木の上で捲簾は膝を抱えて、抱き締めた白ウサを涙で濡らす。

天蓬に軽蔑されたくない。
だって天蓬は一生に一度漸く巡り会えた捲簾の素敵な王子様なのだ。

天蓬にはいつだって、可愛いと思って欲しいし愛されたい。
でも身体は純真な乙女とは程遠い淫靡な熱に翻弄された。
捲簾は一生懸命考える。
そりゃ〜恋する乙女だけど、乙女故に愛するヒトと初めて一緒になれる瞬間を考えない訳じゃない。
それがどういう行為かも勿論知っていた。
自分が過去相手にしてきた淫猥な色香漂う女性達と比べるつもりはない。
「だってアレは遊びだしなっ!」

…恋する乙女の思考はとっても自分勝手だ。

しかし自分が天蓬にあんなコトやこんなコトをされちゃうのかと思うと、羞恥の余り気絶しそうになる。
「だってだってっ!天蓬が俺の身体にっ…触ったり舐めたり…舐め…っ…
イヤアアアアァァ〜ンッッvvv」
捲簾の黄色い悲鳴に、そこら中の鳥たちが驚いて一斉に跳び去った。
興奮のし過ぎでフラリと目眩を起こし、木から落ちそうになった捲簾が慌てて枝へしがみ付く。
エッチな妄想に悶えながら木の枝へグリグリ身体を押し付けていると、何だか妙な気分になってきた。
ピタッと捲簾の動きが止まる。
次第にフルフルと身体が小刻みに震えだした。
顔も真っ赤に染まって、瞳には涙まで浮かんでくる。
「また…また勃っちゃったじゃねーかっ!捲簾のバカッ!もうもうっっ!!」
呆気なく反応してしまう自分の身体を叱咤しつつ、ズルリと枝だから地面へ落ちた。
芝生の上へ突っ伏すと、ブンブン頭を振って身悶える。
さすがの相棒白ウサちゃんも、ちょっと呆れてしまう。
一頻りキャーキャー騒いだ後、捲簾は漸く顔を上げた。
瞳には何かを決意したように強い意志が閃いている。
小さい掛け声と共に身体を起こして、白ウサちゃんを強く抱き締めた。
「もう絶対エッチなことは考えねぇっ!」
決意も新たに、捲簾は白ウサちゃんをガッツポーズさせる。
捲簾の理想は結婚初夜、愛するヒトへ純潔を捧げること。
天蓬と心も身体も結婚して初めて深く濃密に結ばれるのだ。

天蓬と熱く濃くズップリと奥深くまで結ばれる…。

「やああああぁぁあああんっっvvv」

先程の決意はあっさり吹っ飛ばしてモンモンと想像した淫らな妄想に、捲簾は白ウサちゃんをバシバシ叩いて恥ずかしそうに身体を捩らせた。
こんな状態が毎日のように続けられている。

ところが。
そんな身体の変化が天蓬との仲を劇的な展開へと導くことになると、この時の捲簾は夢にも思わなかった。



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