The princess who dreams |
それはかなり異様な光景だった。 執務室で仕事をしている部下達は、鼻をハンカチで押さえて黙り込んでいる。 何だろうと思いつつも、誰も問うことも突っ込むことも出来ないでいた。 ぷち…ぷち。 ぷちん。 「天蓬ってばカッコイー、優しー、頭イイー、脚ながーい、きれー、つよーい」 溜息混じりに呟いて、捲簾がぷちぷちと花弁を千切っている。 机の周囲には噎せ返るほど芳香を放つ大量のバラの花。 全て天蓬からの贈り物らしい。 捲簾はぼんやりしながらパステルピンクの愛らしい花弁を摘んでは机の上にばらまいていた。 時々潤んだ瞳でじっと窓の外を切なげに眺めている。 部下達には何が何だか分からない。 いつもは元気いっぱいの大将がぼーっとしながら大人しいと、何だかこっちまで調子が狂う。 具合でも悪いのかと思えば顔色は決して悪くはないし、本人も別段苦痛を訴えることはなかった。 しかし、妙に気怠げな雰囲気で仕事もせず、焦点の合わない視線を窓の外へ向けてる姿は、どう考えても決して本調子だとは思えない。 何か気に病むことでもあるのだろうかと部下達は心配した。 その最たる原因になりそうな捲簾大将の片割れ、上官でラブラブ熱愛中の天蓬元帥の様子はと言えば特別変わりはなく、朝は捲簾と一緒に仲良く手を繋いで出勤し、今は総司令官のお供で会議へ出席している。 それに捲簾の譫言から考えれば、別段天蓬とケンカしている訳でもなさそうだ。 花占い宜しく机の上に堆く積まれた花弁は、こんもりとピンクの山となっている。 それに増してバラの芳香も強烈になり、室内にいる部下達は頭がクラクラしてきた。 だんだんと黙っているのも限界に近づいた部下達は互いに頷き合い、意を決して捲簾へ近づく。 「大将…大将?」 「あー?」 「せっかく元帥に頂いた花をバラバラにしちゃって…どうしたんですか?」 「あ〜コレな。天蓬がいっぱいくれたから部屋に飾りきれなくって〜。でも枯らすのもったいねぇから風呂にでもいれようかなーって」 風呂にいれるにしたって限度があるでしょうっ! 部下達は一斉に同じコトを思ったが、敢えて口にはしない。 代表で問いかける部下はコホンと咳払いをした。 「それにしても何で元帥はこんなに花を?」 「ん?何か…部屋に戻るとさ〜、天蓬が謝りながら花とかお菓子とかくれるんだよ」 「元帥とケンカなさってるんですか?」 「ケンカなんかしてねーけど…けど…っ」 ぽっvvv 何故か捲簾の頬がうっすら紅潮する。 恥ずかしげに視線を反らして、指先で机の上にのの字を書くたくった。 そこら辺は詳しく突っ込まない方が良さそうだ。 しかし問題の核心はその出来るなら避けたい部分にあるようで。 部下は気を取り直して更に咳払いをすると、花弁を眺めて惚けている捲簾の前へ身を乗り出した。 「えーっと…もしかして恋の悩みとか?ですか」 部下の問いかけにハッ!と顔を上げた捲簾は。 ポンッ☆ 全身を真っ赤に染めてゆでだこ状態。 大きな掌で顔を覆うと、もじもじ身体を捩らせる。 夜の武勇伝も華々しい美丈夫が、乙女のように恥じらう姿は違和感を通り越して戦慄さえ覚えるが、今はソコに突っ込む場合じゃなかった。 お付き合いもしてて誰が見ても絶好調に恋愛を満喫している二人なのに、一体何を悩む必要があるのか。 部下達は腕を組んで、う〜ん?と思案した。 とりあえず自分たちへと置き換えてみる。 恋愛中の恋人達で思い当たる悩みと言えば、単純に倦怠期…は、アレだけ見せつけられてそれはあり得ないと却下。 次に考えられるのは相手の浮気だが、仕事もプライベートもべったり一緒に過ごしている二人に浮気している隙などないはず。 恋は盲目じゃないが、西方軍へ来るまで女性遊びの激しかった捲簾だが、今は天蓬一筋でどんな美女に艶っぽい秋波を送られようとも一切応えてなかった。 それは天蓬の方も同じで、元々精力旺盛なタイプでもなく、誘われて興が乗ればお相手する程度だったが、今では捲簾以外見向きもしない。 熱烈に愛し愛され、絶好調に恋愛を謳歌している状況で、何の悩みがあるというのか。 全く想像も付かない部下達は一斉に首を捻って唸った。 「自分たちでお力になれるかどうか分かりませんが…何か杞憂があるんでしたらお話を聞くぐらいは出来ますが?」 部下が恐る恐る進言すると、捲簾が目元を染めたままチラッと視線を上げる。 高速回転する指先を机になすりつけつつ、何やらそわそわ逡巡していた。 部下達は捲簾の言葉を待ってゴクリと息を飲む。 「あのさ…お前らも彼女とか居るよな?」 捲簾の問いに部下達は顔を見合わせるとコクリと頷いた。 …若干数名視線を逸らせる者もいたが、そこは敢えて追求しない。 「え?まぁ…彼女も居ますし、結婚してるヤツも居ますね。俺も嫁さんいますし」 「けっ…結婚っ!?」 部下の答えに捲簾が過剰反応して声を裏返らせた。 興奮で勢いよく立ち上がった捲簾は、妻帯者の部下の胸倉を掴んで思いっきり揺さ振る。 「お前っ!どれぐらい付き合ってから結婚したんだっ!?」 「いっ…1年ですっ!!」 まるで最前線で先陣を切る時のような物凄い形相で詰め寄る捲簾に、部下は顔を引き攣らせて慌てた。 上擦った声で絶叫すると、締め上げられていた襟元から捲簾の手が離れる。 「1年…って長いのか短いのか?」 「は?えーっと…」 真剣な表情で考え込む上官に、部下達は目を丸くした。 ちょっと冷静になって部下の一人が手を挙げる。 「大将、どちらかと言えば短い方かと」 「短いのか?」 「ですねぇ…俺は嫁さんと結婚するまで3年付き合いましたよ」 「あ、俺は2年半」 「自分は5年付き合いました」 「それは結構長かったんじゃねーの?」 妻帯者の部下達がそれぞれ経験談を進言すると、捲簾はますます眉間に皺を寄せた。 「つーことは?だいたい2〜3年付き合ってから結婚してるヤツが多いのか」 「ですね。ほら、ある程度時間をかけて付き合っていかないと、性格や価値観がどうしても合わないってことがあるじゃないですか」 「最初は誰だって好きになって欲しいから自分の良い部分しか見せないでしょ?」 「で、付き合って時間が経つと、お互いガードが解けて本音とか出てくるじゃないですか?」 「そういう内面も含めてそれでもずっと愛していけるかどうか見極める期間が2〜3年じゃないっすかね?」 「逆にあんま長すぎると今度は嫌な部分ばっか目について、相手の粗探ししちゃって別れる可能性が大きいんですよ」 「かと言って短すぎると、いざ結婚してから『つきあっていた時はこんな人じゃなかった!』とかやっぱり伴侶の嫌な部分ばっかり見るようになっちゃって、離婚するケースが多いらしいです」 「…ウチは家庭円満だぞっ!」 お付き合い1年で結婚した部下が憮然とした表情で反論する。 勝手に殺伐とした家庭だと想像されたら、そりゃ気分は良くない。 すると捲簾は不思議そうに小首を傾げた。 「じゃぁさ、何でお前はそんな早く結婚したんだ?」 「大将っ!ソレは突っ込んじゃダメですって〜」 同僚の部下がからかうと、聞かれた部下は僅かに頬へ朱を上らせる。 冷やかされながらあっちこっちから突かれる部下を捲簾が更に追いつめた。 「全然分かんねーんだけど?」 「……………え?」 揶揄でも何でもなく本気で分からないらしい上官に、部下達は呆気に取られる。 自他共に認める百戦錬磨の色事師だった(過去形)大将が何で気付かないっ!? 素直に答えを待つ上官をしみじみ眺め、部下達は脱力した。 「普通付き合って1年なんて恋愛を楽しんでる真っ最中に、まぁ結婚を意識してることはあっても即実行ってことはないでしょう?」 「コイツは結婚せざるおえない事情が出来たんですよ」 「あ?何ソレ??」 「今の嫁さんを、孕ませちゃったんですって」 「孕…ませた?」 捲簾の瞳が驚愕で見開かれる。 そこへ更にキッパリハッキリ別の部下が笑いながら暴露した。 「要するに〜、コイツ彼女に子供が出来ちゃったから、慌てて結婚したんですよ」 どっと室内に明るい笑い声が上がるが、何故か捲簾は黙り込んでいる。 静かすぎる上官の様子に気付いた部下が、恐る恐る捲簾へ声をかけた。 「あのー?大将?どうかされましたか??」 「お前…ヤッちゃったのか?」 「え?あの…」 地を這うような低い声音に、名指しされた部下は硬直する。 「テメェは結婚する前に付き合ってる彼女とヤッちゃったのかぁーっっ!?」 「ヤッちゃいましたーっっ!!」 相棒白ウサぬいぐるみを突きつけながら真っ赤な顔で激怒する上官を、他の部下達はただ呆然と見守るばかり。 捲簾が何をそんなに怒っているのかが理解できない。 「お前なぁっ!そーいうコトは結婚するまでしちゃダメだろうっ!!結婚初夜で初めて愛する人と結ばれるっつーのが彼女にとっては夢だったんじゃねーのかっ!?」 「はぁ???」 一体ソレは何時の時代の清純な乙女だろうか? 時代錯誤も甚だしい年寄り連中が説教しそうな純潔論がよもや捲簾の口から飛び出すなんて、まさに青天の霹靂。 あまりにも吃驚しすぎて部下達は二の句も告げない。 しーんと静まりかえる室内に、捲簾は興奮気味にキョロキョロ部下達を見渡した。 「な…何だよ?お前ら?」 「あの…ですね?大将」 「大将だって今まで…女連中喰いまくって散々シテきちゃってますよね?」 「はぁ?アレはただの遊びだろーが」 うっわー、すっげぇご都合主義だ。 悪気もなく平然と言い放つ捲簾に部下達はちょっと呆れた視線を向ける。 しかしそうなると疑問が湧いた。 本人も認める通り、捲簾は今まで散々淫蕩の限りを尽くしてきた稀代の色男だ。 それだけ色んなコトをしてきた捲簾が、天蓬と真剣なお付き合いをしてるとはいえ、ナニもしてないのだろうか? 「でも…大将だって元帥としちゃってるんでしょう?」 部下の一人がつい頭に思い浮かんだ疑問を躊躇するのも忘れて、ポロッと口を滑らせる。 すると。 ッポンッッッ!!! 火を噴きそうな勢いで捲簾の顔が真っ赤に染まった。 「んなことっ…してるわきゃねーだろっっ!!」 「えええぇぇぇえええーーーっっ!?」 これには部下達も仰天する。 元帥と大将が…なーんにもしないで清らかなお付き合いをしている? 驚愕を通り越して心配してしまう。 「元帥は?そのっ…何もしてこないんですか?」 部下達の疑問は尤もだ。 健康な成人男子なら、お付き合いをしてようがしていまいが、そういう性的欲求は常に湧き上がり燻るもの。 それが愛する人が側にいるなら尚更、相手の心だけではなく身も全て欲しいと思うのは自然の摂理。 ましてや天蓬も捲簾も不能でも何でもないなら、一体どうやって発散しているのか。 「てっ…天蓬は…っ!」 言葉を詰まらせ身体を震わせると、捲簾はバラの積まれた机へ突っ伏し恥ずかしそうに身悶えた。 天蓬は当然の成り行きとして、捲簾へ迫りまくって玉砕しているらしい。 何だか天蓬が気の毒になってしまうが、それなら捲簾は? 「大将は…元帥が…えーっと…そーゆー意味で欲しいと思わないんですか?」 「おっ…俺は…だってっ!」 「でも、元帥はどうだか分かりませんけど…一般論っていうか、そんな風に拒絶されると、本当は愛されてないんじゃないかって勘違いされかねませんよ?」 「ーーーーーっっ!?」 部下の忠告は捲簾も密かに危惧していたこと。 もしかしたら、いつまで経っても全てを捧げない捲簾に大して、天蓬は失望するかもしれない、と。 でも…でもでもでもっ! 暗闇が迫る夕暮れの脳内お花畑で、捲簾は白ウサと一緒に膝を抱えて嘆息するしかなかった。 |
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